夏休みの一仕事Ⅱ
日差しが当たってもいないというのに真っ白な毛並みが目立つ柴犬がいた。伏せの状態から見上げるその姿は、まるで厳つい人が眼を飛ばしているようにも見える。
『うちの主に何か文句でも?』とでも言っているかのようだ。
久陽はにっこりと微笑んでくる朱理に、引き攣った笑みを浮かべながら両手を上げて降参の意を示した。
「わかった、わかった。俺が悪かったって」
「わかればよろしい。それじゃあ、ついて来てください!」
「頼むよ――――っと!?」
道案内を始めた朱理と何も言われずとも理解して立ち上がる犬。遅れないように前へと進もうとしたのだが、如何せん場所が悪かった。
改札口の目の前だったせいで二人の間を中年の男性が横切っていく。キャスター付きの旅行鞄をガラガラと引いていく姿は夏休みにはよくある光景だが、犬の後ろ脚へと直撃する。
「…………」
しかし、犬の悲鳴が響くことはなく、男性も犬が見えていないかのように構内へと入って行ってしまう。その背を久陽は一瞥して朱理の後を追った。
反対方向に足湯が見えたが旅館に着けば、それ以上のいい景色と風呂と料理が待っている。少しばかり後ろ髪を引かれながらも追いつくために歩幅を大きくする。
ピース通りと書かれた大きな商店街の通り道へと向かいながら久陽は朱理に話しかける。
「ここから十分くらいだっけ?」
「うーん、もうちょっとかかりますね。遅くても三十分くらいです。この季節だと地味にきついですけど」
アーケードで日差しが遮られているとはいえ、夏の暑さは容赦なく襲ってくる。それに人込みという熱気が加われば悲惨なことこの上ない。手で胸元のシャツをはためかせて少しでも熱を逃がそうとするが、体を動かした分だけ暑くなるだけだった。
「あ、お稲荷様寄ってきます? 厄落としついでに」
「いや、それはまた日を改めてにするよ。少なくともこの荷物を持ったまま行くのは勘弁だね」
背負ったリュックサックと肩に駆けたバッグを軽く動かす。街中にある神社だが、急で狭い石段を登らなければいけないので、この荷物では邪魔になるだけだ。
「それくらいなら、フウタでも運べるけど、って、あれ? 久陽さんって、もしかして……まだ?」
「悪いな。成人しても未だに進展はなしだ。それと安易にフウタにばっかりやってもらうのは可哀そうだろ。」
フウタとは先程からリード無しで朱理の周りをうろついている白い犬の名前だ。彼女が物心つく前から、こうだったらしく、兄と妹、或いは父と娘のような関係だ。
久陽がフウタの名前を口にすると、明らかに不機嫌そうに首だけ向けて短く唸る。
「わかった、わかった。落ち着けってフウタ。そんなに俺、お前に酷いことしたことないだろ?」
プイッと久陽の言葉を無視して、朱理の横を歩き始める。内心、犬の分際で偉そうにと毒づきながらも争ったら万が一にも勝機はないし、争った時点で人として負けな気がする。久陽は口元を引き攣らせながら話題を変える。
「兄ちゃんの
「お兄ちゃんは相変わらずですよ。帰ってきたら食べて、寝て、起きて、宿題やって、学校行っての繰り返しです。夏休みに入ってからは午後は自由に使えるので、全然心配いりません」
「本当に体力だけは化け物だよな。あいつ。」
善輝は朱理の一つ上の兄で中学二年生。絵に描いたような野球少年の出で立ちだが、背が少しばかり低いことがコンプレックスで、朱理よりも低いことを気にしている。昨年の段階でもかなり差があったはずなのだが、今年こそは差が縮んでいると思いたい。
こんな風に心の中で応援する気持ちが芽生えたのは、神社に参拝した時に彼が願っていたことが、身長が伸びて欲しいというたった一つの純粋な願いをお願いしていたからだ。
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