第27話 訪問者の目的


 手に取った紙をよく確認する。表面は薄い黄緑色で印刷された文字が並ぶ。熱さも質感も記載内容も、レシートからほど遠いが、僕にとって馴染み深く懐かしいものだった。


『プリンス☆トリガーデビューライブ:ファーストフラッシュ』

 僕がデビューしたライブチケット。会場名には、今騒ぎになっている横浜のライブハウスの名前が印字されている。ファーストフラッシュ、「王子様といったら紅茶だろう」という謎の連想ゲームによって、年始めに摘まれた新茶と、初めての閃光という意味を込めて選んだ名前だ。

 そう、僕のアイドル人生は、ここから始まったのだ。当時はもっと輝かしい道を歩くと思ったけれども。


 しかし、なんで、このチケットが冷蔵庫の中に。

 飛鳥は当時振り付け師のスタッフとして手伝ってくれていたため、チケットは持っていなかったはずだ。

 僕は嫌な予感を抱きながら、チケットを裏返した。


 ひゅっと、息が詰まる。予感は的中し、身体がふるりと震えた。チケットの裏面には、間違いなく、自分の直筆のサインが書かれていた。思えば、このライブではチェキ会もサイン会も実施されており、チケットにサインがほしいという人も何人かいた。特に禁止事項ではなかったため、僕たちも快くサインしていた。


 サインの隣には同じ筆跡で、短いメッセージもあった。

『幸せにするよ、ずっと』


 背中に冷たい汗が流れる。

 なんで、誰が、誰のを、冷蔵庫に。いつの間にか誰かが侵入したのだろうか。

 思えば、鍋の日のテレビ、黒い汚れは何だったのだろうか。

 そして、この状況に、僕は酷く既視感を覚えていた。


 前の家で倒れた時に、よく似ている。


 あの時も、僕は廊下に落ちていたチェキと、扉に描かれた『しあわせにするよ、ずっと』と言う文字を見て、転倒して気絶したのだ。チケットから思わず手を離す。ひらりひらりと落下していく紙に、近寄りたくなくて一歩後ずさった。


 僕は慌ててスマートフォンの電源をつける。ホーム画面にあるSNSアプリ通知バッチの数字がくるくるとしたエフェクトと共に増えていく。

 アプリを開き、画面上部を確認すると、やはり『みるく』のアカウントが更新されていた。

 この前もフォローが外れているのに、どうやってアカウントが表示されるのか。


 僕は恐る恐るアイコンをタッチして、ショートムービーを再生する。飛鳥が住むマンションの向かいの喫煙所で、一人の男がたばこを吸っている画像だ。服装を見るに、どうやら先程の記者のよう。

 そして、二枚目は先程飛鳥と僕と記者が睨み合っているシーンだ。僕たちの表情は見えないが、記者のニヤニヤ顔が映っている。


 ショートムービーに小さく載せられたメッセージ。

『幸せにするよ、ずっと』


 メッセージの真意も気になるが、『みるく』が飛鳥の家まで特定した事が大問題だ。それに予想が正しければ、『みるく』はチケットを冷蔵庫に残したと考えられる。


 ショートムービーが三枚目へと変わる。


 そこには、僕と飛鳥が並んで布団に寝ている画像が貼られていた。確実に部屋へと侵入されたのがわかる。

 死んだ人が、僕たちの家に。なぜ、どうやって。鍵は閉めていたはずだ。

 力が抜けた手から、スマートフォンは、がたんと床に落ちた。


 アプリの画面は、気付けば次のショートムービーへと移り、デビューしたグループの楽しげなオフショットが流れ始める。いつもなら羨ましく眺める映像なのに、僕の意識は錯乱していた。


 どうすればいいのだろう。なぜ、どうやって。

 きょろきょろと視点が定まらない中で、ふと視線を落とした時、僕の手の平が真っ黒く汚れていた。

 言葉にならないような甲高い引き攣った声を上げて、腰を抜かした僕はキッチンの床に座り込む。

 視線の先には、床に落ちたチケットから滲み出るように、黒い水たまりがどんどんと広がっていた。



 

 

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