ずっと、あいしているよ

第30話 選ばなかった道


 次に瞼を開けば、飛鳥の部屋の天井だった。柔らかな朝日が僕に降り注ぐのに対して、服がぐしゃぐしゃに濡れるほど汗が噴き出していた。爽やかな朝の始まりとは思えない。チラリと隣に視線を向けると、飛鳥がぐっすりと眠っていた。


 どくり。心臓が強く跳ねた。


 ああ、鮮明な光の夢で見た光景に引っ張られているのだろう。

 頭を横に小さく振って、頭を無理やりリセットする。

 風呂に入りに行こう。

 微かないびきを鳴らす飛鳥を起こさないように、静かにベッドを降りると、足早に風呂へと向かった。


 やはり汗を流すと、心地よい。

 少しだけ冷ためのシャワーを浴びている最中は、思考がクリアになっていく。

 目を閉じれば、水飛沫の音とヒノキの石けんの香り。飛鳥のお気に入りをそのまま借りていた。

 鏡に映る僕の首には、絞められた際の赤い痕が薄く残っていたが、。いつぐらいに消えるのか、ちょっと気になるけれど。

 ふうっと、一つため息を吐いた時だった。


 ピンポンピンポンピンポーン


 激しく打ち鳴らされるチャイム。


 リラックス気分だったのが一変した。何事かと思わず、玄関の方に顔を向ける。そして、すぐに風呂場から上がるために、シャワーを止める。

 何事だと思っていると、壁の向こうから微かな声と、足音がとんとんと床に響く。飛鳥が起きたらしい。

 僕は外に出るべきだろうかと、一瞬躊躇する。宅配だったら、僕がいなくとも問題ないはずだ。ただ、宅配員がこんな激しいチャイムの鳴らし方をするだろうか。思案したほんの少しの間に、がちゃりと鍵が開く音が聞こえた。


「飛鳥! あいつ・・・はどこ!?」

 大きく響く女性の甲高い声、それは飛鳥の幼馴染みの声だった。声からも彼女の怒りの強さがひしひしと伝わる。


 あいつ・・・が誰かなんて、考えるまでも無い。僕のことだろう。


「隠したって、無駄だから!」

 慌てて風呂場から出た。身体をタオルで乱雑に拭き、どうにかズボンとTシャツを着る。下着を用意するのを忘れてしまったのは、現状かなり痛恨のミスだ。

 しかし、向こうから、幼馴染みの彼女がヒートアップしていく。

 脱衣所から、僕に対する聞くに堪えない罵詈雑言とはこの事だろう。


「飛鳥も、なんで! あいつのせいで、こんな危ない目にあってるのに!」

「落ち着け、梨雨はなにも悪くないだろっ」


 飛鳥の困惑しており、大声を出してはいけないのに、彼女を宥めるために声のボリュームが上がってきている。これ以上、彼に無理をさせてはいけない。二人の姿が見えると、飛鳥に対しても珍しく喧嘩腰の彼女に、困惑しつつも不機嫌そうな飛鳥。


「おはようございます」

 なんと声をかけていいかわからず、大きな声で朝の挨拶をぶつける。

 二人は一瞬の静けさの後、僕の方を向いた。

 そして、誰よりも最初に動いたのは、幼馴染みの彼女。飛鳥をすり抜けて、僕に向かって手を振り上げた。


 ああ、叩かれる。


 目を瞑った僕に対し、我に返った飛鳥が、彼女の手首を強く掴んだ。


「離してよ!」

 キンッと、耳の奥が痛くなる。彼女と僕の距離は五センチもない。間近で女性の血走った眼を見るのは恐ろしかった。

「やめろ、落ち着け」

「うるさい! 飛鳥のために、私がどんだけ頑張ってきたのか・・・・・・・・!」

 叫ぶ彼女に、僕は思わず怯む。火事場の馬鹿力なのか、彼女は必死に藻掻く。飛鳥もあまりの暴れ方に、抑え切れていない。

 しかし、理性を失った人間は、時として性別の壁を超える。一瞬緩んだ隙をついたのか、彼女の手は飛鳥を振りほどき、僕の頬に手を振り下ろした。


 乾いた音が響く。


 肉を叩く音、骨まで染みる刺激が僕の顔を、脳を震わせた。少し遅れて、じわりと熱さが頬に広がる。


「なんで、あんたは、いつも邪魔するのよ!」


 いつも・・・。確かに、僕は飛鳥に迷惑をかけてきた。彼女の目に、邪魔者だと写っても仕方がない。ずっと敵視されているのは知っているし、ちょっとした嫌がらせをされていたことも気付いている。


「あんたが居なければ、飛鳥は夢を叶えられたのに」


 あの大きなスキャンダルが無ければ、飛鳥も僕もアイドルに成っていたかもしれない。彼女の叫びを、黙って聞き入れる。しかし、この後、僕は予想だにできないことを彼女は口にした。


「飛鳥が、あんたとデビューしたくないって言うから! 頑張って、小細工したのに!」


 僕は思わず、耳を疑った。

 

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