第15話 オディオの姉

「オディオー」


 数分後、アイファがオディオのもとに戻ってきた。

 それはちょうど、オディオがあの人間の女性を見送った後で。女性は、森の奥へと歩いて行った。

 アイファは、オディオが遠ざかっていく女性の背中を見つめていることに気付き、小首を傾げる。


「あの人間、誰? どうかした?」

「……いや……」


 もう、小指の先より小さくなった後ろ姿を眺め、オディオは何か考えるように目を細めた。


「……なんでもないよ。さ、帰って夕飯にしよう」

「みゃ?」


 その様子にアイファは違和感を抱いたけれど、オディオがなんでもないと言うなら、それ以上聞かないほうがいいのかと思った。

 そうして二人は、家へと帰った。

 オディオとアイファはもう、あの洞窟には住んでいない。ハンレットへの出入りを許可された後しばらくして、エルフ達の協力を得て、集落の外に家を建てたのだ。小さな家ではあるけれど、二人での暮らしは毎日が楽しい。

 オディオはアイファがとってきたリトルップと、買い置きしてあった野菜で、シチューを作った。ふわりと漂うおいしそうな匂いに、アイファはふさふさの尻尾を揺らす。


「「いただきまーす」」


 ほかほかと湯気を上げるシチューを、二人で頬張る。


「あふぃ、あふぃ」

「大丈夫か? よく冷まして食えよ。舌、火傷しないようにな」

「おいひぃ!」

「うまいか、よかった」


 でき立てのシチューは熱々だけど、ふーふーと息を吹きかけて食べると、とびきりおいしかった。

 噛むとじゅわっと肉汁が溢れるリトルップの肉が、小麦粉や牛乳で作った濃厚なシチューと絡んで。ごくんと飲み下すと、思わずほうっと息が漏れる。

 アイファはオディオと一緒に、朝も、昼も、夜も食事をする。

 それは今となってはもう毎日の、当たり前のことだけど。

 アイファが「おいしい」と笑うと、オディオが「よかったな」と微笑みを返してくれる。

 そんな何気ないやりとりが、アイファはとても好きで。宝物みたいな時間だと思っていた。

 オディオの話によると、人間の家族はこうやって、皆で温かいごはんを食べるらしい。

 アイファは自分の親と暮らしていたときは、肉や魚を生で食べていた(魔者は生肉を食べてもお腹を壊さない)ので、オディオと出会って初めて、温かい食事、味付けされた料理のおいしさを知った。


 何より――誰かと笑い合ってごはんを食べると、こんなにおいしいのだということを。オディオと一緒に過ごして、初めて知った。

 オディオと一緒に食事すると、おなかの中だけじゃなくて、心まで温かくなる。

 それに、食事だけじゃない。


 朝、目が覚めて一番にオディオに「おはよう」と言えること。

 天気のいい日に、一緒に森の中を歩くこと。

 毎日じゃないけど、時々一緒に眠ってくれること。

 嬉しいことがあったら一緒に笑ってくれて、悲しいことがあったら優しく頭を撫でてくれること――

 アイファはオディオと一緒にいることで、数えきれないほど、胸に温もりをもらった。


 ……幸せだなあ。

 本当に、こんな日々が、いつまでも続いてほしい。

 けど――


 もぐもぐと、今度はシチューの汁に絡んだ野菜を食べながら、アイファの頭にさっきの光景がよぎる。

 オディオは、眩しいものを見るような不思議な目をして、アイファの知らない人間の背を見送っていた。


 オディオは、人間が好きじゃないはずだ。

 なのに、さっきのオディオの目には、敵対心や憎悪はなかった。

 むしろ、あの人間を温かく見守るような、それでいてどこか泣き出してしまいそうな顔をしていた。


(……どうして?)


 ざわざわと、アイファは胸騒ぎを感じる。

 アイファにとってオディオは、実の父と母よりも大切な、ずっと一緒にいたい相手。世界で一番大好きな相手だ。

 だけどアイファとオディオは、本当の家族では、ない。

 オディオには昔、本当の家族がいた。出会ったとき、そう言っていた。


(もしかして、だけど)


 ざわざわ、ざわざわ。

 こんなに温かくておいしいシチューを食べているのに、アイファの胸は、不安で揺れる。


(さっきの人間は……オディオのお姉さん、かも?)


 人間嫌いのオディオがあんな眼差しを向けるなんて、その可能性しかないんじゃないか、とアイファは思う。

 残酷な実験の末に、オディオのことを忘れてしまい、「処分」されたはずのお姉さん。

 処分とは、殺されたのではなく、ただ捨てられたのかもしれない。……もちろん、それでも十分酷いけれど。

 でも――実は、生きていたのかもしれない。

 だけど、向こうはオディオの記憶をなくしている。

 だからオディオは、何も言えなかったんじゃないか。

 もし、お姉さんがオディオのことを思い出せば、実験材料として扱われた、辛すぎる記憶まで思い出させてしまうだろうから。

 なら、全部忘れていたほうが幸せかもしれない、とオディオは考えたんじゃないのか。

 だとしたら、アイファは――


「アイファ、どうした?」


 向かい側に座っているオディオに問いかけられ、アイファははっと顔を上げる。


「みゃ?」

「なんだか、元気がなさそうだから。考えごとか?」


 そう尋ねられ、アイファはぴるぴると首を横に振った。


「元気なく、ない。アイファ、元気」

「でも、耳がぺたんってなっちゃってるぞ」

「みゃっ」

「アイファの耳は、感情によって動くからなあ。元気なときは、耳がピンッてしてるよな」

「みゃ、みゃうぅ」


 言い当てられてしまって、恥ずかしい。

 でも、アイファのことをよくわかってくれていて、嬉しい。


「何か考えごとがあるなら、言えよ。俺は、アイファが元気がないのが一番嫌だからな」

「一番?」

「そうだよ。俺は、アイファのことが大切だから」


 ぷしゅうっと、顔からシチューよりも熱い湯気が出そうになった。胸が、どうしようもなくほかほかする。


「……ありがと。だいじょぶ。アイファ、今元気なった」


 その言葉に嘘はなかった。やっぱり、オディオはいつだってアイファに笑顔をくれる。


(アイファはオディオが大好き。オディオもアイファのこと、大好き。だいじょぶ)


 もきゅもきゅとシチューを頬張りながら、アイファは自分に言い聞かせるように頭の中でそう唱えて――

 それでもやっぱり、少しだけ考えてしまう。


 もし、もしも、オディオのお姉さんが、記憶を取り戻したとしたら。

 オディオは――人間のもとへ、帰りたいのだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る