第32話 分かれ目
突然の脱退報告の後、彼はグループメッセージを退出した。彼のとんでもない行動に、キレただろうリーダーの罵詈雑言メッセージが連なる。
抜けてしまったら見えないのに。
『そんなふざけた理由で、納得できるか』
リーダーの文字の向こうで怒号を上げる姿が目に浮かんだ。この数日間、皆必死に探していたのに。
こんな無責任なことをされたら、誰だって怒って当然だ。
けれど、僕は彼の言葉を見て、正直羨ましかった。
辞めたいな。
正直、もう続ける意味が、無くなってしまった。
飛鳥の言葉が、僕の中でアイドルをやる軸だったのだろう。ファンの皆を幸せにすると言っていたのに。
大切だった軸が、折れてしまったら、何も僕には無かった。
『僕も、辞めたいです』
気付けば、メッセージを入力欄に打ち込んでいた。送信ボタンの上に、親指を
こういう、意気地なしだから、飛鳥も嫌になったのかな。
また、母親からも連絡が来ていた。
ミュート設定されたメッセージ画面に、細切れに送られてきた文章の多さは相変わらずだ。
『一度、帰ってこない? 都会は冷たいって聞くわよ』
『大学受験するなら、お母さん、お金を出すから』
『ストーカー行為だなんて、都会は事件ばっかりで怖いところでしょ』
『バラバラ死体だなんて、もし梨雨に何かあったらお母さん悲しいわ』
他にも心配な文字が連なっており、一見は優しい母親に見えるだろう。実際には、どちらかというと過保護で世間体を酷く気にする母親だった。僕がアイドルになると決めた際も、最後までやんわりとした口調で認めなかった人だ。
母は心配と言うよりも、手元を離れることを嫌がったという方が近いだろう。恐怖心や不安感ばかりを煽るメッセージばかり送ってくるのだ。
それなのに、田舎の緩さからなのか、住んでいる場所や連絡先を近所に簡単に教えてしまう。
知らない地元の人からいきなり連絡が増えた時は、正直怖かった。
そんな母親を危惧してか、父は僕のために母が押しかけないように見張ってくれている。
ただ、母親だけではない。
次から次へ、火の粉のように降り注ぐ通知。
友人や、アイドル仲間や、知り合いや、名前と顔が一致しない人ばかりが、連絡をしてくれる。本当に心配している人もいるだろうが、一部は野次馬的なところもあるのかもしれない。
メッセージを消すことも出来ない。その間も、新たなメッセージ受信の通知ポップアップが画面の上部に表れる。
飛鳥からだった。ポップアップにはメッセージ本文の一部だけ。
『話がしたい』
スマートフォンの電源ボタンを押す。明るかった画面は黒一色へと変わる。暗い画面にうっすらと映る情けない顔は、諦めたようにため息を吐くと、スマートフォンを近くにあった棚に置いた。
僕は、逃げたのだ。
毛布を引きずり、本来の布団の中へ潜る。
それから、毎日夢を見た。
どれもこれも、飛鳥と過ごした日々の記憶を眺める夢だった。
いつだって、僕がいるのは汚れも傷も酷い畳の部屋だ。剥がれてほぼ下地しかない土壁、天井には汚い染み。室内には、ノートパソコンとブラウン管のテレビがぽつんぽつんと置かれていた。安っちい敷き布団はカビに塗れ、なぜか据えた匂いが充満している。
部屋の窓には、夜空と電柱のコードがよく見えていた。
初めて出会い、一緒に練習した日々、ライバルとして戦った時。テレビやノートパソコン、時にはスマートフォンに映し出される。
しかし、見終わると黒い液体によって、塗りつぶされる。そして、耳元で囁かれるのだ。
『あいしているよ、ずっと』
小さく、早く、一息で言われる言葉。
掠れた女性の声。小さなロウソクの炎が消える瞬間のようだった。
生暖かい黒いドロドロが僕を包む。包み込んで……。
そして、また朝がきて、僕は起きる。
決まって、頬や目の端は涙で濡れていた。
前までなら怯えて飛び起きる夢なのに、今は不思議と怖くない。
僕の誕生日は、最終的に小さなトークショーが出来るバーへと会場が変更になった。
予約できる店は限られており、たまたま上野にあるバーだけが空いていたからだ。元々のライブ会場は現在も調査中で、連日ニュースを騒がしている。
お腹がすいた。
僕はゆっくりと立ち上がる。ここ最近食欲も湧かず、空腹感も薄かった。それでも、死にたくはなくて、冷蔵庫の中やキッチンにあったカップラーメン、スポーツドリンク等を胃に流し込む。
期間限定のたっぷりチーズカレーヌードルは、流石に胃にきたが。
それが終われば、ただ静かに、スマートフォンから音楽アプリを起動する。
最近再生した曲を、そのまま選択した。
去年、日本中で人気のトップアーティストの曲。
高音が美しく、少年が大人へと成長する瞬間を切り取った優しくてソウルフルなバラード。
誕生日イベントに選んだ曲で、二十歳になる僕には丁度良い
僕は近所を気にせず歌い始めた。実は両隣や下の部屋の人は引っ越していった。特に下の人は落ちていく瞬間を見ていたらしく、心にダメージを受けてしまったようだ。
僕は、思考を手放して、最初の一音を口から吐き出す。やはり、歌う瞬間が一番何も考えなくていい。悩まなくていい。音楽というのは、嘘がつけないし、美しいものだから。
散々歌った後は、部屋にあるのど飴を舐める。少し高いのど飴は、たまたま部屋で見つけたので、いつかの差し入れなのだろう。最近人気なくまのキャラクターが描かれていた。
あと数実で、僕の誕生日イベント。未だやめたいと書いたメッセージは消せず、返信も出来ていない。
飛鳥のメッセージの未読数も増える一方だった。
結局辞めたいと言えず、僕はイベント当日を迎えた。
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