第9話 金糸雀の見る夢


 あの後、楽屋の清掃しに来たスタッフ二人と一緒に楽屋を片付ける。

 その時には、僕は服を着替え終わっていて、来ていた衣装だけは綺麗にハンガーに掛け終えていた。

 スタッフたちは、部屋に転がるアルミ缶などのゴミの惨状を目の当たりにし、「お酒飲んじゃったかあ」と呆れたように頭を抱えた。

 彼らも最近のリーダーの深酒を気になっていたらしく、最近の酷い酒の飲み方を続けたらいつか身体を壊すとぼやいていた。


「投げ銭だって、ただオモチャにされてるだけなのに、な」

 リーダーと付き合いの長いスタッフの男性は、彼の配信を覗いているらしく、かなり心配していた。


 楽屋を元の綺麗な状態に戻し、衣装をスタッフに預けると、僕は二人に促されるまま先に帰される。まだ、二十歳を超えてないでしょ、と心優しい気遣いだった。


 僕は深々と帽子をかぶり、黒いマスクを着けて、夜遅い電車へと駆け込んだ。今日のライブ会場から、今寝泊まりしている短期賃貸マンションまでそれなりの距離だ。

 できれば、座って帰りたい。どうか、神様、お願いします。

 比較的に若く体力もあるとは言え、ライブ、握手会、楽屋での一悶着、全ての負担によって身体が至るところで痛みを感じていた。

 強く念じたお陰だろうか、乗車した車両はガラガラで、運良く座席の端の席が空いていた。僕は少し足早に歩き、するりとそこに座る。

 自分の膝の上に鞄を置き、それをぎゅっと抱きしめた。


 ちょっとくらい、寝てもいいよね。


 僕はゆっくりと目を閉じた。一面に広がる暗闇。がたんごとんと揺れる電車。人々のざわめき。

 どうか、乗り過ごしませんように。そう思いながら、意識を手放していく。



 夢を見た。



 ネイルが剥がれボロボロになった手に握られた、小さな水色のスマートフォン。自分が使っているものとは別だが、家電量販店で昔見かけたことのあるモデルだった。随分使い込まれているのか、画面にはひび割れが入っている。

 そんな画面に映るのは、僕が番組で披露した最初のステージの映像だった。


 歌は上手くとも、まだどこか拙く安定しない。ダンスはお遊戯会レベルの下手さ、けれどやはりテレビの編集の力なのか。巧妙に修正やシーンの切り取りがされており、見ていられないほど下手だった僕のダンスが、かなり下手までクオリティが上がっていた。

 テレビで最初にこのステージ評価を視聴した際は、「自分、こんなにダンス出来たっけ?」と不思議に思ってしまったほどだ。


 随分と現実味の強い夢に驚きつつも、改めてあの時のわくわくした気持ちがわいてきたのだろうか。とても多幸感に包まれるような温かい気持ちが、心臓あたりからぽかぽかとわき上がる。なんて、心地良いのだろうかと、寝ている身体が安らぐ気持ちだ。


 動画はさらに続く。

 僕のステージパフォーマンスが終わると、五人いる審査員の一人がマイクを持った。有名歌手の男性でいくつものヒット曲が持つ彼は、僕に対して「梨雨さん、なにか歌ってくれますか?」と僕に尋ねる。それは追加テストと呼ばれるもので、審査員に注目された挑戦者のみが挑める。


 僕は用意していた有名なアニメ映画の劇中歌を歌う。王子様がお姫様と出会い、自分の中に芽生えた愛を自覚する歌だ。原曲の歌手は、伝説のアイドル歌手でミュージカルの主演を務めるほどの歌唱力をもっている。

 何度だって歌ってきた。寧ろ、この歌のおかげで、アイドルになりたいと夢を見始めた。

 だからこそ、番組で披露できたのは、本当に幸運だった。

 自分の歌声に気恥ずかしいが、何故だか心の底から愛おしいという気持ちが溢れていく。


 可愛い。

 大好き。

 愛してる。

 幸せ。


 自分に対して、自分が愛おしいと思うなんて、なんだかナルシストみたいだ。

 歌い終わった自分は、不安そうに自分を指名した審査員の歌手を見つめる。


 審査員は、優しく口を開いた。

「声質も良く、見目も愛される。君はまるで、金糸雀のようだね。練習すればもっと上手くなる」

 褒め言葉だった。緊張がゆるりと解けて、嬉しくて目を潤ませながら、「ありがとうございます」と頭を下げた。


 今も同じように嬉しさに浸ろうとしたが、それよりも先に別の感情が身体を巡る。身体の内側からぶわりと湧き上がる強い情動。

 愛おしいとか、抱きしめたいとか、食べたいとか、複雑な気持ちの波。今まで感じたことの無いような、感情が鳩尾から溢れ出した。


 なんだ、なんだ、この感じは。

 混沌としか例えられない。自分自身の気持ちがぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、いろいろな声で叫び声のようなものが、頭に響き渡る。


 なんなんだ、なんなんだ。

 ボロボロと涙をこぼすと、急に音がすんっと途絶える。

 今までの騒がしさはどこへやら、風の音とわずかな生活音だけが響いていた。


 スマートフォンには、動画の最後に使われる放送の宣伝用エンディングが表示され、動きは止まっていた。


 僕も何度も見たエンディング。毎週水曜日21時新エピソード配信と書かれており、僕もドキドキしながら放送を見守っていたのを思い出す。


 しかし、僕の気持ちとは反して、視界はスマートフォンからゆっくり見上げるように移動していく。

 スローモーションのようにゆっくりと向けられた視線の先。


 僕の身体が凍り付いた。


 それは、あの僕が住む家の扉だった。まだ、明かりがついておらず、僕は帰宅していないのだろう。

 どういうことだ。夢とは思えないほどに、リアリティのある光景。

 まるで、誰かが見た光景を、僕も追従しているようなそんな感じだった。


 では、これは誰が見た光景?

 僕の身体が一瞬にして強張る。


 そして、右耳に、誰かが囁いた。



『ずっと、いっしょだよ』




「……ッ!」

 びくりと身体が跳ね、思わず目を見開く。

 視界に飛び込むのは、乗り込んだ電車の中だった。辺りを見渡すが、自分以外には二人しかいない車内。わざわざ誰かが隣に座るような感じも無い。また、二人も疲れ切った表情でスマートフォンを操作しているか、寝ているかの様子。

 僕は息を整えながら、電車内にある電子案内モニターへと視線を向ける。たまたま表示されていたのは英語表記であったが、それを読み取るに、僕が降りる予定の駅から二つ前の駅を出たところであった。


 ぐっしょりといやな汗が流れ、服と肌がへばりつき、かなり気持ちが悪い。

 早く家に帰りたい。休みたい。

 けれど、今眠るのだけは怖い。


 僕はスマートフォンを取り出して、SNSのアプリを表示する。

 そして、アイドルとして投稿する、今日のライブに対する感謝メッセージを書き始めた。


 これ以上、何も起きないでほしいと願いながら。



 

 

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