散策Ⅱ

「それではこれで、失礼します」

「あぁ、ゆっくりしていってくれ。私たちはなかなか顔を出せないと思うが、困ったことがあったら形態に直接で構わないから連絡を入れてくれ」


 あまり長居をしては申し訳ないと挨拶もそこそこにして久陽たちは部屋を後にしようとする。


「あ、そうだ。久陽君、ちょっと……!」


 最後に部屋を出ようとしていた久陽は急に連二に呼び止められた。美香にもあまり聞かせたくないのか、部屋の隅まで久陽の腕を引っ張って行くと、連二は声を潜めて耳打ちする。


「兄さんからの伝言だ。『芽衣に手を出したら、わかっているね?』だそうだ。」

「ぶふっ!?」


 せっかく意識しないようにしていたのに、連二の一言で久陽はこれから一週間、同じ部屋で芽衣と過ごすことを思い出してしまった。

 ただ、芽衣の父も連二の心配も理解できないわけではない。年頃の男女が同じ部屋にいれば何も起きないはずはなく、などというのはよく聞く話だ。


「だ、大丈夫ですよ。そこまで俺も馬鹿じゃないですし、それに相手は芽衣ですよ? あれだけ俺を罵倒する奴が、俺のこと好きだと思いますか?」

「人生は何が起こるかわからないものだよ。私も美香さんとお付き合いするまでは親戚だったことも知らなかったからね」

「それに手を出そうとしたらムクに何されるかわかったもんじゃありません。仮に無事だったとしても、芽衣が一言命令すればアウトですから」


 そう考えると、意外と芽衣の警護役にムクというのは適役だ。芽衣の父親が許可を出したのも、ムクがいれば大丈夫だということだったのかもしれない。

 久陽の発言に一瞬キョトンとした顔を見せた連二は、いきなり爆笑しながら久陽の背中を思いきり叩く。


「ははは。久陽君、少しは君も自信を持ったらどうだい? アレはまだ続けているんだろう?」

「ま、まぁ、人並みには」

「だったら大丈夫だ。私も可能な限り力になろう。それと新しく見つけた書物は後で部屋に届けるよ。もし芽衣たちの視線が気になるなら、フロントの金庫に入れておくことも可能だけど、どうする?」

「後でフロントで受け取ります」


 そう答えると連二はニヤリと笑みを浮かべた。


「わかった。私の名前を出せば受け取れるようにしておく。一応、普段使わない四番の金庫棚に入れておくつもりだ。もし係の者が忘れていたら、その番号を伝えてくれれば大丈夫だ。あそこを使うのは私の関係者しかいないのでね」

「ありがとうございます」


 連二は昔から犬神が使えずに悩んでいた久陽の支援者の一人だ。事あるごとに犬神に関係する書物やアイテムを見つけて送ってくれたり、同じような能力を持つ知り合いを紹介してくれたりしている。

 久陽が首から下げている琥珀と黒が入り混じった牙のような形をした勾玉も、少年時代に彼から貰ったものだ。タイガーアイという鉱石を加工したもので、特別な能力を持っているわけではない。本当にただのお守り代わりのようなものだ。

 連二曰く、とある地域では霊力を授ける聖なる石であると言われているとか。

 それが真実かどうかは定かではないが、久陽は貰ったその日から毎日それを見につけて生活している。もはや体の一部みたいなものだ。通してある紐も何度千切れて交換したかわからない。


「あなた、引き留めていると朱理や芽衣たちが暇を持て余してしまいます。あまり独り占めしていると後ろからガブリとやられるかもしれないですよ?」

「おっと、それは怖い。引き止めてしまって悪かったね。それでは良い夏休みを送ってくれ」

「は、はい。ありがとうございました」


 短い時間であったが、乾夫妻は久陽を笑顔で送り出す。

 扉を閉めてエントランスまで歩いていくと、明らかに不機嫌な顔をした芽衣と苦笑いしている朱理がいた。また、何か言われるのではないかという不安を抱きながら久陽は二人の下へと近づいていく。

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