第31話 道は分かれていた
絶句している僕に、彼女は畳みかける。
「知らなかったでしょ。ちゃんと私はこの耳で聞いたんだからね!」
すでに投げやりに嘲笑う彼女の向こう側、呆然とする飛鳥と目が合う。その目は動揺し、いつも自信に満ち溢れている姿とは真逆だった。
飛鳥は、嘘をつかない。
彼女が嘘を言っていたら、激昂して反論するはずなのに。止められない彼の姿が、先程の彼女の言葉を裏付けていた。
身体が、芯の中から凍てつく。風呂上がりで、まだ髪の毛は乾いていない。毛先から滴る水に濡れる肩がすごく冷たく感じた。
「だから、アンチアカウントに、売ったのよ。あんたたちの情報を逐一」
彼女の目は、完全にキマっていた。もう全てぶちまける気だと。
「あいつらなら、勝手に加工でもなんでもして、なんかやるって考えて」
どこか
「ほんと、あんなに、上手くいくとは思わなかった」
吐き出された音は、酷く震えている。
「ずっと、飛鳥の夢を叶えるために、私も頑張ってきたのに」
乾いた笑いを交えながらでないと話せないような、彼女が今まで抱えていた事。よく見れば、強気な表情とは裏腹に、身体もまた声と同様に震えていた。
「飛鳥のこと、大好きだから。振り向いてもらえなくても、今だけでも飛鳥の一番近くに居られるなら、飛鳥の夢を支えようと思って」
嗤いながら泣く彼女の手が、未だ呆然とする僕の胸ぐらを掴んだ。
「それを、お前がぶち壊したんだ。飛鳥が私に泣き言を吐くほど、悩むくらいに! お前のせいだ!」
信じたくなかった。
僕、嫌われていたのか? 何で?
疑問符は常に浮かび続ける。
しかし、飛鳥は未だ何も反論しない。僕の視界に映る飛鳥は、申し訳なさそうに眉を寄せている。いつもより二回りほど小さくなったように見えた。自分の心の中に生まれた、どろりとした感情がぐるりぐるりと渦巻く。
「なのに、なんで、今もアンタと一緒にいるのよっ!」
彼女の悲痛な叫びと、僕のどろどろとした気持ちが結びついた。
そうだ、何故、僕と一緒にいてくれるのか。
視線は今も飛鳥を捉えているが、一向に答えは返ってこない。朝日で明るい部屋なのに、視界は滲み、何も見えなくなっていく。
「飛鳥、ごめん。迷惑だったよね」
「梨雨……」
頭を下げた僕に、飛鳥は短く名前を呼ぶ。
飛鳥は嘘をつけない。病的に苦手だと、出会ったときに話していた。だから、どこか僕を迷惑に感じていた気持ちはあるのだろう。僕は彼女も、飛鳥の横もすり抜ける。そして、ぱっぱっと自分の少ない荷物を取りに行った。
「梨雨、待て、どこにいくんだ」
「
飛鳥の制止を緩く振り切る。彼の表情を見る勇気は無かった。
飛鳥の部屋から、挨拶もろくにせず、逃げるように出て行く。久々に帰ろう、自宅へ。刑事さんにまた電話を掛けて、僕は最寄り駅へと足早に駆けていった。
気づけば、懐かしい自宅のマンションのエントランスに到着した。
実はいつでも帰宅しても良かったらしい。ただ、忙しくて、僕への連絡が漏れていたのだ。住人の何人かは僕に気付くと、ひそひそと話しながら目を逸らす。元々近所付き合いはしていないが、事件のこともあって露骨に避けられているだろう。けれど、寧ろ今は話しかけられず好都合だった。
部屋に戻り、僕は一直線にベランダへと向かった。ガラス窓を開けて、柵から下を見下ろす。昼前の太陽が燦々とした世界。
当たり前だが、もう『みるく』の死体はない。
しかし、僕の視界にはあの夜の出来事はこびりついていた。血を流しながらも、僕を見上げる彼女。痛みも、横切る風も、流れる血の熱さも、なんだか伝わってきた。
ベランダから部屋の中へと戻る。彼女が最後みた光景は、この部屋と恐怖に怯える僕だ。
日差しが差し込んだ先には、かつてアイドルを夢見て、まぶしい笑顔を浮かべる僕のポスターが飾ってある。
最初の曲を出した時に、予約購入者特典として作ったポスターだ。
最初に僕の手でポスターを渡したのは、飛鳥だった。
「アイドルとして、これからも頑張るよ」と報告したのだ。
グッズの一つ一つ、CDも、思い出も、ほとんど全部に飛鳥がいる。
「なんで、飛鳥は、僕に」
一番アイドルになるために生まれてきた奴だと思った、なんて言ったのだ。
衝動のまま、身体は動いた。
ポスターの上を掴み、下に腕を引き下ろす。厚めの紙が音を立てて、激しく破れる。剥がされた衝撃に耐えられなかった金色の画鋲が、からんと床に落ちる。
僕は自分の足下へと視線を落とし、頭の重みに逆らえず、足はぐらりと床についた。ポスターは歪な紙片と化して、裏面の白面を晒していた。
視界はだんだんと滲み、白と床の色の境界を失っていく。生温い暖かさが目尻から床へ。ぽたりぽたりと小さな水たまりを作る。
「飛鳥がいうから、アイドルになったのに」
喉がすぼまり、キンキンとした汚い音。呼吸も、思考も、上手く出来ない。
「もうっ……やめたい」
僕の身体は言葉を紡ぐのを止め、小さな石のようにうずくまった。
泣いて、すべての涙を流しきった後、疲れからか僕は寝てしまった。目を覚ますと、すでに外は暗く、赤い夕日の光が美しかった。目が腫れて、頭も身体の節々も痛い。
夢は見なかった。
『ごめん、グループを辞めます。旅に出るので探さないでください』
もう一人のメンバーからだった。
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