第24話 ホワイトアクセスマジック 24(+α)

 “犯人”は深呼吸をした。やるんだ――決心を今一度固め、一歩を踏み出す。足取りは確かなものとなった。

 そして、誰とも会うことなく、ガラス張りのドアの前に立った。ここから管理小屋まで、ほんの十数メートル。標的は深い眠りに就いているに違いないが、それで物音は最小限に抑えねば。

 注意点を頭の中で点検し終え、“犯人”はドアに近付くと、取っ手に手を掛けた。犯行現場となる管理小屋を見据えようと、外に視線を向けたそのとき。

「え」

 無意識に声がこぼれた。次いでこれも無意識に、口を手で覆う。それから目をこすった。

 馬鹿な。

 視界に広がる一面の銀世界に、“犯人”は何度も目をしばたたかせた。しかし、その光景は変わらない。幻影ではなく、現実にそこに雪が積もっている。

「馬鹿な」

 また声が漏れ出たが、今度は口を覆わなかった。

 いくら避暑地で標高が高いと言っても、六月に雪? それも積もるとは……信じられない。すでにやんだようだが、太陽が昇るまでは溶けそうにない。

 呆気に取られていた“犯人”は、我に返ると、愕然とした。計画の破綻を思い知らされたのである。

 雪の上に足跡が付く! このあと雪が降らず、また溶けもしないのであれば、雪に付いた足跡は、決定的な証拠となるに違いない。それどころか、この雪化粧を僅かでもけがしてしまえば、自殺に見せかけること自体、不可能だ。

 これは……天の意志?

 決して信心深くはない“犯人”が、この瞬間、主義を変えた。人知を超越した存在が、馬鹿なことはやめなさいと警告を送ってきている……?

 しかし。

 決心が揺らぐのを自覚しつつも、“犯人”は最後の意地のようなもので、ドアを押し開けようとした。本当に雪なのか、雪だとしても計画を修正することで完遂できないか、確かめようと、いや、納得しようとした。

 と、その刹那、“犯人”の吐く息がガラスにかかり、表面に文字を浮かび上がらせた。

<もどろう>

 それはさながら、雪の結晶が届けたメッセージのように。

「ああ……」

 “犯人”はその場に崩れるように、跪いた。肩や背が、いや、身体全体が小刻みに震える。震えの原因が恐ろしさなのせいのか、感情を動かされたためなのか、本人にも分からなかった。

 やがて“犯人”は落ち着きを取り戻し、立ち上がった。左の手のひらを広げ、ガラスに浮かび上がった文字に当てる。あたかも、写し取るかのように。


 “犯人”は――いなくなった。どこにも。


           *           *


「起きて起きて、飛鳥。凄いよ、外!」

 こっちは本物の病人になったというのに、司と成美は、そんなことなどすっかり忘れたのだろう、ノックもそこそこに、ドアを開けて風を巻き起こしながら飛び込んできた。

 ちなみに部屋の鍵が掛かっていないのは、江山君が早朝から薬をもらって、持って来てくれたからという設定。実際は、明け方近くになっても熱の下がらないあたしを心配して、雪を運んでくれたのだけれど。窓から手を伸ばし、届く範囲いっぱいに外の雪をかき集めたものだから、結構な量だった。

 でも、そのおかげで、だいぶ下がったんだと思う。それでもまだ頭がぼーっとしているのは、もちろん寝不足もあるけれど、大量の雪を積もらせ、かつ、それが溶けないように保とうとホワイトロールの魔法を使い続けた代償ね、きっと。

 雪の上に一切の痕跡がなかったことは、今朝、江山君がその目で見て、知らせてくれた。そのことも、あたしを快方に向かわせている。

 この辺り一帯を雪で覆うという方法は、携帯電話の会話にあった「自殺として片付けられる」を手掛かりに、考え付いた。犯人がどこで殺人を実行に移し、どこで自殺に見せかけるにしたって、管理小屋で寝泊まりする苫田さんに接触しなくちゃならない。接触したことが公になることは、犯人は嫌がるはず。逆に言えば、接触した痕跡が誰の目にも明らかな形で残るようなら、犯行をあきらめてくれるかも……と期待したの。六月に降る雪は、超自然的な神秘の現象に映るであろうことも期待していたわ。

 気掛かりだったのは、犯人が毒物を使う場合。毒なら、管理小屋に犯人自らが近付かなくても、犯行可能だし、自殺に見せかけるのも容易そうに思える。だから事前に、苫田さんに直接尋ねて、誰からも貰い物をしたことがないという話を聞き出せた。それでやっと、計画を実行に移せたわけ。

 100パーセント、成功するとは言えなくても、成功を信じてやった。雪に足跡も何もないってことは、成功したんだと思う。あとは、管理小屋から出て来る苫田さんの元気な姿を見届けて、完全に安心したい。

「ほらほら、飛鳥。溶けない内に、雪合戦しようよ」

「そんな無茶な」

 窓辺に寄り、はしゃいでいる司を、成美がたしなめる。どうやら、成美の方はあたしの状態を思い出してくれたみたい。

「江山君もまめというか、大変だね。朝っぱらから、看病なんて」

「別に、当たり前のことをしてるだけで。今日の段取りを確かめに来てみたら、寝込んでたんだから」

 素っ気ない調子で答える江山君。その台詞を聞き付けたか、司が急に大人しくなり、「自分も熱を出せばよかったかも」なんてつぶやいてる。まったく。こっちの身にもなれっ!

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