第2話 獰猛なる七面鳥

 リヒトも、さっ、と敬礼をする。

「では、…私も失礼いたします。」

 去り際、


「……全員、蹴散らしてやりたまえ。」

 そんな言葉を掛けられた。



 …………………



 ……その日の夕方。

 リヒトはウォレス教官の部屋を訪れ、事の顛末を全て報告し、その上で謝罪した。


 だが、教官は、


「なんだ、負けるつもりなのか?」

 そう聞いてきた。


「いいえ、決して!」

 リヒトはそう答える。


「……なら、問題なかろう」


 ウォレス教官は、そう興味もなさげに答えた。




 ─────────




 噂のナンバー9821が、果たし合いをする───!



 情報は、一瞬のうちに錬成所中を駆け巡った。


 衝撃の全記録更新事件から一ヶ月。

 その興奮も冷めやらぬまま、渦中の人物がまた……なにかやってくれる、

 ……かもしれない。

 伝説はまだ終わっていない、

 いや、新たな伝説が始まってしまう、

 ……かもしれない。

 そういった興味と関心が否応なく膨れ上がっていった。


 勝敗の行方を占う者、

 その勝敗を賭けにする者、

 勝負の当日の訓練をいかに休んで観戦するかの思索を練る者など、

 兵士たちの思いは混沌を極めていた。


 そして、その果たし合いともいうべきものが、物語として発端を語っていたのである。


 ───


 ……訓練兵が上官に対し、その技術の稚拙さを取り上げ、あまつさえ「軽く捻ってやる」などと挑発し、六対一での勝負を持ちかけ、その勝敗に自分の記録の取り下げまで賭けた……。


 ───


 あまりにも厚顔無恥な振る舞いである。

 謎のナンバー9821という人物像が、鼻持ちならない無礼な変人というレッテルを貼られ、その評判は地に墜ちた。


 リヒトをよく知る人物であれば、そのようなことがあるはずがないと分かることなのだが、残念ながら兵士の中にそのような者は存在しなかった。

 思わぬ展開になったことで、さすがにリヒトも気の重い日を過ごしていた。


 何より……、これでは勝っても負けても不名誉である。


 いつにも増して、人の気配の少ないところを探し歩く事になったリヒト。元々、食堂などの雰囲気は自分と相性が悪かったのだが、噂渦巻く今はとても足を踏み入れられる状態ではないため、昼は外で適当に食べ物を買って、兵舎裏の土手などで過ごしていた。


 ……例の正規兵の連中が撒いた噂であろうことは予想できた。

 上機嫌だったのは、そのためだろう。

 リヒトには少しだけ、彼らは負けたらどうするのだろう、という甘い同情心もあったのだが、今ではそんなものは綺麗に無くなっていた。


 そういう意味ではやりやすくなったほどである。


 ……が、人の世の常とはいえ、

 ずいぶん住みにくい空気にもなってしまったものだと思った。


 他人と関わりを持たない故に、他者からどう思われていようとあまり意に介さないリヒトであるが、ここまで目立ってしまうと、具体的な不都合や被害が出ないとも限らない。


 やはり、さっさと課程を終わらせて卒業してしまうに限るか…。あるいは、何らかの力が働いてここに居られなくなる方が早いか。


 そんなことを考えているうちに、果たし合いの日はやってきてしまった。

 すでに、勝敗の心配などは霧散していた。


 ──────


『こちらHQ、ターキー1、準備はいいかね?』

「こちらターキー1、いつでもどうぞ」


 模擬戦当日、

 天気は快晴だが、リヒトの気持ちは晴れなかった。


 ここは、演習空域【渓谷3】である。

 大尉の申し出に従い、リヒトが選んで指定した演習地形である。

 渓谷といっても深い谷だけが続くわけではなく、岩山や岩塊も多く見られる入り組んだ地形である。

 見通しが悪く、決して戦いやすい地形ではない。

 しかし、複数の機からなる向こうの編成なら、一機を高空に揚げ索敵の眼として機能させれば圧倒的に優位に立てるであろう。


 リヒトの機は6式2型。中型汎用偵察機の名の通り、本来の用途は偵察である。だが、持ち前の運動性能と汎用性の高さから、輸送機、攻撃機、果ては空戦戦闘機として使われることもある。

