第10話 夢の一寸先は闇

 電車から降りて、狭いホームから改札を抜ける。

 駅の光しかわからないような暗い夜道。

 何度も通ったはずなのに、時間がもう日付を超えているせいなのか、それとも、先程の夢のせいか。


 なんだか、とても怖い。

 一歩でも踏み入れれば、飲み込まれてしまうような黒々とした暗さだ。

 不安で震える足を進めながら、僕はポケットに入れたスマートフォンを取り出すと、胸あたりで強くぎゅっと握る。電池残量は思ったより少なく、モバイルバッテリーも今日に限って、部屋に忘れてしまった。


 心細い状況だが、仕方ない。僕は借りているマンションへと帰ろうと、足早に目の前の道を進む。


 その道の途中に一件だけ建っているコンビニへと立ち寄る。というよりも、少しでも明かりがある場所に飛び込みたかった。

 コンビニに入店すると、海外の人らしき男の店員が気だるそうにスマートフォンを弄っている。

 僕は空調の暖かい風を感じながら、コンビニの店内を見回る。運良くスマートフォンを預けるタイプの充電用モバイルロッカーが目についた。

 背に腹はかえられない。僕はモバイルロッカーにスマートフォンを接続して仕舞うと、なけなしの百円玉を使い、十五分ほど充電を始める。


 一応レンタル式のモバイルバッテリーのブースも置かれていたが、以前に一度利用した時、借りたバッテリーを返却するためだけに、遠くまで行くハメになったことがある。かなりの手間だったので、それなら安いモバイルロッカーのが良いと学んだ。

 充電している間、僕は時間を潰すように店内をゆっくりと歩く。

 疲労からか、何を見ても食べ物なら美味しそうに見える。

 特にパンコーナーに陳列されていたクリームパン。

 少し前にSNS内で話題だったので、僕も存在自体は知っていた。たしか生産が追いつかず、品薄になっていたと思う。それが一つだけ、ポツンっと残されていた。


 実はアイドルとして活動を始めてから、体型管理の一貫として菓子パンは控えていた。

 野菜やタンパク質とご飯を摂るだけで、一日の摂取カロリーを超えてしまうからだ。


 でも、久々に食べてもいいかもしれない。


 よく見ると賞味期限が近いのか、二十円引きのシールが貼ってあった。お金のない僕には、早く手に取れと言われているような気分になる。パンを手に持った僕は、明日の朝ご飯も一緒に選ぼうと思い、お弁当やお惣菜のコーナーへと足を進める。白い陳列棚の中には、売れ残っている商品が疎らに置かれていた。

 財布の中身を考えると、高い商品は買えない。サラダコーナーでも容器のサラダは、いい値段の商品が多く、予算的に厳しい。なので、狙うのは、袋に入ったキャベツの千切りやコールスロー、大根サラダだ。

 しかし、安いものは早々に売りきれてしまう。


 この時間だと、残っていたら奇跡。そして、今日は案の定、お目当ては売り切れていた。


 横目に見ると、お惣菜コーナーに細切りメンマが一つだけ置かれている。仕方ない、野菜はメンマにしよう。しかも、隣には煮卵も売れ残っており。流れるような手つきで、どちらも手に取る。

 あと、チャーシューと乾麺も買えば、ラーメンにもできるだろうけれど。


 これ以上は、予算オーバーだ。

 それに、ラーメンは正直、飛鳥のせいで苦手になってしまった。


 理由は番組撮影の合間にあった休暇期間中、一緒に遊んでいた飛鳥に、だまし討ちで連れていかれた大盛りラーメンのせいだ。


 正直、あの時は並びの列から嫌な予感だけは感じていた。飛鳥の「オススメの美味しいラーメン屋あっから、奢るわ」と言う甘い言葉に騙されて、ついて行った先には、屈強な男性か男子大学生しか並んでいないラーメン屋。しかも、眩しいくらい原色の黄色の看板は年季のはいった汚れ方をしていた。

 なにより、店前から少し離れていてもわかるほどの漂う油と豚骨、ニンニクの香り。


 店の暖簾をくぐると、一番に目に飛び込んできたのは、L字型のカウンター席に座り、山盛りのラーメンに齧りつく男性たち。ラーメンの上には、たんまりと盛られたキャベツともやし、どろりと大量に掛けられた背脂のソースと、刻みニンニク。それを囲むようにどんどんと乗っているチャーシューは、僕の拳ほどの大きさだ。

 何度も飛鳥の顔を見て、「本当に食べるのか?」と確認したが、飛鳥はにこにこと「だから、お前の分の食券、買ったんだろ」と言うだけ。


 ここで、初めて知ったのだが。

 普段の飛鳥は体重管理を徹底してはいるが、チートデーというものもしっかり設けているらしく、結構がっつりとした食べ物が好きだということだ。


 ちなみに、注文内容は、飛鳥が「普通のラーメン」にトッピング増し、僕が「小ラーメン」の更に麺半分。支払いは、流石に飛鳥の奢りだ。

 お残しすると罰金というルールなため、必死に胃の中に詰めた。

 脂はおいしいが、正直一口で十分。二口目は胸焼けへの一歩。ニンニクも少しならアクセントだが、大量のニンニクは本来の辛さでも刺激を増してくる。太くて小麦感が強い麺、最初はスープによく絡んで美味しいが、途中からボリューム感という牙を剥いてくる。


 あの後、三日間くらい胃の調子をおかしくしたのは言うまでもない。

 以来、ラーメンを見ると、怖い。完全にトラウマだ。飛鳥的にはちょっとしたイタズラだったらしいが、ここまでとは思わず、この事件後しっかりと謝罪された。


 懐かしいなあと思い出し、苦笑をこぼす。そして、また店内をゆっくりと歩く。飲み物はお湯を沸かすので、いくつか気になる飲み物を決死の思いで通り過ぎ、レジに向かった。


 レジカウンターの奥にいるスタッフは、僕に気付いたのか、スマートフォンをポケットにしまう。


 僕は手に持った商品をカウンターに並べると、スタッフは気怠そうに会計処理を進める。 


「袋は?」

「大丈夫です」

「ポイントカードは?」

「ありま……あっ」

 スタッフからの質問、僕はポイントアプリを開くためにスマートフォンを取り出そうとしたが、充電していたことを思い出す。


「すみません、ないです」

 応えるのを途中やめた僕に、不思議そうな顔の店員。僕は恥ずかしくなりつつ、すぐに返答する。 


 買ったものを手で受けとると、鞄に詰める。そして、モバイルコインロッカーの前に戻った。残り三分。ぼうっと待とうと、コンビニのガラス張りの壁へと視線を向けた。


「えっ」


 その時、ガラス窓の向こうで、何かと目が合った。しかし、明らかに誰もいない・・・

 暗い住宅街がうっすら見えるくらいなのに、なぜかはっきりと艶やかな瞳・・・・・と視線が交わったような感覚。


 僕は目を逸らして、モバイルロッカーを見る。丁度十五分経ったのか、赤い充電ランプが消灯していた。

 手の汚れといい、電車での夢といい、なんだか、気味が悪い。

 僕は慌ててスマートフォンをモバイルロッカーから取り出した。画面の電源を点けて、充電されていることを確認すると、僕はゆっくりとコンビニを出る。そして、不安な気持ちに押されるがまま、すぐに飛鳥へと電話を掛けた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る