第29話 手段は選ばない

 

 なんて、言ったの。

 僕の喉を絞める力が更に強くなる。そして、悲痛な叫びが木霊する。


 ぉご、んォ、ゎだヂ、 んぁにぃ……!


 キンッと鼓膜を破らんばかりの高い声や、かすれた低い声、アニメみたいな声、無機質な声。様々な声が複合し、不気味で不快な音として響き渡る。重なる声の中には、聞き覚えのある声が微かに混じっていた。

 誰だっけ、この声。じわじわと掠れていく視界、ああ、意識の糸がもう少しで切れてしまう。

 ボタボタとした液体が、僕の顔を濡らしていく。その時、僕の記憶にぴんっと結びついた。売れていたら気付けなかったが、売れていないからこそ、大切なファンの声を間違えることはない。


 暗闇に浮かぶ瞳、うるると歪む目玉の輪郭。ああ、このどろどろとした液体は、彼女の・・・涙だ。


 ワダジ、ナノ、二ィイ……!!


 悲しいのか。そうか、僕が飛鳥の言葉を鵜呑みにして、別の人ではないかと疑ったから。彼女は、怒ったのだ。

 あれだけ、自分だとアピールしていたのに、間違えられたら誰だって嫌か。


「   」


 彼女の名前を呼ぶ。締められて針すら通せないような気管なので、音になったかは怪しい。けれど、彼女の瞳がふるふると震えたのが見えた。


 胸に引っかかりを感じていたものが、すぅっと消えていく。恐怖も解き放たれ、身体のこわばりは解き、視界は全て黒に染まる。暗い暗い、黒の世界へと僕は落ちていった。


 気付けば、僕は顔も服もない人間の形をした有象無象の中に一人立っていた。目の前には、うっすらとステージの輪郭がふんわりと浮かんでいた。客席としては、前には十人ほどが詰まっており、センターよりも右にずれていた。


 爆音とともに、幕が開く。


 なんともチープな音の始まりに、僕の心はじくりと何かが刺さったように痛くなる。

 この曲は、『プリンス☆トリガー』のデビュー曲だ。

 いつ聞いても、お金が掛かっていない曲だとわかってしまうメロディと歌詞。野暮ったくて、ダサい曲だ。リーダーも友人価格で頼んだことを後悔していたが、資金や時間的に作り直せなかった。 


 光り輝く鮮やかなスポットライトの中、若かりし僕がいた。

 解れも汚れもない、まだ真新しい王子様衣装。染めたての銀色の髪色を揺らし、ぎこちない笑みを浮かべている。

 相変わらず、下手なダンスだ。顔がぼやけた男たち二人の合間を縫うように、必死に手足を動かしていた。それでも、伸びやかな歌声は真っ直ぐに、美しく僕の鼓膜を痺れさせた。

 僕の手には、ネームボードが握られて、細くて小さいペンライトが白く光っていた。今の僕自身も綺麗に整えられた指をしており、とぅるりと艶めくネイル。この日のために準備してきただろう、真新しい服や靴にかわいいワンピース。


 緊張しているだろうステージの僕は、キョロキョロと視線を動かして、辺りを見渡していた。ファンらしき子を見つけると手を振り、笑いかけ、ハートを飛ばす。

 パターンは少ないが、一生懸命さだけはよく伝わった。しかし、耳の奥で彼女の声が響く。


 ワタシヲ、ミテ

 ソンナブス・・ヨリ

 ワタシヲ、ミテヨ

 ソイツヨリ、ワタシノガ


 声に出さない悲痛な叫び。僕が手を振るたびに有象無象の顔を確認する。ぼやりと浮かんでいた相手の顔が、一瞬だけ輪郭を捉えた。敵を頭に焼き付けるように、ぐちゃりとどろりとした感情が胸から湧き上がり、口から溢れそうだ。


 ただ、ステージで踊る僕がようやく、客席から眺めるに気付いた。視線が合った瞬間、ドロドロと酷い感情が霧散し、光が目の前にぱあっと散る。


 レイザービームも、フラッシュも、星も、太陽も、勝てない眩しい光だ。


 ステージの上で、嬉しそうに笑った僕は、片手で半分のハートを作り、僕に向けた。。

 通常、手のハートは、一人が両手を使うもの。この手のハートを二人で片手ずつ、一緒にハートを作ろうというファンサービスがアイドル界隈では人気なのだ。僕も、僕に・・促されるまま、ゆるりと片手を伸ばす。