 リヒトはこの機ならあらゆる状況に対応できると思っている。

 そして、この機となら……心中しても構わない、とも。


 対する敵編隊の機は、8式戦闘機。

 こちらは歴とした戦闘用の機で、空戦に特化した機体。最近では制式導入の検討もされている最新機である。

 採用されれば軍の主力になり得ると目されており、継続戦闘能力に優れ、機動性も高い。

 重量はやや重いが、推進機の出力が高く、機体のサイズも幾分コンパクトだ。

 大きな違いは可変翼機構が備わっていないことだが、これに関しては6式の方が特殊なのであり、普通の軍用機は多くが固定式である。


 戦闘機対偵察機、それも6対1……。


 実戦に照らし合わせてみれば、自国領内に侵入せんとする敵勢力の偵察機を補足、これの迎撃にあたる……、といったところだろうか。実際なら、偵察機側も僚機か二の矢に相当するものくらいは用意しているのだろうが、あいにく今回の状況設定では孤立無援である。まさに今のリヒトの状況を表しているともいえる。


 ……HQはなかなか洒落がわかる人間らしい。

 敵のコールサインは「ハンター」、対してこちらのコールサインは「ターキー」である。


 これから、その七面鳥撃ちが始まろうとしているのだ。


『……ハンター各機、準備はいいか?再度、安全制限装置の動作を確認せよ』


「ハンター1、準備完了」

 隊長機だ。

 この男が例の一飛曹だろう。

 隊長機の通信に続いて、ハンター2から6まで準備の完了を告げる。


『こちらHQ、全機準備完了を確認。状況開始』


 静かに開戦が告げられた。




 さて……、

 気は進まないが、

 ため息をひとつつく。

 聞いたところによると、地球勢力にも同じような意味合いの言葉が存在するらしい。

 遠く離れた星同士の、奇妙な共通点を感じながら、リヒトはいつもの「作法」を実行する。


 通信機をオープンチャンネルで接続し、全域に向かって語り始めた。


「こちらターキー1、こちらターキー1。

 我が邦に加害の意思は無い…。

 繰り返す。

 我が邦に加害の意思は無い…!。

 ……共に神に創られし同胞なれば、

 いたづらに命を散らすことは望まぬはずである。

 願わくば、どうか矛を収め、

 故郷の元へと帰還されることを願う──」


 ドルイド族の女神の教義になぞらえ、停戦の意思を確認する呼び掛けである。

 自衛のための争いは、その戒めの範囲外ではあるのだが……、

 元来、ドルイド族は戦争を許可してはいない。


 この星の…リヒトの先祖達は、かつて母なる星で他民族からの理不尽な迫害と侵略を受けた際、他邦を圧倒する力があるにも関わらず、自衛ではなく故郷の星を捨てる選択をしたほどの一族である。


