第9話 アイファの特訓

 翌日、オディオはルクスに、アイファがまた飛べるようになるまで、時間がほしいと告げた。

 ルクスは了承し、エルフの皆にもそう話すと言ってくれた。

 よって、その日からアイファの特訓が始まった。


「ん~……みゃっ」


 昨日と今日と、アイファは何度も飛ぼうとした。けれど翼がうまく動かず、すぐ地面に足がついてしまう。

 ためしに助走をつけて跳躍することで、飛行の勘を取り戻そうとした。

 しかしやっぱり翼はうまく動かず、そのまま土の上に転んでしまう。


「アイファ、大丈夫か」

「みゃう」

「無理するなよ。一度休憩にしよう」

「だいじょぶ、もっといける」

「でも……」

「こんにちは」


 声をかけられ、振り返ると、風にたなびく金髪が目に入った。


「ルクスさん。どうしたんですか?」

「様子を見に来ました。これ、差し入れです。うちの集落も、あまり余裕があるわけじゃないから、少しで申し訳ないですが」

「わ、ありがとうございます、助かります。な、アイファ。ルクスさんもこう言ってくれてるし、休憩にしよう」

「みゃうー」


 三人は近くの岩に腰かけると、ルクスが持ってきてくれたパンを頬張った。

 それは本当に素朴なパンだったけれど、昨日と今日は掌に載るような小さな魔獣しか狩れなかったため、オディオとアイファにとってありがたい食事だった。


「アイファさんが飛ぶための特訓をすると言っていましたが、調子はどうです?」

「アイファは、すごく頑張ってくれています」


 今のところ、結果は伴っていない。

 それでも、精一杯努力しているアイファを否定したくなかった。


「……本音を言えば、私は、無条件にあなた達を迎え入れたいと思っているんです。けど――塔の件で、エルフは同族内ですら、緊張感や諍いがあって。それが五年の歳月を経てやっと少しずつ落ち着いてきたのに、また亀裂が入るかもしれないと思うと……皆、怖いんです」


 ルクスの声色には、オディオとアイファに申し訳ないと思っている響きがあった。

 そしてそれ以上に、ぎゅっと手を握りしめて――自分を責めているようだった。


「……あの」

「……なんでしょう?」

「この前、谷に行ったときにエルフの方々が言ってたこと……聞いても、いいですか? もちろん、話したくなければいいんですが」


 アヴェリシアの末路、という言葉が何を指すのか。ルクスは一体、どんな事情を抱えているのか。

 深入りするのは失礼かもしれないとはわかっていたが。彼女の顔には自責と憂いが浮かんでいて、できることなら、ほんの少しでもそれを払拭できたら、と思う。


「ああ……構いません。エルフなら、皆知っていることですから」


 ルクスは、遠い日を眺めるように目を細める。


「塔に入って、けれど失敗したのは、私が姉のように慕っていたエルフだったんです。彼女の名前は、アヴェリシア」


 ――それはつまり、そのエルフのせいで、エルフ全体が弱体化したということだ。


「私の両親は昔、魔獣に殺されて。私はずっと独りで暮らしていたんです。だけどアヴェリシアは、私を妹みたいに、優しく面倒を見てくれて……」


 背景こそ違うが、少しだけオディオとアイファの関係にも似ている。オディオには、なんだか他人事ではないように感じられた。


「アヴェリシアが与命の塔に挑む前のことを、今でも昨日のことのように覚えています。

 彼女は私に言ってくれたんです。『私には、行かなければならない場所がある。そのためにハンレットを離れなければならない。離れ離れになってしまうけど、あなたは私にとって大切な妹のような存在。愛してるわ』……と。

 彼女がそう言うなら、何か余程大事なことなんだろうと――私は、寂しかったけれど、アヴェリシアを送り出しました。

 だけど……その数日後、彼女は結晶となり、エルフ族全体は弱体化した」


 ルクスは、そのときのことを思い出すようにぎゅっとスカートを握りしめる。


「アヴェリシアが何を考えていたのか、何をしたのか……なぜ与命の塔に挑んだのかすら、私には、わかりません。

 アヴェリシアは別に病気だったわけでもないし、私含め、彼女の周りでそのとき命の危機に晒されていたエルフもいなかった。

 でも……アヴェリシアは、本当に、優しいエルフだったの。……私利私欲のために塔に挑んだなんて、私には思えない。何か理由があったんだと思っている。だけど、もう、確かめることもできない……。

 結晶化したアヴェリシアは、忌まわしい呪具みたいにハンレットの外れの蔵に収納されています。助けたいと思うのに、その方法もない……」


 ルクスは、自分の無力さを憂うように目を伏せる。

 どんな言葉をかけるべきなのか、オディオは迷った。

 オディオはルクスのこともアヴェリシアというそのエルフのことも、まったく知らない。それなのに気休めの綺麗ごとを口にするのは、なんだか違う気がした。

 実際、オディオの母だって、オディオ達のことを研究者に売り飛ばしたのだから。現実は残酷なものだと、痛いほど知っている。

 それでも、ほんの少しでも、彼女に元気を出してほしいと思う。


「俺はエルフのことを何も知らないので、気の利いたことは言えません。……けど、俺達とエルフの方々が、どっちもいい結果を得られる道を拓けるよう、頑張ります。

だから、その……なんて言っていいかわからないけど。生きてると辛いことはたくさんあるけど、それで全部諦めちゃうのは、悔しいっていうか……」


 拙いながらも真摯に向き合ってくれるオディオを見つめ、ルクスはふわりと微笑む。


「……あなた、優しいのね」

「い、いえ。ルクスさんのほうこそ」


 国を追放されてから、アイファと共に生きることに必死で、心の余裕なんてなかったけれど。ルクスのような美人に至近距離で微笑まれると、かあっと顔が熱くなる。


「…………」


 ぺし! と、アイファの尻尾がオディオを叩いた。


「わっ、なんだ、アイファ?」

「むー」


 アイファはぷくぷくとほっぺを膨らませている。

 あきらかに焼きもちなのだが、オディオには何がなんだかわからなかった。


「あらあら」


 一方、ルクスは全てを察し、微笑ましそうに二人を見守る。

 アイファは咳払いをする代わりにぴこぴこと耳を動かし、ルクスに告げた。


「アイファも、今までやなこと、いっぱいあった。でも、オディオと会えた。アイファも、みんな幸せがいい。――だから、頑張る」


 アイファは自分のパンを平らげると、ててっと歩いてゆく。


「ごちそーさま。アイファ、もっと特訓する。オディオは食べてていい。アイファのこと、見てて」

「あっ、おい。無理しなくていいからな! 怪我しないように気をつけるんだぞ!」


 アイファはオディオ達から少し離れた場所で、ぴょこんと跳躍し、ぱたぱたと翼を羽ばたかせる。

 けれど、まるで鶏が飛ぼうとしているかのように、バランスを崩してすぐ着地してしまう。


「……なんだか、見ていてハラハラしますね」

「そうなんですよね。ちょっと危なっかしくて」


 翼の怪我はもう完全に治っている。アイファが飛べないのは、精神的なことが原因だ。

 一体、どうしたらいいのだろう? 心の傷に、薬なんてものはないのかもしれない。だからこそ、急かすような真似はしたくなかった。

 ルクスが集落に帰っていった後も、オディオはアイファを見守り続け――

 日が暮れるまでアイファの特訓は続いたが、彼女は空を飛べなかった。

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