第7話 部室には

「で、いつ治るんだ?」

 友人の症状を気にする問いには、

「まだしばらくかかる」

 曖昧にしか答えられない。

「そうか」

 ちょうど、図工部部室前まで来た。そこは教室が並ぶ第一棟や化学室・生物室等特別に実験などが必要なスペースを設けた教室が並ぶ第二棟からさらに渡り廊下を隔てて、音楽室や美術室のある第三棟の最上階の廊下端にある教室だった。

「じゃあ、もらうもんもらって帰るか」

「作業料もらいたいくらいだ」

「何言ってる。練習になるだろ。それに部費っていうか、活動費は魔女が稼いでいるだろ」

 同好会は部と違い、学校の公認ではないため部費が下りない。図工部の活動費は女古優麻が出品し得た賞金や権利収入を充てていたのだ。材料費もばかにならない。

「そういや、こないだも入賞したって言ってたな」

「スゲーな。魔女」

「言ってろ」

 飽き飽きしながら、部室のドアを開けた。

 電灯のついていない部屋に、午後の明るさが入っていた。開け放たれた窓。クリーム色のカーテンがそよいでいた。残暑の蒸し暑さは、ほのかにしかなく、しなやかに届いた風のせいか、教室よりも居心地がよさそうに感じられた。いつもならもっと室内の気温が高くてもおかしくないのに。

「え?」

 辰流の声が漏れる。そこは、いつもではない状況だったからである。

「誰?」

 辰流の横顔に疑問を冷静に述べたのは道下。彼の言うどおり、辰流が二の句が出ないとおり、一人の知らない、校内に不釣り合いな少女がいた。

 彼女は悪びれた様子もなく、サッシに腰を下ろして、視線を窓外に向け、足を宙に遊ばせていた。白色と水色のボーダーのティシャツの袖を肩までまくり上げて、ショートパンツ姿の、良い色に日焼けした小麦色の肌。髪を後方に一本の編みこみを垂らしている、一見して小学生高学年に見える少女だった。

「あ!」

 辰流は思わず指を向けた。木からの落下を救った少女だった。しかし、その時は浴衣みたいな恰好だった。そのせいで思い出すのに、わずかな時間がかかったのだ。

 少女は高校男子二人の方を見やると、破顔一笑。窓からダッシュして、ドアのところで突っ立ったままの辰流に抱き着いた。

「え? はぁ?」

「おい、辰流。これは一体どういうことだ?」

 辰流だけでなく、道下も慌てている。事態が飲み込めない。そして、その泡を食っている男子高校生思春期ちゃんたちを無邪気な一言が更なる狼狽へと導いた。

「ぱぱぁ!」

「PaPa?」

 火の玉が左腕を貫通してまで果敢に妖怪を救った勇者は、少女の甲高く鼻にかかった二音節に痛恨の一撃を食らい、素っ頓狂な声を上げた。

 胸にうずめる少女の頭部から視線を道下に動かすと、旧友は驚愕すべきなのか非難すべきなのかに困惑する表情を浮かべていた。

 さらに道下の、友人を誤った道からフォローすべきなのか、そういうものとして受け入れるべきかのためらいにとどめを刺す決定的な一言を、辰流にしがみついたままの少女は嬉々として告げた。

「だってぇ、熱くほとばしる精気を与えてくれたでしょぉ」

 道下は迅速に無言でスマホをズボンのポケットから取り出した。決然として行わなければならないことがある、そんな顔つきになっていた。

「ちょっと待て」

 竹馬の友がこれから風俗取締りのためにどこに電話をかけるのか察しがつくもので、それは何としても止めなければならない。なぜなら、辰流には身に覚えがまるでないのだ。だから、正論をつきつける。

「よく考えてみろ。俺もお前も十六歳。この子はどう見ても小学校高学年。ということは、どう引き算しても、俺は精通していないような年齢で行ったことになるんだぞ。よくよく計算してみろよ。その頃なんて俺とお前が××に立ちションして、お前の父さんにこっぴどく叱られたころだぞ」

 それも一理ある的な顎に手を当てて思案気な道下は別の一点を、発見したようで、

「辰流。さっき、こないだ金が入ったとか言ってなかったか?」

 と問うてきた。それをいぶかしそうに聞きながら、辰流は説明を付加する。

「さっき言ったのなら、優麻先輩がなんか作業している時に、ちょこっと戯言だしたら、ヒントになったみたいで公募した、何だかの理論だかで、その賞金の一部を俺にくれたっていう。でもな、あれはな、実験の材料費になって」

「それのか?」

 辰流の左腕を指さして、どこまでも冷めた目の道下。

「材料費だけで全額使わんだろ。その一部を彼女の……」

 言い終わらずに、道下はスマホの画面を動かしている。

「お前売春とか言うんじゃないだろな。って、かけようとしているのは……」

「父さんにだ」

「県警トップに直通するな!」

「安心しろ。強面の制服警官が来んように口添えはしておく。武士の情けだ」

「だから! この子はだな。優麻先輩の……」

 勝手に開いた口だったが、それを最後まで突き通すしかない。

「優麻先輩の遠縁の子でお前も知っているだろうが夏休み中俺は優麻先輩の手伝いやらもしていたからその際に知り合ってどういう理由かは知らんが懐かれてこうなったというわけだ」

 どこにも句読点も息継ぎもない友人の説明に、

「小学校はもう学校が始まっているんじゃないのか?」

 道下の常識的見解が迫る。

「田舎の出だから、こことは日程が違うんだ」

 荒くなっている息をかろうじて抑えつつ、

「ほら、これ。あとこれ」

 用件を済ますため、室内に慌てて入り、隅に寄せられた机に鞄を置いた。急いで出来上がった品を入れた箱と、さらには優麻の同級生・甲斐から差しいれられたマドレーヌを一つ渡す。その強引な渡し方で、道下の手元からスマホがずれる。

「お前、この後用事あんだろ」

 依頼物とスマホを鞄に仕舞って、

「理が通ってない訳ではないようだな。いいか、辰流。よく考えて行動するんだぞ。プライバシー保護のため、音声を変えています的なインタビューに俺は出たくないからな。今回は執行猶予にしておいてやる。それとな」

「まだあんのかよ」

「お前、できもしない物をまだ作ろうってなら、いい加減見切りをつけた方がいいぞ。まあできたらできたで、魔女の弟子がレベルアップしたと認定されるだろうがな」

 司法関係者でもない道下は、しぶしぶ辰流の事情を飲み込んで、行ってしまった。

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