第14話 願いは誰に届くか


「僕、チェキ! 文字も、見たのに! なんで!?」


 なんて言えば伝わるのか、わからない。

 あわあわと口は動くのに、思考と動きがどうしても噛み合わない。突然ひどく狼狽し始めた僕に、飛鳥は両肩を掴んだ。


「落ち着け」

 先程よりも大きく声を出したせいか、ざらりと掠れていた。聞いているだけでも、声を嗄らしているのがわかり、腫れて痛いのが伝わってくる。飛鳥の捨て身に近い制止のおかげで、僕は一瞬にして正気を取り戻した。


「ごっ、ごめん」

 勢い任せで謝る僕に、飛鳥は役目を終えたとばかり肩から手を離した。またスマートフォンの文字を変えて、僕に見せた。


『大丈夫。それより、退院した後の話をしたい』

 僕が頷くと、飛鳥はまた文字を打ち直した。


『俺の部屋に来いよ。身元割れてるんだろ』

 退院後の話というのは、今の借りている部屋では危ないため、飛鳥が暮らす部屋に居候しないかという事だった。


「え?」

『流石に二連チャンやべぇストーカー被害とか、ほっとくほど鬼じゃない』

「いいの!?」

『来月からでも良いから、家賃一部負担しろよ』

「勿論、本当にありがとう」

 飛鳥的に気を使わないようにという配慮だろう。僕は、彼の提案が嬉しかった。正直、今までに起きたことを考えると、一人きりで過ごすのはとても怖かった。特に「みるく」の存在だ。死んだはずのストーカーがアカウントを更新した事実だけで、恐ろしいのに。

 僕の家の近くで隠し撮りされるなんて、恐怖を超えた何かだ。

 なので、飛鳥の家に当分身を寄せられるのは、本当に有り難い。他のメンバーの家には正直泊まりたくない。メンバーの一人は女性の家に転々としている家なしだし、リーダーの場合は彼のサンドバッグになってしまうのが目に見えている。実家も頼るのは難しいだろう。


『一緒に元の家にも荷物も取りに行こう。警察にも連絡して』

「本当にありがとう」

 最後の一音と共に、涙がぽろぽろと溢れ始める。こんなにも自分は泣き虫だっただろうか。涙を拭おうと腕を動かしかけたが、飛鳥の手が目元に伸びてきた。


「やーい泣き虫」

 耳に届くかどうか、唇の動きだけで何を言っているかわかるくらいだ。それでも、僕のまぶたの裏に焼き付くには十分だった。少しがさついた親指の指紋が、僕の目尻をざらりと撫でた。

 本当に、飛鳥は……。


 あの後、飛鳥は面会を終えて帰り、僕は翌日退院した。寒い懐には、痛い金額であったが、自分の身体は一つしかない。幸い、僕の微々たる貯金でも、どうにか足りたので思わず胸を撫で下ろした。受付で会計を済ませ、入り口を出る。久しぶりの日光は少し眩しいなと目を細めながら、病院前に設置されたバス停まで歩く。帰りの乗り換えを確かめようと、スマートフォンを起動した。

 その時、大量の通知が目についた。


 思えば、SNSを確認していない。誰にも連絡していない。


 ただ、こればかりは仕方が無かった。病院内でインターネット通信が可能な場所と時間が限られている。また、最近の積み重なった心労で睡眠不足だったのだろう、ほとんど寝て過ごしてしまった。今朝起きてからも、食事や診察、退院準備をしていたら、時間があっという間に過ぎていた。

 バス停に設置されたベンチに座り、スマートフォンで乗り換え情報を調べる。どうやら、終点の駅まで行けば、飛鳥が働いているダンススタジオまで一本でいけそうだった。

 次にため込んでいた通知を見るためSNSアプリを起動する。かなりのメッセージがたまっており、どれもこれも心配の言葉ばかりだった。

 よく確認すると、公式アカウントにより、僕が体調不良により検査入院した事実も書かれている。

 今日はメンバー三人でパジャマ生配信をする予定日だったのを忘れていた。公式の報告のポストには僕の出演のみキャンセルとなっていた。一度連絡用アプリも確かめると、リーダーからの連絡が来ており、「迷惑かけんな」と恨み言とともに上記の旨が記載されていた。どうやら飛鳥が連絡してくれたようだ。

 ポストへのコメント欄は僕への心配の言葉でほとんど埋まっている。


 なるべく早めに返さなければと、僕は新規ポストの入力画面を開く。

『ファンの皆さん、心配掛けてごめんなさい。本日退院しましたが、暫く安静に休養をとるよう指導されています。早く元気になりますので、応援していただけますと嬉しいです』

 ポストすれば、すぐに反応がぽんぽんと通知が送られてくる。内容はハートのスタンプで反応してくれたり、コメントが返ってきたり。

 アヤネからは絵文字満載の長文のコメントがものの数分で来たので、彼女の打つスピードには思わず驚かされた。

 僕のポストには優しい言葉のコメントが届くが、いくつか引用ポストもされていて、ほとんどが鍵垢からなのか内容は読めない。多分だが、見えない場所であまり良い内容ではないだろう。

 見えない言葉を気にしても、何にもならないのを知っている。


 しかし、引用でも見える形で厳しい言葉を投げかける人もいる。


『また迷惑をかけた。怪我も対したことないのに。心配してほしいだけ。かまってちゃんなの。もしかして、新しい売名行為?』

 そう、「やゆよ」だった。やゆよのポストにはいくつか返信されており、ファンたちによる苦言や、同じく僕のことが嫌いだろうアカウントによる賛同コメントもある。


 昔の自分は、好かれるか、嫌われるかの二択なのだろうと考えていた。

 けれど、今はもっと複雑だというのも知っている。

 好きも嫌いも、同じだ。僕に対して、何かしら感情を持っている証明だ。

 好きから嫌いにも簡単に変わる。しかし、どちらも僕に対して、関心があるというのには変わりがない。

 僕を知った上で、関心があるかどうか。それも大事なのだ。しかも、全部人によって度合いが違う。一括りすることもできない。

 この短い夢を追う期間で、散々思い知り得た学びだ。


 バスのアナウンスが聞こえる。最寄り駅まで直通のバス、よく見れば僕の後ろには数人ばかりいた。

 そのうちの一人、制服を着た女子は僕と目が合ってすぐに、サッと顔を反らした。彼女の手にはスマートフォンが握られている。カメラレンズは僕を向いているが、ただいじっているだけか、撮っていたのかはわからない。

 もしかして、ファンの子だろうか。

 しかし、バスが到着し、扉が開いた。

 僕はベンチから立つと、タンタンっとリズムよくバスへと乗り込む。そして奥側の座席に座り、じっと外を眺めた。その窓越しの反射で、彼女が僕の後ろの座席へと着席したのが見えた。


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