第28話 目的のための手段


「嘘だろ、俺の家にまで」


 飛鳥は床に落ちた黒く染まったチケットと、『みるく』のアカウントを交互に見る。顔は真っ白を通り越し、青ざめていた。飛鳥だけではない。タイムラインにいるファンたちも、再び訪れた異変に気付いたのだろう。通知バッチの数値がぐるぐると上がっていく。

 美咲さんも、アヤネも、遭遇した女子高生も、『やゆよ』も、他のファンたちも大騒ぎしていた。

 特に『やゆよ』は、「こんなやつと話してるとか、アイドルとして正気?」と投稿しており、他のアンチアカウントたちも「男は誰なのか」と食いついている。

 飛鳥のアカウントにも、いくつか連絡が来ているらしく、どこか忌ま忌ましそうに飛鳥はスマートフォンの画面を睨み付けていた。

 ぽちぽちと早く指の動きから、何かしら返信しているようであった。


「ホテルとかに避難したほうが……」 

「金ねぇだろ」


 少しばかり声を荒らげた飛鳥に、僕は身体をびくりと震わせた。


「そうだけど」

「警察には相談しよう」


 飛鳥の言葉に僕は意を決して、あの『みるく』の事件を担当している刑事へと電話することにした。実は何度か連絡しようと思ってはいたが、刑事さんや警察相手という心理的な壁の高さは、普通の人間も感じるのではないだろうか。結果、先延ばしにしまっていた。

 今は、うじうじと戸惑う余裕はないため、意を決して電話を掛ける。


 数回のコール音の後、聞き覚えのあるフランクで元気な声が聞こえた。刑事さんだ。彼はかなり好青年という印象のお兄さんで、優しい声色で「どうかしましたか?」と僕に尋ねる。彼の様子から、僕からの急な電話に驚いているようだった。

 訪ねられるがままに、刑事さんに今起きている異常事態のことを一部始終話した。困ったような声で少し唸った後、酷く心配そうに「それは、災難でしたね」と僕を労る。そして、彼もなんと答えるか悩んでいるのか、小さく「ううむ」と鼻を鳴らした。


「私からは何も言えないのですが、もしかしたら、彼女の身近な人が、該当のアカウントにログイン出来る可能性もあります。こちらでも、アクセスログを辿ろうかと思いますし、そちらの管轄に見回りを増やすように要請はしてみます」


「ありがとうございます、助かります」

「いえ、直接的な対処ができず申し訳ないです。可能なら、監視カメラかペットカメラ等を設置するのをおすすめします」

 根がいい人なのだろう、終始対処できず申し訳なさそうな様子だったが、優しいアドバイスにむしろ感謝だった。スマートフォンはスピーカーONにしていたので、飛鳥の耳にも会話内容は聞こえており、安心したように息を吐いた。幾分か彼の顔に血色が戻ってきた。


「なんだ、人間相手か」

 安堵した口ぶりで、ぐたりと机に伏せた。


「人間相手って?」

 僕は飛鳥の脈絡のない言葉に首を傾げた。


「今までの状況からあの女が化けて出てるのかと、ほんのすこーしだけ思ったんだよ」

「『みるく』さんじゃない、ってこと」

「さっきの警察も、気をつけろって言ってただろ。心当たりがあるんだよ、きっと。他に犯人か、または共犯がいるんだと睨んでるんだろうな」


 そうなのかな。確かに刑事さんはどこかまごついて、言葉もどこか遠回しな表現だった。僕的には心配してくれているのかなと単純に考えていたが、飛鳥的には犯人の目星がついているかのように聞こえたようだ。僕は今一度、先程の刑事さんの言葉を思い出してみる。


 ―― 彼女の身近な人が、該当のアカウントにログイン出来る可能性もあります。


 この身近な人というのが、共犯者という事なのだろうか。そして、今の『みるく』は誰かが装っているということか。


「対人間ならどうにかなるな。ペットカメラ、四千円くらいだし、割り勘で買うか。てか、買うぞ」

 すでにネット通販でペットカメラを買い物かごに追加した飛鳥に、僕は小さく返事をする。何はともあれ、ペットカメラを購入するのは賛成だ。

 寝室に入ってきているのは確かなので、明日まではなるべく二人で過ごそうと話し合う。


「てか、さっきのチケット、片付けないとな」


 チケット、床に落としたままだ。僕は視線を向けると、チケットはいつの間にか溶けており、黒い液体だけがあった。


「……チケット、溶けた?」

「まさかな」


 本当に人間の仕業なのか。

 僕はますます疑問を強く感じた。


 黒い汚れは拭き取り、風呂に入った後、飛鳥の部屋で寝ることにした。流石に今夜別々の寝室を使うのは、お互いに怖かったよう。僕が一緒にとお願いしたところ、普段なら最初は嫌がるのに、「仕方ないな」と簡単に了承された。

 電気を消して暗い寝室で、二人並んで眠る。


 といっても、眠りは浅く、ふっと目覚めては寝て、目覚めては寝てを繰り返す。

 一度起きてしまえば、横では飛鳥のいびきが聞こえ、空調の音も気になってくる。

 無理矢理にでも目を閉じるが、一向に眠れない。けれど、睡魔は強くなるため、ずっとうとうとと夢心地だった。

 どうしようかとぼんやりと天井を眺めていた。


 ずしり。

 急に足先に重さを感じた。そして、ずしりずしりと足先から頭に向かって重さが這いずるようにのしかかる。


 足先。すね。膝。太股。尾てい骨。腹。胸。

 腕も、肩も、顔も、動かない。金縛りなのか、何かに押さえつけられているのか。身体はマットレスの底へと無理矢理沈められている。


 瞼すら閉じることを許されず、唇もはくはくと空気を吸うだけで、声も出せない。耳には規則的な飛鳥の寝息は聞こえるだけ。

 どうすればいいのか。飛鳥、助けて、起きて。音にならない焦りが、身体の中で駆け巡る。

 閉じられず乾く瞳の端から、ぬうっと黒い塊が目の前に現れた。


 目玉が二つ。取って付けたような真ん丸な瞳が僕を見下ろしていた。ぐるりと、首に何かが巻き付く。まるで、人に首を絞められるような。緩い圧迫感。息苦しさに顔をしかめる。すると、ぼたぼたと僕の顔に黒い塊から、冷たい液体が降り注ぐ。


 閉める力は更に強くなり、呼吸が出来ない。


 苦しい、助けて、飛鳥。


 ああ、僕、死んじゃうんだ。

 僕の目から涙が落ちていく。目玉は僕をじっと見下ろし続けていた。すると、二つの目の下辺りが、ぱかりと横に割れる。


 ぁ……な……ぉ、に……


 微かに、僕の耳に何かが聞こえた。



 

 

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