第2話 『アクセスマジック』へのアクセス:2

「ではありがたくいただいておきます。おばさんにもよろしくお伝えしといてね」

「分かった。――引っ越しのとき、人手が足りないとか、ないか?」

「え? うーん、分からないけど、多分大丈夫」

 それから、「むしろ今、持ち物を整理しているので力仕事を頼める人がいると助かるかも」と続けて言った。言ってから、ちょっと後悔。客観的に聞いていたとしたら、今の台詞って高月君を引き留めてる感丸出しで、恥ずかしくなった。

「ていうのは冗談だからね」

「――そう。ならいいんだ。じゃ」

 きびすを返す高月君。その途端に、黒い雲から大粒の雨が落ちてきた。

「うひゃ」

 バケツどころか浴槽をひっくり返したような土砂降りに、一気になった。その上、気のせいなのかどうか、遠くで雷が鳴り始めたよう。

「こ、これはひどい降りね。帰れる?」

 問い掛けに、もう一度きびすを返して、くるりとこちらを向く高月君。

「……濡れ鼠になれば帰れるけれども。傘、貸してもらえたらありがたい」

「女物でよければ」

「えっ? 君のお父さんの分はないの?」

「冗談よ」

 焦り顔を見ることができて、思わず笑ってしまった。高月君は学校では基本、冷静沈着で知られる優等生なのだ。

「ひどいな。何でまたそんな無意味な嘘を」

「いやその、傘さしたぐらいじゃ無理でしょ、これ」

「かもしれないけど、濡れ鼠に比べたら段違いにましだ」

「それよりももっとましな方法を選べば? 雨宿りしていくの」

「うん?」

 すぐには意味を飲み込めずに目を細め、首を捻る高月君。私はコーヒーが冷めるのが気になり出した。色々と言葉を省略して、とにかく上がるようにと玄関ドアを全開にした。


「家にお邪魔するの、結構久しぶりなんだけど」

 高月君はぺたぱたと少し変な足音を立てながら、奥へとゆっくり進んだ。来客用のスリッパ、あまり合ってないみたい。

「それが?」

「いや、その。知っている人――クラスの連中とかに見られていたとしたら、どう思われるかと」

「近所で幼馴染みだってことは知れ渡っているんだし、問題ないでしょ。ていうか、誰も見ていないってば、こんな無茶苦茶な雨降りになったんだし。万が一にも見られていて、深く突っ込まれたとしたら、宿題を教えていたってことにするのでどう?」

 彼の訪問に少々気分が高揚して来たのかな。何だか饒舌になっている自分に気付く。気にする必要ないなんて言いつつ、私自身も心中ではそれなりに意識しているのかもしれない。

 それでも私が勇気を出して、高月君を家に入れたのは、彼の意見を聞いてみようと閃いたせいもある。急な雨が後押しになった。

「回覧板でも持って来る用事があれば、なおよかったんだけどな」

 ぶつぶつ言いながら、高月君は私の勧めた椅子に収まる。と、彼の視線が私のコーヒーカップに向けられた、ような気がした。立ったまま、聞く。

「ちょうどおやつするところだったの。飲む?」

「おかまいなく。それよりも、君のお母さんは?」

「あ、出掛けてる。玄関に靴がなかったの、気付かなかった?」

「え。……そんなの、気付くかよ~」

「いた方がよかったみたいな口ぶりだけど」

「目撃された場合のことを考えると、二人だけというのはあまり歓迎できない状態だよ」

「だから目撃なんかされてないって」

 笑い飛ばす私に対して、高月君は真顔で反論してきた。

「いや、そうとも限らない。だってね、ここへ来る道すがら、変な格好をした奴を見掛けたんだ」

 話のつながりが見えない。私は声では反応せず、小首を傾げた。

「奴と言ったけど、男かどうかは分からない。背丈や体格は、どちらかと言えば小柄だった。カーキ色のコートを着込んで、襟を立てていてね。ソフト帽を目深に被り、黒サングラスをして、それはもう絵に描いたようなスパイって雰囲気だった」

「スパイ?」

 非日常的な単語の登場に、私はつい、頓狂な声を上げてしまった。赤面を自覚し、口を手のひらで覆う。

「スパイか、漫画に出て来る私立探偵といったところだった。いかにも張り込みをしていますよっていう。どうだい、変な奴がいるもんだろ? だからどこで誰が見ているかなんて――」

「待ってよ。今はまだ肌寒い日も多い季節よ。コートを着て襟を立ててるのって、全然変じゃないでしょ。サングラスだって、今日は降り始める前まではよく照っていたわ。いかにも張り込みをしているって雰囲気は、単に人を待っていただけかもしれないじゃない」

「おっ、なかなか理屈の通った再反論だね。驚いた」

 えらいえらいと私の頭を撫でそうな口ぶりだ。そんな高月君の様子を目の当たりにすると、コートの人物がいたというのは作り話じゃないかと思えてくる。

「もう、腹を据えて、お茶でも飲みながら、私の話を聞いてほしいんだけど」

「ん? 話って、肉体労働のことかい? さっきちらっと見えたんだ、押し入れや棚から、いくつか物を出してあるのを」

 見られてたのね、抜け目ないなあ。冗談だと言ってごまかしたのが無駄になってしまった。

 とにもかくにも、本題に集中しよう。

「違うわ」

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