 そなたの行く先

 争いてはならない

 でき得るなら避けよ

 できぬなら逃げよ

 しかし、

 運命を悟りたるなら

 その剣を手に戦いなさい──


 女神の教義にある、有名な一節だ。



 ……長々と弁舌を続け、リヒトは最後にこう締め括った。


「………もし、願い叶わず我が前に現れるなら……」


 ふっ…と息を吐く。


「……その時は、女神のもとに召されることを願わん。」


 停戦勧告を終え、通信を切った。

 リヒトは、一切の情を遮断した。

 ドルイド族の奥深くに眠る、闘争の本能の片鱗に火が入る。


 ……終わらせよう。

 始まってみれば……、負ける要素など微塵も感じなかった。

 むしろ、どうやったら負けられるかを導き出す方が困難なくらいである。


 推進機を止め、ふわふわと滑空する6式の中で、リヒトは最後に、小さく女神に祈りを捧げた。


 ───



「ハンター6!上空から警戒に当たれ!奴がどこに隠れてるか探し出せ!」

「ハンター6、了解!」


 オープンチャンネルで始まった敵側の演説には耳を貸さず、隊長機のハンター1は僚機に索敵の指示を出した。


「マジかよ…!…本当に、演説するんですね…連中」

 ハンター3は、たちの悪い冗談でも聞いたような困惑を浮かべ、僚機に話しかけた。


「なんだ、初めてか?これ聞くの」

 歳嵩のハンター2も呆れた様にしながらも、ハンター3の軽口に付き合う。


「流石に、訓練中は滅多にやらねぇらしいが、……模擬空戦ともなれば、お祈りのひとつもしたくなるんだろうさ。」


 一応、軍内でも信仰の自由は認められてはいる。

 しかし、それとこれとは別問題である。


「教官も、よく許可しますね?こんなの実戦でやられたら、無線封鎖もクソもねえんじゃねぇですかい?!」

 ハンター5が憤慨したようにどなり散らす。


「許可なんかするかよ…、勝手にやってんだろ。後で懲罰受けるのも覚悟の上だろ……」

 ハンター1が愚痴る。


「……だから許せねぇんだよ…、にこんなのが混ざってる、ってのがよ…!!」


 ギリッ、と歯が軋む。

 模擬戦用の光線機銃ではなく実弾を搭載してこなかったことを、彼は半ば本気で後悔していた。


「こちらハンター6、低空に目標らしき反応を補足!方位310!距離12!」


「よぉし!ハンター4、5!ケツから追い立てろ!こっちで待ち構えて墜とす!」

 ハンター1が指示を飛ばす。


「ハンター5了解!」

「ハンター4了解、へへへっ、先にいくぜぇ~!」


「ハンター6!奴の反応はどうだ!」

「こちらハンター6!渓谷の深い所にいるらしく、視認はできない。だが、センサーの反応は断続的に来ている!」


 深い所にいるためハンター6以外からは視認も補足もできないのだ。そのため、6を遥か上空に上げて索敵を行わせている。

 逆に言えば、向こうからもこちらは認識できないのだ。


 そして、この模擬戦における状況終了の条件──。


 残存機の戦術的撤退、もしくは…

 どちらか一方の全滅。


 つまり、こちらは5機落とされようが相手を落とせばそれで勝利なのだ。


 ───負けるわけがない。


 一斉に突撃しただけでも、勝てる条件だ。

 だが、事は確実に、そして、じっくりと進める。

 充分に追い回し、恐怖を与えて狩る。

 それが許されたのだ。

 この場を設けてくれた大尉を思う。

 気晴らしを邪魔されたと思っていたが、感謝しなければなるまい。

 余計なことを、とも思ったが…

 実際は彼も地球人である。

 異星人の跋扈を快く思っているはずがない。


 終わったら皆で祝杯を挙げよう。

 そうだ……、あの大尉も呼んでやろう。

 地球人の、地球人による、地球人のための勝利を──。



 ピーーーー!!

 通信が入る。

『ハンター4被弾、撃墜判定』



「な…!?」

 何があった……?!



 ピピッ

 レーダー波が敵機の存在を知らせる、正面だ…!


 視線の先に、青から紫の淡い光を纏った矢のようなものが、谷底から天空へ向けて打ち上がった。


「奴です!」

 誰かが叫ぶ。


 光の矢は上空で減速すると、ぱっ、と翼を広げ宙返りをし、再び翼を閉じて急降下を始める。

 蒼き矢は再び音速を越え、バタバタと慌てる「狩人その5」の背中に猛然と襲いかかる。


 ぱぱぱぱっ

 と、蒼き矢──6式の機体下部に光が明滅すると即座に、


 ピーーーー!!

 通信が入る。

『ハンター5被弾、撃墜判定』


 蒼き矢は、既に渓谷に潜りその姿は見えない。


「こちらハンター6!奴を追います!!」

「待て!!眼は動くな、上空から補足しろ!!」


 ハンター1は、焦りながらもこちらの数的優位を認識し、方針を崩さない。

「ハンター3、谷に入らず、上方から奴の後ろを追え!」

「りょ、了解!」


 ハンター3が指示を受け、3機編隊からふわりと離れ、谷の方へ移行しようとした…まさにその時、


 ピーーーー!!

『ハンター3被弾、撃墜判定』


 と、同時に

 ガーーーーン!!

