第11話 闇が写る写真

 飛鳥に電話をかけるが、数回呼び出し音が鳴った後、現在繋がらないという主旨のアナウンスが流れる。

 こんな怖いのに、どうして。

 不安に焦るまま、何度も何度も掛け直す。

 正直、彼の通知欄を僕の着信で埋め尽くす勢いだ。


 電話を鳴らす間も、ひたすらマンションへと向かう。早足から駆け足へと変わり、まるで何かから逃げるように道を走り抜ける。


 目の前に広がるのは、僅かな明暗の差を頼りにするほどの暗闇。


 鳥や虫の鳴き声も聞こえない、夜の静寂。慌ただしい僕の足音と、早まる鼓動。疲れで重い足は幾度となく縺れそうになるが、必死に電話を掛け続ける。


 なんで、出ないんだよ!


 大声で叫びかけるのをなんとか飲み込むうちに、気付けば僕の借りているマンションが見えてきた。


 マンションの入り口から漏れる光を見て、急に身体から力が抜ける。変な力が入っていたのか、肩がどっと軽くなった。

 僕は鞄からごそごそと、鍵を取り出した。鍵は今まで使っていた銀色のものとは違い、黒いプラスチックの頭に金色の差し込み部分というデザインをしている。

 鍵の頭の部分には、エントランスの入り口に設置されているオートロック用のタッチキーが内蔵されている。僕はすっかり慣れた手つきで、オートロック機械に頭部分をタッチさせて解錠した。


 この短期賃貸マンションは、僕のように何か事情持ちの人達が利用することも多いようで、かなりセキュリティが厳しい。

 常にエントランスには警備員が常駐しており、入ってくる人への声掛けも必ず行われている。少し値段は高いが、今は安全を優先し選んだ。

 エントランスの警備員に挨拶し、僕は入居スペースへと移動する。


 ここまでくれば、大丈夫かな。


 結局、飛鳥は電話には出てくれなかった。

 もしかしたら、寝ているのかもしれないと今更ながらに思い、自分の掛けた回数に申し訳ない気持ちになった。


 僕はメッセージアプリに、「ごめん、ちょっと今怖かったから連絡してた。気にしないで」とだけ一報した後、スマートフォンを握りしめたまま自分の部屋へと向かう。


 ひゅーひゅー。喉の下、鎖骨の間辺りが、胸の上下に合わせて音を鳴らす。身体からは変な汗がじわりと流れるのを手で拭い、とにかく早く布団に飛び込みたかった。


 マンションは七階建てで、僕の部屋は二階なので、エスカレーターではなく階段を上る。


 二階に到着すると、廊下の真ん中にある部屋は、今僕が寝泊まりしているところだ。近所の人たちに迷惑を掛けないよう、一歩一歩静かに歩く。


 扉の前に、僕は何か黒くて四角い紙のようなものが落ちているのに気付いた。


 近づくと、それがチェキと言われるインスタントカメラのフィルム写真なのは、すぐにわかった。


 撮影後、瞬く間に現像できるチェキ。僕たちのような売れていないアイドルたちにとって、様々な形で活用していグッズだ。

 例えば、僕たちのセルフィーフォトとして売ったり、一緒にチェキ写真を撮れる特典券こと通称『チェキ券』を配布したり、いろいろと活用方法がある。


 大事なの資金源の一つである。チェキを撮るのも、撮られるのも、ほぼ日課として行っている。


 また、チェキはフィルム部分を白い枠で囲んだデザインで、油性マジックを使えば、サインやメッセージが書けるのだ。僕たちのグループでは、チェキとサインのどちらも購入した人には、サイン会でチェキの枠にもコメントを書くというサービスをしていた。

 しかし、最近はサイン会やチェキ会を開催していない。理由としては、スタッフの確保やイベントの場所の確保、チェキのフィルムの在庫保管が難しいからだ。と言っても、セルフィーチェキ自体は販売しているので、今も撮る機会はよくあるのだ。


 かなり慣れ親しんだものなので、直感的にわかる。


 それにしても、何故チェキがこんな廊下の真ん中に落ちているのだろうか?

 もしかして、現像に失敗したチェキが鞄にでも入っていたのだろうか。


 チェキ写真の現像は、フィルムの性質上なのか失敗も多い。白く濁ったり、逆に黒く変色したり。

 大抵は処分するのだが、捨て損ねたのがどこかに入り込んでいても、おかしくは無い。


 僕は裏向きに落ちているチェキを手に取る。そして、特に意識せず、表面を確認しようとひっくり返した。


「……ッ!」


 僕は思わずチェキから手を離す。ヒラリと床に再度落下するチェキ。


 フィルム部分に現れたのは、僕。

 僕の隣には、黒い人型の何か・・


 濁ったもやもやを、僕は肩に抱き楽しそうに笑っている。

 そんな異様な僕たちを囲む、ピンク色のマジックで書かれたメッセージ。


「いつもありがとう ずっといっしょだよ」


 僕の字だ。


 宛名らしき名前はない。

 けれど、これはファンに宛てられたものだというのはわかる。

 メッセージが書かれいることが、余計に不気味さを増している。

 ただ黒く変色したチェキなら、普通サインの前に撮り直す。そうでなくとも、こんなに不気味で特徴的なチェキなら、僕が覚えていないというのがおかしい。

 だって、イベントの仕組みとして、チェキ会が終わった後に、サイン会を始めるという順番だからだ。


 それが、なぜ、ここに落ちている?

 誰かが、来た?

 どうして、ここがわかった?


 いろいろな考えが頭を駆け巡り、どくどくと鼓動だけが耳の奥で鳴り響く。

 喉もきゅぅと締まり、僕は慌てて鍵を差し込み、扉を開けて部屋の中に転がり込む。靴も脱がず、電気を点けて、ベッドの近くへ。


 借り物の家具が並び、殺風景な部屋に一人。


 なんで、なんで、なんで。


 頭を抱え、小さく丸まる。今日はずっと、気味が悪いことばかり。そして、誰も助けてくれない。


 誰か助けて。怖いよ。


 声にならない叫びが、引き攣った喉の間を掻い潜り、捻り出された。


 その時だった。機械的な着信音が、部屋に響き渡る。自分のお腹あたりで、ブルブルと震えるスマートフォン。僕は縋る気持ちで、電話に出た。


「もしもし」

『おい、梨雨。大丈夫か!?』

 飛鳥であった。


「大丈夫じゃない、怖いよ。聞いて、実は……」

 堪えきれなかった涙を、ぼろぼろと溢しながら応える。随分慌てた様子の飛鳥だが、流石にあの着信量だから心配したのだろうか。変なチェキが落ちていたというのを言おうとした時、僕の言葉を遮るような飛鳥が叫んだ。


『そりゃ、そうだろ!  お前、タイムライン、大変なことになってんだぞ!?』


「どういうこと?」


 鼓膜を破らんばかりの飛鳥に、聞き返すのが精一杯だった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る