 ステージ上のアイドルスマイルを見せる僕の・・ハートは遠近時に小さくなり、客席の僕のハートは大きい。

 なんとも、いびつでバランスの悪いハートだ。


 リウ、カワイイ

 リウ、セカイイチ

 リウ、ダイスキ

 リウ、アイシテル


 思いつくばかりの愛を表す言葉は、舞い踊るかのように頭の中で跳ねている。

 けれど、幸せな時間はなんとも刹那だ。

 ステージの上のは、すいっと次のファンへと視線を移す。あっ、と少しばかり残念な気持ちになるが、こればかりは仕方ない。

 ワケがない。

 視線は次のファンの顔へと移る。一秒にも満たない時間で捉えた顔を見て、燃えさかる炎とどろりとしたものが、脳天までばあっと到達する。

 次のファンは、僕もよく知っている人だ。


 キライキライキライキライ!

 ナンデイルノ、シカイニハイルナ

 カオモミタクナイ

 

 彼女にとって、一番嫌いな同じ推しのファン同担なのだろう。

 金切り声がヒートアップし、僕の頭の中をズタズタにするように酷く荒れるが、少しの理性が彼女のぎりぎりな気持ちを必死に抑えつける。仕方ないという、大人の諦めが彼女をどうにか人間に押しとどめていた。


 一人のメンバーを応援するファンにとって、推しはこの世に一人しかいない。

 しかし、推しにとって、自分のファンは何人もいるのだ。ファン全体の母数が上がれば上がるほど、自分は推しにとって何十人、何百人、何千人の内の一人という小さな存在になっていく。

 そうしたら、先程のような刹那も訪れなくなってしまう。

 彼女もよくわかっている。しかし、感情というものは儘ならない。


 一曲目から続けて流れる二曲目もまた、とてもチープな曲だ。デビュー曲CDの中にある収録曲だが、逆にチープだからこそ楽しく盛り上がれる曲である。僕は結構好きな曲だ。一生懸命客席を盛り上げるに合わせて、身体がぴょんぴょんと動く。ペンライトも振り上げて、大声で曲に合いの手を入れる。応援掛け声というもので、公式からファンに向けて作成しているものだ。ファンたちの声を聞くたびに、僕は凄く嬉しくなる。


 タノシイ、カワイイ、リウクン、カワイイ


 先程と違い、盛り上がっているからか、気持ちは曲と僕へと向けられる。細かいパートも多く、個人へのファンサービスが難しい曲なのもあるだろう。歌い踊り、笑い、叫ぶ。

 ああ、そうだ、ライブって、楽しいものだった。


 気付けば、僕は涙を流していた。わからない、なんで泣いているのか。目の前に広がるキラキラと光る世界に涙が止まらない。


「皆さん、幸せですか!」

 ステージ上の僕は満面の笑みで、客席に問いかける。コールアンドレスポンス、客席からは甲高い歓声が上がる。勿論、客席のも歓声を上げた。

 そんなステージ上の僕が客席を優しい笑顔で見渡す。まるで天使のような、王子様のような慈愛の姿に、愛おしさと強い欲情が爆発する。

 

 モット、ワタシヲミテ

 モット、シアワセデイテ

 モット、ソバニキテ

 モット、モット、モット


 けれど、そんなステージ上の僕は、ある一点を見つけた。遠く遠く、ステージの後ろを見る僕。は、僕の表情に息を呑む。


 あんな表情、僕も知らない。


 美しく、切なく、幸せそうな笑顔を花咲かせる。

 は視線を辿るように、ふっと後ろを向く。そこには、一番後ろの壁に寄りかかるように立って、小さく手を振る飛鳥の姿があった。


「愛してるよ、ずっと!!」

 敬語も忘れ、感情のまま、客席に響き渡る僕のストレートな愛の言葉。慌てて振り返ると、楽しそうに、幸せそうに、ステージの上で頬を緩ませた僕がいた。

 黄色い声援で会場を埋め尽くす中、一人だけが呆然と僕を見ている。


 アィ、シ……デ、ィル、ヨ……ズッ、ト


 反芻される言葉と、溢れる苦しさ、やり場のない気持ち。ああそうか、彼女の目には、こう映っていたのか。

 あまりの出来事と、眩しさだ。ああ、知らなければ良かった。気持ちをかき乱され、もう直視できないは強く目を瞑った。

 

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