散策Ⅰ
朱理に案内されたのはカウンターの奥にある事務所の一室だった。
そこには予め連絡してあったのだろう。朱理の父である連二と母である美香が待っていた。
「やぁ、久陽君。一年振りだけど元気そうでよかった。背もまだ伸びてるんじゃないのかい?もう私を追い越しそうだ。」
七三分けの黒縁眼鏡。いかにもエリートという雰囲気を漂わせる連二は、にこやかに微笑みながら勇輝の肩に手を置いて、中へと招き入れる。
「お久しぶりです。この度は素晴らしい部屋をご用意してくださってありがとうございます」
「ははは、何を言ってるんだい。君たちの為なら一室くらいはいつでも貸し出せるさ。流石に夏休み中全部というのは無理だけどね。それに今回は可愛い姪っ子の――――いや、それはまた別の話か」
思わず芽衣が今回の勉強合宿を頼み込んだことをばらしそうになり、慌てて口を抑える連二。
久陽は気付いていなかったが、連二は久陽越しに慌てふためいて大きく腕でバツ印を作る芽衣に苦笑いを隠せずにいた。
連二は芽衣の父の弟で旧姓は犬養。つまり、乾家に婿養子として迎え入れられた立場だ。それ故に犬養家とはよく連絡をとっているので、芽衣自身もすぐに話を通せたわけだ。
「確か久陽君の誕生日は六月だったね。もう二十歳だからお酒も大丈夫だろう? 今回の合宿の中で一度は一緒に呑みたいところだな」
「そうですね。連二さんと違って、俺はお酒に弱いので手加減をお願いしますよ」
見た目とは裏腹に連二は根っからの体育会系だ。若い頃は剣道部に所属して、大会でも上位に食い込む猛者。今は居合にはまっているらしく、服の上からではわからないがその下は引き締まった筋肉の塊だ。
「あなた、一応言っておきますけど、今回の件で少しばかり社員の皆さんは、繁忙期に一部屋を一週間使うことに、心配している方々もいます。あまり羽目を外し過ぎると影で何を言われるかわかりませんからね」
「そ、それもそうだな。あまりみっともないところを見せるわけにはいかないな」
子供の前だろうと容赦なく物を言うのは妻の美香。
犬塚、犬養の両家とは遠い親戚関係にあり、乾家の本家筋は犬神などの超常現象に理解がある神職の家系だ。分家筋の彼女自身もその流れを汲んでいる為か、結界を張る程度の技は習得しているが、それを表立って使うことはほとんどない。
茶髪の髪がエアコンで揺れるが、彼女の瞳は一ミリも動くことなく連二を見つめていた。
「美香さんもお元気そうで何よりです。今回は本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「久陽君は気にしないで大丈夫です。責任は頷いたうちの旦那が全て背負いますから、遠慮なくゆっくりしていってください。具体的に言うと、来月の小遣いは申告制になります」
「う、それは勘弁してほしいな」
これだけ良い立地の旅館の経営をしていて、年収は相当あるはずだ。それでも未だにお小遣い制を敷かれているということは、よほど彼女のお金管理が厳しいか、連二の金遣いが荒いかのどちらかだろう。
久陽と芽衣は苦笑いをしながら、内心で前者の方であると思いながら朱理の表情を伺う。どうやら、この光景は日常茶飯事とまではいかないものの見慣れた光景のようで、朱理の顔色が変わる様子はなかった。
「そうそう、善輝ももう少ししたら帰って来ると思うから、よろしくしてあげてね。あの子もあなたたちに会うことをすごく楽しみにしていたみたいだから」
「そうですか。では、帰ってきたら苦手だって言っていた数学を芽衣に教えるついでに叩き込んでおきますね」
「ぜひ、お願いするわ」
善輝は野球をしながらも勉強をして学年で十位以内に入る頭もあるのだが、去年会った時には、どうにも数学だけは苦手で伸び悩んでいると漏らしていた。教えるならば一人も二人もそうそう変わらない。
久陽の申し出に喜んで頷く美香だったが、反対に芽衣は何とも言えない表情でため息をついた。
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