第38話 血は黒く恋
「ねえ、あ、すか……」
僕が名前を呼ぶと、飛鳥は僕にさらに近づこうとした。彼の身体に黒い縄状の物が、酷く食い込んで痛々しいのに、必死に僕へと手を伸ばす。美咲さんは怒りのまま声にならない叫びを上げると、飛鳥を僕から遠くへと引き離した。
「近寄らないで!」
甲高い激高。離れた床にドンッと落ちる衝撃と、飛鳥のうめき声が聞こえる。
「あ、すか、まっ、て、あす、か」
身体を動かせない僕は天井を見ながら、うわごとのように飛鳥の名前を連呼する。血を吸いとってもらえたので、呼吸が少し楽になったとはいえ、確実に徐々に生気がなくなっていくのを感じる。
声もどんどんと小さくなっていった。
「なんで、梨雨くんはいつも、こいつばかりなの」
飛鳥の代わりに、僕の前に現れたのは美咲さんだった。
すでに彼女の面影は、半分だけ残った顔だけだ。その顔も、化粧が崩れており、いつもと違い悲壮感が溢れていた。
彼女の瞳からは絶え間なく黒い涙が流れ、彼女の腕が髪だった場所を掻きむしる。
僕は彼女からの問いかけを聞き、少しだけ息を吸った後、心のままに応える。
「すき、だから」
「裏切られたようなものなのに、好きなの」
小さく一回頷いた。何度だって傷ついた好きだ。だからこそ、傷は深く痛み忘れない。
番組でまだまだ未熟な僕を、ここまで引っ張り上げてくれたのは、飛鳥なのだ。悲しい事実以上に、彼の様々な相談に乗ってくれたのだって、飛鳥だ。
飛鳥と同じアイドルグループで活動したかった。一緒に舞台を作り上げたかった。飛鳥とならどこへでもいけると思っていた。彼がアイドルにならないと選んだ時、それでも一緒にいたくて、ダンスの振り付けをお願いしたのだ。
「俺も、好きなんだ」
遠くから飛鳥の声が聞こえた。異常事態だったからか無意識に酷使したのだろう、潰れて掠れていた。
「だから、情けない姿を見せたくなかった」
なんだか、中学生男子のような。
「かっこつけて、いたかった」
彼の表情は見えないけれど、だんだんと涙声へと変わっていく。
「認められない自分を、知られたくなかった」
飛鳥なりの弁解なのは、よくわかる。
今まで隠されていた彼の本心。飛鳥も一人で悩んでいたのだろう。
「だから、喉がおかしくなった時、正直天罰だとおもった」
ずきりと僕の胸が痛む。飛鳥の喉の調子が悪くなってきたのは、確かにあの大きな騒動があってからだ。
「ち、がっ、あ……」
しかし、それは天罰ではない。彼の努力に喉が耐えられなかっただけだ。そう伝えたいのに、気持ちを言葉に出来ない。どろりと喉の奥から、血がこみ上げて、気管に溜まる。また、喉を塞がれた。
「歌えない、足手まといになりたくなかった」
必死に鼻で呼吸するが、鼻にも血が流れていたからか、奥の方で固まって酷く詰まっていた。
「本当は梨雨とアイドルをやりたかった。変に、意地を張らずに。梨雨の手を取ればよかった。手術だって、方法がない訳じゃない。でも、俺が、俺が……」
もっと早く聞きたかった言葉。でも、飛鳥が僕と同じように思っていた事実だけで満足だ。
「本当に、俺のせいだ」
酸欠のせいで、目の前が霞む。あと少しで、僕は死ぬだろう。最後はアイドルとして、ステージの上か。どちらかというと、ロックスターがやることだ。
けれど、どうしても彼に伝えたい僕の本心があった。
僕は身体無理矢理起こした。身体には黒いどろどろとした液体が、僕の身体に優しく纏わり付いていた。腹は不自然に凹み、肋骨あたりも左右で形が変わっている。腕も変な風に折れ曲がっており、足には力が入らない。
頭からも出血していたのか、たらりと僕の目や鼻の上に血が流れていく。
衣装は血やらなんやらで、元に白さを失い、赤黒く染まっていた。思った以上の惨状、会場も無残な姿になっており、所々が黒く汚れていた。僕は客席の最前席で縛られ動けない飛鳥を見下ろす。見上げた飛鳥も、全身黒くどろどろにまみれて、額を切っているらしく、血がだらだらと垂れていた。
大丈夫かな、痛くないかなと、自分のことを棚に上げて心配してしまう。
「ぼ、くは」
ぐらりと前向きに傾く身体。美咲さんが、僕の身体を支える。背中も骨が折れていそうだ。
「それで、も」
ひゅーひゅーと酷い呼吸だ。一言を発する度に、口から血が流れていく。
「あいして、るんだ」
最後の最後に微笑む。ああ、そんな悲しい顔をしないでほしい。
「みさき、さんも」
「梨雨くん」
「いつも、ありがと」
出せる声の限界でお礼を言えば、僕の身体を守るように纏わり付いてたドロドロが、僕の身体をぎゅっと優しく抱きしめた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
すすり泣きながら小さな声で僕に謝り続ける。その声を聞いて、夢の中の囁きとやはり一緒だと思った。
一体、彼女に何があったかのか、僕にはわからない。けれど、やっと飛鳥の拘束が解かれる。自由になった飛鳥は足を引きずりながら、ステージへと上がる。
手を伸ばそうとするが、もう限界だった。右目の視界は黒に染まり光も何も見えない。左目の視界も霞みはじめ、視点が定まらなかった。
飛鳥の悲しい顔が目の前にあるのに、慰めることも出来ないなんて。
口からも力が抜けて、後は死ぬだけだった。
飛鳥の後ろに、ゆらりと一瞬にして人型が表れる。それはあの、『みるく』だった。といっても、体中はすでに腐り落ちていた。ただ、彼女の視線は飛鳥に降り注がれる。彼女の手には、会場に転がっていた椅子が握られていた。
何でここに居るのか。
「アアアアアアア!!!」
椅子が高く振り下ろされる。飛鳥の頭に、向かって。飛鳥も流石に気づいたのか、後ろを振り向く。
全てがスローモーションに見える。
飛鳥。駄目。死んだら駄目。飛鳥だけは、駄目。
僕の意識もついに切れた。
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