第8話 秘密のアクセスマジック 8

「びっくりしたよ、ほんとに」

 成美はあたしの顔を見るなり、ほっとしたように言った。

「心配かけてごめんね。でも、ほら」

 あたしは元気だと示そうと身体を起こした。

「大丈夫だからさ。ちょっと気分が悪くなって、熱が出ただけ」

「その様子ならいいけど……。昨日は元気だったのに、いきなりでしょ。みんな心配してたよ」

「そうそう。江山君も気にしてたみたい」

 司が、どこかうれしそうに言った。この子は、江山君のこととなると、何でもいいから楽しがるのよね。

「そうかぁ、江山君も」

「ねえ、結局、昨日はどうなったの? 元気なら聞かせてちょうだい」

 興味津々の司。と言うよりも、わずかながら羨望の眼差しが混じっているのかな。

「ええっと」

 どこまで言っていいのか、迷う。昨日までは、聞かれたら全部しゃべっちゃってもいいかなと考えていたけど、今朝の出来事を思うと、余計なトラブルに巻き込むことになりそうで、気が進まなくなる。

「あれ、ただのゲームソフトだったわ」

 それだけ明かす。

「Reversalっていうのはゲームの名前で、ロールプレイング物みたいだった」

「どういう内容?」

 司のそんな質問を、成美がさえぎった。

「それより大事なことがあるでしょうが。持ち主は分かったの?」

「それが……分からなかったの」

「なーんだ。それじゃあ、何にも分かってないんだ、まだ」

「そういうこと」

「で、あのフロッピーは?」

「江山君に預けたままよ」

 言って、あたしは司の顔を見つめてやった。

「これにかこつけて、江山君の家に押しかけられるでしょ?」

 内心、思い付いたばかりの理由にしては上出来だと、自画自賛した。

 案の定、司の目尻が下がる。

「そっか、飛鳥。感謝するわっ!」

「それほどでも」

 感謝されたって、あたし自身、江山君に好意を持ちつつあるので、気が引けるのよね。

「いつか都合のいい日見つけて、行ってみようね! きゃー」

 見舞いに来て、騒いでくれたら世話ないなあ。

「さて、例の物を渡しとくか」

 成美は、彼女のかばんをごそごそ探っている。やがて出てきたのは何枚かのプリント。裏向きだわ。

「何、これ?」

「見れば分かる。まあ、あたしや司にとっては、あんまりありがたくない物だけど」

「全然、ありがたくなーい! いらないっ!」

 一人シュプレヒコール(という表現も変ね)をする司。

 あたしはプリントを表向きにした。

「あ――テスト」

 そっか。授業中に返された分ね。

「ありがとう、わざわざ届けてくれて」

「最初から様子見に来るつもりだったから。それよか点数、見えちゃったんだよね。相変わらす、頭いいんだから、この。うらやましっ」

「今日は放免だったけど、あたしなんか、二つ目の補講を受ける羽目になっちゃった」

 とか言いながら、まるでこたえていないかのように、明るい司。

「でもいいの。今度の補講の日、江山君は理科部をやってて、帰る時間がちょうど同じになるんだもの」

 なるほど、そういうわけね。司と張り合うのは、かなり大変そう。

 そんなことを考えたら、急に江山君に会いたくなってきた。今朝のことを伝えて、色々と相談したい。

「さ、そろそろ帰ろうかな」

 あたしの気持ちが通じたみたいに、成美が腰を上げた。

「もう?」

「だって、お昼がまだなのよね。あんたはいいかもしんないけど」

 わざとすねたような言い方をする成美。

「そっか。悪かった。本当にありがとう」

「明日は出てこられるんでしょ?」

「多分ね。あ、サングラス男が学校に来たとか、そういうことなかった?」

「聞いてない。気になるんなら、例の公園の角、ちょっと覗いてあげようか」

 成美はこう言ってくれたけど、さすがに遠慮しておく。万が一、危険な目に巻き込まれたら困るし。

「ううん、そこまで頼めない、早く家でお昼を食べられるように」

「分かった。それじゃあね」

「ばいばい」

 二人が帰ると、にぎやかだったのが、また静かになった。

 すぐに江山君のことを思い浮かべる。とにかく、今朝の恐ろしい経験を伝えないといけない。電話して、ここに来てもらおうかしら? それだけ緊急なことだと思う。

 そうして、ベッドから抜け出し、カーディガンを羽織って、電話のあるとこまで行こうとしたら、また母さんの声。

「お見舞いよ。今度は男の子」

 何だかうれしそう。でも、男の子って? まさか。

 その予感は当たった。母さんが案内してきた男の子とは、江山君だった。

「あー、その、ごめん」

 母さんがいなくなると、江山君はそう切り出した。

「え? どうして江山君があやまるの?」

「だって、いきなり来ちゃって。そっちの了解も取らずにさ。だから悪いなって思って」

 あごの辺りをしきりにいじっている。視線はあさっての方を向いちゃってた。

「そんなことない。あたし、さっき、江山君に電話しようかと思ってたところ。だから、全然気にしない。うれしいくらいなんだから」

 すると江山君、大げさな身振りで胸をなで下ろした。

「よかった。それで大丈夫だった? 昨日の今日だったから、あのフロッピー――Reversalの悪い影響が出たのかとも考えたんだけど」

「それなのよ、話したかったのは」

「じゃあ」

「休んだ直接の原因じゃないけど、間接的に……。今朝、学校に行く途中、知らない男から声をかけられて」

「待って。その男って、昨日言ってたサングラスの男じゃないんだね?」

「ええ、違う人。大きな体格で、ていねいだけど嫌みな話し方する奴だったわ。恐かったからよく覚えていないけれど、顔はギリシャ彫刻みたいに彫りが深かった」

「日本人?」

「えーっと……多分ね。外国人だとすれば、うますぎるわ、あの日本語。

 それでね、この男もReversalについて知ってるらしいと分かって、すぐに逃げようとしたんだけど、かばんつかまれて倒されて……。叫ぼうとしたんだけど、声が出ないのよ。信じてくれないかもしれないけど」

「信じる。昨日のあれ――魔女を信じたら、もうたいていのことは信じられるよ。さ、続きを聞かせて」

 すぐ信じてくれた彼の態度に、なぜか涙が出そうになる。一人でかかえ込んでいた恐怖を分かち合ってもらえた。ちょうどそんな感じ。

「相手が言ったわ。真空の薄い膜を作って音をさえぎったとか何とかって。あたし、それでも逃げ出そうとしたんだけど、今度は呼吸ができなくさせられて……殺されるかと思った。本当に」

 あ。涙が出てきちゃった。いけない。泣いたら、余計に心配かけちゃうじゃない。見られないように、顔をそむけて、ぬぐわなきゃ。

「恐かったんだよね」

 顔に持って行こうとしたあたしの手を、江山君がそっと握りしめてきた。彼の体温が伝わってくる。

「泣いていいじゃない。泣いて恐い記憶を少しでも忘れられるんなら、気持ちを押さえ込むより、ずっといい」

「……うん。ありがと……」

 あたしは、泣いた。

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