第23話 ホワイトアクセスマジック 23(+α)

 独り言になる。が、すぐに途絶えた。あたし達がじっと聞いているのに気付いた苫田さんは、唇を曲げてかぶりを振った。

「今夜の俺はどうかしてる。初仕事で緊張してたところに、こういう物をもらったせいかもしれんな」

 握った缶コーヒーを振る苫田さん。強面が、少しだけ和らいだように見えなくもない。

「ありがとさん。さてと! これ以上、夜更かししたら悪がきに認定しなくちゃならん。早く戻るんだ」

「はーい。おやすみなさい」

 喉まで出かかった“気を付けてください”というフレーズを飲み込み、挨拶をして別れた。

 宿泊棟までの急ぎ足、屋根の下に入らない内から、江山君が口を開いた。

「これで関門は突破したね」

「ええ」

 あたしはうなずき、ごくりと喉を鳴らす。いよいよ、決まった。頭の中にある方法が絶対にうまく行くとは限らない。でも、これで行くしかない。

 宿泊棟に辿り着き、重い扉を閉めると、そこで振り返った。

「あとは、あたしの体力に掛かってくるのね」

「言っても無駄かもしれないけれど、一応、言っておく」

 両手に握り拳を作ったあたしに、後ろから江山君が声を掛けてくる。鏡と化したガラス戸に映る彼の顔つきは、真剣そのものだった。

「無理をするな。保たないと思ったら、途中でやめたっていいんだ。できる限りサポートするから」

「……ありがと」

 振り向いて、右手のひらを相手に向け、人差し指だけをぴんと伸ばす。

「あんまり、目立たないようにね。特に、もしも司に見られたら、ややこしくなりそうだし」

「どうして三波さんだけ特別扱いなのか知らないけど、夜中だから寝ぼけていたことにすればいい」

 江山君てば、分かってるのか分かってないのか、分かんないなあ。


           *           *


 “犯人”は、時計で時刻を確かめた。丑三つ時よりもさらに多少の時間を重ねた現在、アキュア館の敷地内で起きているのは、自分だけだろうと思った。

(あと数時間後には、朝食の支度に起き出す者がいないとも限らない。そんなに手間取りつもりはなくても、急いだ方がいい)

 “犯人”は、寝巻の上から黒のジャケットを羽織った。万が一にも誰かに目撃された場合を考えると、着替えるのは賢明でないと判断した。寝付かれなくて起き出したという言い訳が不自然になる状況を自ら作るのは、愚か者のすることだ。

 “犯人”は、自分の計画――殺害方法に自信があった。

 マニアというほどではないが、推理小説やサスペンスドラマは好きな方だ。用意した殺害方法は、密室トリックというやつに分類されるだろう。遺書を偽造できたら完璧だったが、そこまでの余裕はさすがになかった。

 ジャケットのポケットが膨らんでいるのは、凶器と、風呂場からくすねてきたシャワーキャップをねじ込んだため。

 犯行時に自分の毛髪を管理小屋に遺す愚を避けるべく、本来なら帽子を被るところだが手元にないので、ビニール製のシャワーキャップで代用することにした。無論、念には念を入れ、昼の内に管理小屋を訪れ、髪の毛の二本や三本、落ちていてもおかしくない保険を掛けておいたが。

 凶器は、備品の延長コードを持って来た。やはり管理小屋を訪れた折に、同じ型のコードが使われているのを確認してある。犯行後、入れ替えればいい。

 ――“犯人”は、素早い足取りで、しかし静かに深夜の廊下を急いだ。エレベーターを避け、階段を使う。第三者と接触する可能性を、できる限り押さえたい。空調の音だけが、いやに大きく耳に届く。

 そういえば、先程から寒気を覚える。六月は蒸し暑くはあるが、エアコンを効かせすぎではないかと思った。それとも、これからやろうとしている行為に、知らず、恐れを覚え、鳥肌が立ったのか。

 いや、それはない。“犯人”は踊り場で一旦立ち止まると、強くかぶりを振った。迷いを払拭する。

 これからやろうとしていることは、自分のためだけではない。自分とあの人のためだ。復讐という動機があるのは、あの人のみ。自分はその手助けをする。あの人が一人で復讐を遂げるのは不可能だから、こうして自分が立ち上がったのだ。

 再び階段を降り始めた“犯人”は、一階に着こうかという最後の一歩を、ステップに躓かせた。爪先が引っかかっただけで、前のめりにバランスを崩す程度で済んだが、必要以上に鼓動が早くなる。

 こんなどじをするなんて。やめておけという合図か?

 そう言えば……と、“犯人”は思い起こす。決行の意を伝える電話の際、あの人の返事はためらいを感じさせた。あのためらいは、自分の騎士道的行為に感謝すると同時に、すまなく思うがためと解釈していたが、実際はもっと単純な気持ちの表れだったのでは。もう復讐なんてしなくていい、という……。

 “犯人”は再度、かぶりを振った。迷いのしつこさに、呪いの言葉を短く吐く。それは自分自身の背中を押すための呪文でもあった。少なくとも、当人はそう信じた。

 こんな絶好の機会は、二度とないかもしれないんだ。ここまで来て、やらないでどうする? 今、躊躇して、後日またやり直せるのか? ぐずぐずしていたら、苫田にこちらの動きを感づかれる恐れだって、少なくない。あいつがこちらの顔を思い出すことだって、充分に考えられる。

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