夏休みの一仕事Ⅶ
「さ、そんな下らない俺の話は置いといて、朱理の両親に挨拶しに行こう。何せ、こんないいところを用意してもらったんだ。失礼のないようにしておかないとな」
久陽は手を胸の前で大きく鳴らす。ムクとフウタが音に反応して、ピクリと久陽の方へと顔を向けた。
いきなり大きな音を出すなと言わんばかりに警戒している。その姿を見て久陽は若干、申し訳なさを感じながら後ずさった。
「と、とりあえず、俺は部屋の外で待ってるからな。準備ができたら来てくれよ」
そのまま、逃げるように部屋を出て行く。
その姿を見送った二人と二匹。部屋の中が途端に静まり返った。静寂が続くこと三秒。真っ先に口を開いたのは朱理だった。
「もう、芽衣姉ちゃん! 何やってるの!?」
「な、何って……」
朱理の穂を膨らませながらの抗議に芽衣は頬を引き攣らせる。そんな彼女の姿に遠慮することなく、朱理は距離を詰めて、人差し指を立てて迫った。
「一年振りの再会だから、上手く関係を構築し直したいって言ったのはお姉ちゃんでしょ!? そもそも、今回の勉強会の発案者の癖に、何でいきなり喧嘩腰になってるの?」
「し、しょうがないじゃない。あいつのこと見てると無性に腹が立って来るんだもの」
「あのね。今となってはリアルツンデレの受けがいいのは一部の人たちだけなの。これからは癒し系の時代だよ。お姉ちゃん!」
鼻息荒く朱理は力説する。
だが、悲しきかな。その主張の大半は芽衣の耳から入りはするものの、そのまま通り抜けて行ってしまう。顔が赤いのは夏の暑さゆえか。それとも久陽に対する怒りか。はたまた気恥ずかしさか。
途中で、朱理も諦めたのか、ため息をついて久陽が出て行った方を見つめて呟く。
「それに犬神を使えなくて、一番悩んでるのは久陽さんだと思うよ。お父さんが言ってたもん。色んな人に頼み込んで修行とかもしたけど、いつも上手くいかなかったって。自分に手伝えることがあれば良かったのにって。だから今回の勉強会も私たちが一緒にいることで、久陽さんが犬神使いとして目覚められたらいいなって部屋を用意してくれたんだよ。それなのに――――」
――――まさか会って十数分で相手が気にしている地雷を全力で踏み抜くとは思わなかった。
そういう視線を受けて、芽衣は思わず喉の奥に詰まらせたような声を挙げる。助けを求める視線をムクやフウタに向けるが、その点においては二匹とも朱理と同様の意見だったらしい。
フウタは貫禄のある老人のように大きく頷き、久陽に敵対的だったムクですら、あからさまに主である芽衣から視線を逸らした。
ばつの悪くなった芽衣は腕を組んで何とか自分の精神を保とうと久陽に責任転嫁する。
「そ、そうよね。でも、あいつも悪いのよ。絶対に才能があるのに、諦めたなんて嘘を口にするんだから」
「――――はぁ」
こりゃ駄目だ、と朱理は匙を投げる。
外では久陽が待っているのだ。これ以上待たせるわけにもいかないので、芽衣を放っておいて扉へと歩いていく。フウタも無言でそれに付き従った。
「ちょ、ちょっと待って。どうしたら挽回できるのよ?」
「お姉ちゃん。私より大人なんだから、それくらいわかるでしょ」
「わかってたら、こんなことになってないわよ」
『……おいおい、これじゃあ、どっちが年上かわかったもんじゃねえな』
急に野太い声が部屋に響く。
すると芽衣はムッとしながら振り返った。
「何よ。じゃあ、あんたはどうすればいいかわかるっていうの?」
その視線の先にいるのはムク。ただ一匹だった。
『あぁ。男って言うのは、朱理嬢ちゃんの言う通り、優しくされたら案外簡単にコロッといくもんさ。何でもいいから、褒めて煽てりゃ木だって駆け上る。そんなもんだよ』
ニヒルな笑みを浮かべながら、それ以上言うことはないと芽衣の横を通り抜けていく。
ムクとは長い付き合いだが、変に長いせいで、時々このように上から目線で話をするときがある。文句を言いたいが、言ったら負けな気がして握りしめた拳を震わせるだけに留まった。
「おい、何してんだ。お前も行くんだろ。それとも、何か調子悪いのか? それだったら俺たちだけで行ってくるけど?」
「今、行く!」
扉から覗いた久陽の言葉に促されて、芽衣も靴を履いて部屋を出た。部屋から遠退いていき、足音が完全に聞こえなくなる。
誰もいなくなった部屋が一瞬、赤く染まった。
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