第7話 言葉はずっと心に
嬉しい登場に、思わず抱きつこうと身を乗り出す。
しかし、飛鳥はさっと右手を差し出した。
「一枚しかないからな、ほら、握手」
「はい、握手」
その右手を、僕は両手でぎゅっと握る。
飛鳥のことなので、格好つけてさっさと出で行こうとすると思ったからだ。
案の定、すぐに出て行こうとしたのだが、僕は両手で強く握り、離れないように力尽くで止める。
「お前、怒られるぞ」
飛鳥も負けじと振りほどこうと手をぶんぶん振るが、僕のこういう時のしつこさは凄いのだ。
「大丈夫、スタッフさんも許してるし」
「おいおい」
にやりと笑う僕に、飛鳥はやれやれと肩を竦める。本来ファンに退室勧告をするはずのスタッフは、好きにしなさいと言わんばかりに微笑んでいた。飛鳥もスタッフを見て観念したのか、握手をしたまま話し始める。
「今日、いつもより動けてたじゃねぇか」
「でしょ。この前、飛鳥と一緒に、練習してたからね」
他のメンバーよりダンスだけは下手な僕だが、やはり的確なアドバイスをくれる飛鳥と共に練習する分どんどん上達している。
ちなみに今日は最後までノーミスで踊れた。
また、課題だったファンへのアピールサービスをすることもできた。
どれもこれも、ずっと飛鳥のおかげだ。
「ありがとう、飛鳥のおかげだよ」
そもそも、あの番組に出演して、最初に僕を助けてくれたのが飛鳥。今も振り付け師として、出会ってから今日まで僕のことを支えてくれている。本当に恩人と言うべき親友なのだ。
真剣に伝える僕に、飛鳥はいつも通りのドヤ顔をしながら、僕の頭を撫でる。
「やっぱ、お前はアイドルになるために生まれてきたんだと思うよ」
何度も聞いたこの言葉。彼が僕と出会った時、初めて僕にかけてくれたものだ。
番組の最初の課題であり重要なミッションである、シグナルソングミッション。
まず、挑戦者たちがそれぞれ事前に用意したステージパフォーマンスに、審査員たちが点数をつける。
審査結果の手数が高い順から、一緒にシグナルソングを練習するタッグを組む挑戦者を決める。
その時のランキング8位が、飛鳥。そして、飛鳥が指名したのは、43位の僕だった。
ダンスがてんでダメで、歌だけは番組随一というアンバランスさ。顔はそれなりに整っているが垢抜けない。また、経験の浅い高校生かつ、緊張から酷くおどおどしていたため、周りから期待されていないのを当時の僕は肌で感じていた。
シグナルソングミッションの説明を聞いた時、正直気持ちは諦めていた。上位は上位で固まり、僕みたいな下位は最後まで残るのだろうと諦めていた。
だって、もし自分が上位の挑戦者なら、下位になるようなお荷物と一緒にやりたくないだろう。
けれど、その雰囲気を飛鳥が覆した。
他の挑戦者たちも驚きの声を上げる中、恐る恐る立ち上がる僕のシーン。これは今も番組で屈指の名シーンとして人気だ。
司会者も驚き、「理由は?」と食い気味に尋ねると、飛鳥はなんてことないように応えた。
「俺の目で見て、一番アイドルになるために生まれてきた奴だと思ったので」
ダンスの大会で一位や振り付け師としての活躍などの華々しい経歴をもった飛鳥。
本当に喋ったこともなく、ほぼ初対面のような僕を評価してくれるなんて。
あまりにも感激すぎて、感謝の言葉を泣き叫びながら飛鳥の元へと行ったのは、今も鮮明に覚えている。
そして、タッグ組んだ日から相当スパルタでダンスを叩き込まれ、違う意味で泣いたのは言うまでもない。
だからこそ、飛鳥の「アイドルになるために生まれてきた」という言葉は今もずっと変わらない、僕の中で特別な言葉だ。
「あ、ず、がぁ~」
「ああ、泣くな、泣くな」
握手している手をさらに強く握り、ぼろぼろと涙を溢す。泣き虫な僕に、飛鳥は呆れながら袖でとどめなく流れる涙を拭く。飛鳥の服に僕のファンデーションの一部がついてしまうのに、彼の粋なところも、ずっと変わらない。
「あずがと、アイドル、やりだいよぉ~!」
思わず漏れ出してしまう僕の気持ちも、ずっとずっと変わらない。あの日、初めて飛鳥と会ってから、僕たちは一緒にデビューすると思っていた。
けれど、運命のイタズラというものは、なんとも残酷だ。
飛鳥は僕の頭を撫でながら宥める。
「ごめんな、俺が
飛鳥の声色は本当に優しく、もうすべて受け入れているのが伝わる。
意気地なしじゃない、そう叫びたいのに涙が止まらず、言葉にならない。飛鳥は今、声帯結節という病気に悩まされている。これは端的に言うと、声の酷使により、上手く声を出せなくなってしまう病気だ。
今回の番組出演、かなり声を酷使してしまったのが、仇となったらしい。歌が得意でない分、飛鳥は相当練習していたのをよく知っている。
ただ、この病気は手術すれば、ある程度回復を見込める。
しかし、一番の問題は飛鳥の体質。麻酔アレルギーだったのだ。
麻酔が使えないことにより、手術するリスクがかなり高く、医者からも「現状維持」での選択を推奨されていた。勿論、ライブなどで歌うことなんて、御法度である。
これにより、飛鳥はアイドルの道を諦めた。
ダンスレッスン際も酷使しないように注意を払い、基本的にはマイクを使って話している。
病気について知った僕は、「歌は全部僕が引き受けてもいい」「飛鳥はラップもできるじゃん」と食い下がったが、そこは飛鳥の完璧主義が許さなかった。
飛鳥が悪いわけではない、寧ろどうしても希望を捨てられない僕の方が悪い。
「俺、もう、行くから。練習にまた来いよ」
「うん」
最後まで優しい飛鳥の手をゆっくり離す。ブースを出て行くその背中を、ただじっと見つめることしかできない。
こうして、今日の握手会が終わる。僕は涙を自分の手で拭い、待っていたスタッフに声をかけた。
「今日もありがとうございます。片付けお願いします」
しかし、スタッフは「ひっ」と引き攣った悲鳴を上げて、何か変なものを見るかのように顔を歪めた。
「梨雨さん、顔がなんか汚いです」
「え?」
いきなりの罵倒にびっくりするが、あまりにも異様な様子に、ポケットに入れていた鏡を取り出そうとした。
自分の手に、自然と視線が向く。
「え?」
なぜか、手が黒く汚れていた。
僕はすぐに鏡を手に取り、先程涙を拭いたあたりを確認する。そこにも、黒い擦り跡が残っていた。
今日、黒いもの、触ったっけ?
サイン会だったなら、油性ペンのインクが手に付着することはあるが、今日はあくまでも握手会。正直ワケがわからない。
「ちょっと、洗ってきます」
スタッフに頭を下げて、お手洗いへと駆け込む。洗面所の鏡には、やはり手鏡で見たのと同じように、僕の顔は黒く汚れていた。
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