第21話 ステインVSレオン 下

 悔しい。


 レオンにとって、それは無縁の言葉だと思っていた。

 思えば、彼は今まで『悔しい』と思ったことが一度もない。彼の育ての親である老人に魔術を学んだ。その時に老人に負けたことは何度かあったが、悔しいと思ったことはなかった。


 レオンの中で老人に負けることは当たり前のことだったから。そこに疑問を感じることはなく、負けても「だってそれが当たり前なんだから」という認識でしかなかったのだ。最早、それは『敗北』などと呼べるものではなく、ただの『日常』だ。


 何より、レオンは老人以外との人間の交流が限りなく少なかった。山奥での生活。来る者といえば、老人の知り合いくらいであり、同年代の者とはほとんど会ったことがないと言っていい。


 だから、歳が近いステインが完膚なきまでに叩きのめしたことによって、生まれて初めて、レオンに正真正銘の言い訳のしようがない『敗北』を与えのだ。

 その敗北が、その経験が、レオンに『悔しい』という感情を芽生えさせた。


「そっか……そうか。これがそうなんだ。俺は、悔しがってたのか」


 自身の中にあった『何か』の正体を理解したレオンはこれまでにない程、納得していた。

 ようやく答えを掴んだのだと。

 けれど、まだだ。まだ心の隙間は、未だ満たされていない。


「なら、ついでに教えてくれないか……どうしたら、悔しさが無くなるのか」

「そんなもん、言うまでもないだろ」


 そこまで口にしてやるほど、お人よしではないとステインは切り捨てる。

 だが、それでいい。そもそも、レオンとて、ここまでくればどうすればいいのか、既に理解しているのだから。


「ああ。そうだな。その答えはもう分かり切ってることだ」


 そう教えてもらうまでもない。

 敗北が悔しさを生じさたのならば、それを払拭する方法など、一つしかないではないか。


「アンタを倒す。そして勝つ。そうでなきゃ、この想いは決して拭えないから」


 立ち上がり、真っすぐにステインを見る。

 その瞳には、未だ闘志は消えていなかった。


「できるのか? お前に」

「できるできないじゃない。俺はやる。やらなきゃ、俺は、前に進めないっ」


 瞬間、瓦礫がレオンの周囲に群がっていく。

 それは先ほどまでに使っていた『塊』も同じ。ここにある全ての瓦礫が、レオンへと集まっていく。

 集結、圧縮、融合。

 そうして生まれたのは、十メートルを優に超える『塊』。

 その数は八つ。先ほどと比べれば、減ってはいるものの、しかしステインには分かる。

 あれらの攻撃を一つでも受ければ、ただでは済まないと。そして同時に、これがレオンの最後の攻撃であることも。

 それを見て、ステインは一言。


「―――はっ。いいじゃねぇか、お前」


 小さな笑みを浮かべる。


 レオンはもう以前の彼とは違う。見違える程、いい目をするようになった。

 ならば、相応の覚悟を持ってこれを迎え撃つのが礼儀。


 ステインは、左手を前に出し、右手を大きく後ろに振りかぶる。それが何を意味するのか、レオンは知っていた。だからこそ、理解する。

 相手もまた、次の一撃で決めるつもりだ、と。


「先に言っとく。奥の手があるのなら、今が使い時だぞ」


 言われ、レオンは「あー……」と何かを思い出したかのように、懐に手を入れた。

 出てきたのは小さな小瓶。瓶の中には赤い液体が入っており、いかにも怪し気なものだった。

 つまるところ、それが秘策なのだろう。

 そして、レオンはそれを少し眺めた後―――後ろへと放り投げた。


「おいおい、いいのかよ」

「ああ。いいんだ。切り札として持っていけと『あの人』に言われたけど……あんなのを使ったら、勝っても負けても、俺はきっと後悔すると思うから」


 負けたくない。絶対に勝ちたい。

 けれど、それはあくまで自分の力で。


 本来、それは甘すぎる考え方なのだろう。勝利を納めたいのならば、手段など選んでいる暇などないはずだ。

 どんな汚い手だろうと構わない。それで勝てるのならば。

 だが、レオンはそれをせず、あくまで自身の実力でステインを倒そうとしている。

 青臭い。馬鹿げている。考え無しだ……レオンが取った行動を否定することは容易だ。

 けれども。


「上等だ」


 そんなレオンの選択をステインは嫌いになれなかった。

 もう一度言う。ここに伽藍洞の少年はどこにもいない。

 だってそうだろう?

 これ以上ないほど嬉しいと言わんばかりな笑みを浮かべている者の、どこが空っぽだというのか。


「なぁ」

「あん?」

「こんなこと言うのはおかしなことかもしれないけど……ありがとう。俺に気づかせてくれて」

「はっ。別に俺は何もしてねぇ。自覚したのはテメェ自身だろうが」

「それでも、俺はアンタに出会わなかったら、きっと何も気づかないまま、無自覚のままだったから。悔しさを知らず、勝ちたいって気持ちもしらないままだったと思う。だから―――本当に、ありがとう」


 その感謝の言葉に、ステインは一瞬、虚をつかれた。

 嘘ではない。世辞でもない。ただ、本当に心の底からの言葉に、ステインはどう返すべきか悩んでしまった。

 そうして、笑みを浮かべながら、ステインは口を開く。


「ああ。俺も、今回は結構楽しめたぜ」

「そうか。それは良かった。なら……」

「ああ、だからこそ」


 最後は互いに、全身全力で。


 そこから先は、最早会話は不要。語るべきこともない。

 あるのは、ただ目の前の相手を全力で倒すという想いのみ。


「行くぞっ!!」


 先に動いたのはレオン。

 彼が操る八つの『塊』がこれまで以上の速度でステインに真正面から襲い掛かる。

 その脅威を前に、しかしステインはまだ動かない。


「―――、」


 認めよう、レオン・オルフォウス。

 お前は、【恐拳】が叩きのめしたいと思える男になったのだと。

 それに敬意を表すことこそが、目の前にいる男への最大の礼儀。

 そうして。


「―――ふんっ!!」


 次の瞬間、ステインの拳から凄まじい光が放たれたのであった。

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