第18話 故に、踏み外す
検索ボタンを押し、結果画面を確認する。そして、僕は目を見開いた。
僕たちが見ているサイトは、自分がフォローしている人の情報を定期的に取得するもので、有料会員の場合は取得情報を長期的に保管できるのだ。
画面に表示されていたのは、『天使ちゃん』というアカウントが削除された日。
偶然か、必然か、番組の最終回の翌日だった。
「普通、デビュー後のが価値があがるのに。目先の金よりも、リスクのが高くなったのだろうな」
どこか蔑むように、飛鳥は鼻で笑い、吐き捨てる。
「でも、僕たちが訴えたりとか、するとか思わなかったのかな」
「番組の撮影中に、そんな余裕あったか?」
うっ、と言葉に詰まる。当時の僕たちは少しでも時間があれば、練習するか休むか。数少ない休暇も、勉強ばかりで、友達と近場に遊びに行くくらいしか出来ず、余った時間は寝て過ごしていた。
「さあな、俺も途中で
アイツというのは、幼馴染みの女性を指しているだろう。彼女はかなり番組に入れ込んでいたと聞いていたので、知っていてもおかしくはない。こんなことを、飛鳥がわざわざ調べるわけがない。
「それに、あいつ、皆に年賀状、送るとか言って聞き回ってただろ」
「あっ」
確かに、住所を教えた。今時珍しいなと思っていたが、実際に年賀状も届いて嬉しかった。事故に遭うまでは、定期的に連絡をとっては、会って遊んでいた。
練習中くだらない話をしながら彼の笑った顔を、今も鮮明に思い出せる。
「でも、まだ、宗弥だとは、思えないよ」
「そうだよな。ただ、この一覧で、メールアドレスしかわからないやつが、メールアドレスしか教えてない俺と、アイツしかいないんだ」
飛鳥は今一度、先程の画像を表示する。
扉と鳥の絵文字。
そして、一覧の真ん中にある田んぼとお坊さんの絵文字。榎
どちらもメールの絵文字しかない。
「メールなら流出してもいいと思ったんだろうな。案の定、あいつに教えたサブのアドレスが一番迷惑メールが届いたしな」
飛鳥の的確な推理。たしかに、わかる範囲の状況証拠は綺麗に揃っていそうだ。
ここまでたどり着いていて、これ以上追求していない理由は、すぐに見当が付いた。
「表沙汰にしてないのは、彼らのため?」
僕が尋ねれば、飛鳥はスマートフォンをポケットに入れると前を向いた。
「俺のためでもある。デビューする前に気づけたんだったら、引き摺り下ろしたんだがな」
僕たちの中で選ばれた9人だ。もし宗弥の事がバレれば、他の八人は勿論、他の出演者へ影響が出てしまう。飛鳥も、僕も、しっかりと巻き込まれる。逃れることは出来ない。
「今まで僕に教えなかったのって?」
「寧ろ、今まで誰にも言ってねえな。わざわざ教えて不安にさせてもな、と思うし。売られているのに気付いてる奴は何人かいたが、それぞれ勝手に対策してたし。まあ、梨雨にも、変えろって指示したけどさ」
そうだ、番組途中で飛鳥によって、強制的にメールアドレスを変更したような気がする。電話番号は登録した番号以外届かないようにも設定した。
詳しい理由は教えて貰えなかったが、飛鳥なりの気遣いだったのだろう。
勿論、訴えない事が正しい判断かはわからない。けれど、飛鳥は全体への影響を考えて、穏便に済む方を選び飲み込んだのだろう。
それに今は、アカウントを消し、本人は深い眠りについている。
僕は彼との思い出がちりちりと灰になっていく。僕は全てから目を反らすように顔を手で覆う。
「何はともあれ、俺たちの些細な情報も、大金を積んででも、欲しい奴はいる」
飛鳥の言葉が脳内でがんがんと暴れ続ける。手の中がじんわりと濡れて、指の隙間から溢れていく。
「多分、今もお前の情報も、俺のも、売られていると思う」
「そっか」
僕は感情がごちゃごちゃに交ざり、言葉もまとまらなくなっていた。僕が踏み入れた世界、二年もあれば全てを理解したと思っていた。前屈みになった僕の背中を、飛鳥の腕が這う。そして、ぎゅっと抱き寄せた。
「梨雨、少なくとも俺は、お前に嘘はつかねぇから」
本当に優しい人だ。僕は寄りかかるように飛鳥の身体に身を寄せる。
ああ、飛鳥が傍に居て、良かった。信じられるのは、もう。
何で、夢を追っているだけなのに、どうして僕や僕の友達を傷つけるのか。
そんな酷い人が、近くにいるなんて怖くて苦しくて仕方がない。
だれか、助けて。
そんな人は、僕の近くから、
飛鳥のズボンの生地をぎゅっと握りしめる。
この辛い事実を受け止めるには、僕にはまだ時間が必要だった。
暫く泣いていると、気付けば飛鳥の家へと到着していた。タクシー代は飛鳥が払い、僕は放心状態のまま、飛鳥の部屋へと誘われた。
最低限のものしかない部屋。何部屋かある内の一番玄関に近い部屋へと案内される。
部屋の中には、敷き布団だけがどどんと用意されていた。
「とりあえず、一回寝とけ。酷い顔だ」
飛鳥は顎に、僕は荷物を置く。
確かに疲労感は凄い、精神も身体も摩耗しきった。僕は服を着替えないまま、布団へと潜り込み、目を閉じる。
次こそ、よく眠れるはずだ。
しかし、そんな都合のいい事は起きないものだ。
夢の中なのか。
世界でも有名なウサギのキャラクターだらけの部屋、フリルやハート、レース。
今までで見た一番の女子らしい部屋。白いベッドの上で、
なにか、口パクで叫んでいるが、
混ざり合いどろどろとした液体は、ぼとりぼとりと布団や彼に滴り落ち、酷く汚していく。到底、人間の手とは思えない様相だ。
気色が悪い。しかし、夢のせいか
さて、迫られる彼は逃げ惑うように後退り続ける。ファンに貢がせていた高級ブランドロゴのTシャツもどろどろぐちゃぐちゃだが、今の彼にとって気にする余裕はないのだろう。
ただ、後退り続けても、広い部屋では無い。すぐに白い壁へと背中をぶつけていた。彼は逃げ場がないことに焦り、泣き喚きながらに助けを乞う。音が聞こえずとも、口の動きから「助けて」「やめて」と言ってるように見えた。
更に彼のジーンズの股間辺りが、じわりじわりとシミを広げていく。なんとも情けない姿ではあるが、彼の噴き出すような汗や止まらぬ震えに、異常さを感じる。
しかし、このどろどろとした手は、彼の首をがっと掴んだ。
僕は衝撃的な光景に思わず目を背けるが、どうしても視線を動かせない。
容赦なくギチギチと締め上げているのだろう、彼の首には血管が浮き上がり、口からは藻掻きながら泡立った唾液を垂れ流していた。
見開かれた目玉は裏側にひっくり返りそうなくらい上を向き、手は必死に首に巻き付く手首を外そうと引っ掻き続ける。
しかし、必死の抵抗も虚しく、遂にゴキッというような感触とともに、彼の首は
悪夢か。
目も閉じたかった、耳も塞ぎたかった。
黒く汚れたメンバーを眺める。その間も、ぼたぼたと垂れる液体に、死体は染まっていく。
この無音の世界。
急に一つの声が、後ろから聞こえた。
「しあわせにするよ、ずっと」
それは、明らかに、僕の声だった。
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