 という轟音と共に衝撃が走り、機体が激しく煽られ視界が二転三転する。

 辛うじて捉えた視界の端には、6式の後部が映っていた。


「くそぉ!?どっから出てきやがった!!」

 ハンター2が激昂する。


「う、後ろです!!お、恐らくは谷づたいに後方に、ま、回り込んだと…!!」

 ハンター6が動転しながら辛うじて答える。


「バカやろう!!!ちゃんと見とけぇ!!!」

 眼の役割を果たせていない僚機に罵声を浴びせるハンター2。

 しかしその目の前には既に反転してきていた6式が猛然と迫っていた。


「散開しろ!!」

 ハンター1が指示を飛ばす。

 二機は、ぱっと逆方向に別れて飛散するが、

 無情にも6式はハンター2に目標を定めたようだった。


 ピーーーー!!

『ハンター2被弾、撃墜判定』

 そして通信がそれを追認した。

 6式はくるりと胴体を捻りながら翼を閉じてまた谷底に隠れていく。


「くそおおおぉー!!嘗めやがってこの異星人がぁあーーー!!!!」

 ハンター6は激昂して追いかける。


 視認できているのはもはや自分だけ。だが、愚かにもハンター2の撃墜に満足してこちらに背中を見せている。

 推進機レバーを倒して猛然と加速、ハンター6が谷の稜線を越えて下降し、追いかける。


 見えた!

 奴のケツだ。

 やってやる、殺してやる……!


 操縦桿を倒して、食らいつこうとする……!

 が、突如、機体はがくん!と意思を離れ急減速、そして、ふわりと高度を上げ始めた。


 ピーーーー!!

『ハンター6、安全制御の介入を確認、墜落判定』


 我を忘れたハンター6は、限界を超えて谷深く侵入、しかも速度を上げたまま。

 そのため、高度な安全装置を備えた8式はその進路を予測、1秒後に崖壁に激突すると判断。

 機体の安全装置は操縦権を奪い強制的に安全高度への移行を判断したのだ。



 ハンター1はハンター6がもはや役に立たないであろう事を予測、僚機の安否は無視して6式が顔を出すであろう位置へ、機体を走らせた。

 ハンター6の撃墜に気を取られれば、一瞬でも隙が生まれる。そこに賭けるつもりだった。


 が───


 予測を裏切り、6式はまたしても谷間から、……自機の「後方」から!姿を表したのである。


 ハンター1は瞬時の判断で操縦桿を引き推進機レバーを目一杯前方へ倒す。

 乗機8式は指示を受け俊敏に反応する。


 ……どうやったかは分からないが、奴は減速して潜んでいた。

 ならばパワーに勝るこの機体の性能差で振り切れるはずだ…!


 8式の推進機が唸りを上げて機体を上昇させていく。

 よしこのまま行けば距離が取れる……!


 しかし、


 ピピッ!

 またしても警告が入る。


 この機体は──!…俺に恨みでもあるのか!?


 失念していた戦域の規定を告げて来たのである。

『制限高度警告、3000を越えると規定違反となります。』


 言われなくても……!

 心の中でそう毒づく。

 操縦桿を押し込み規定の高度内に収める。


 しかし、その後ろには既に6式が───振り切ったはずのこの悪魔のような機体が食らいついていたのである。


「クソがああぁあーーー!!!」


 ハンター1は絶叫して機体を振り回す。


 しかしあろうことか、後ろの6式は、その動きをピタリと捉え、離そうとしない。

 セオリーを無視してめちゃくちゃに振り回す。


 しかし、離れない。


 しかも、その追尾の仕方が異常なのである。

 通常、ドッグファイト中の機体の航跡は、螺旋を描くように交差するものである。

 しかしこの6式は、前を行く8式の航跡と「全く同じ」航跡をなぞっているのである。


 まるで太い棒で連結されているように、自らの影を引き連れているように───!!


「……っ!!!」


 何で!?なんで!!!離れないんだ!!!!


 もはやハンター1は声も出せない。

 発狂寸前の精神状態で、それでも後方を必死に窺う。


 6式はまだ離れない、

 ……いや、近づいている……?


 うそだ……!来るな……くるなぁ…っ!


 ────

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