第2話助けられる
僕は、39歳の時働けなかった。
だから、お金がない。
あまり、実家に迷惑かけられないし、嫁さんと別居しているので、ご飯が食べられない。嫁さんは、姉弟と住んでいたので、僕は住みづらくて一人暮らしを選んだのだ。
だから、円満別居なのだ。
しかし、お腹が空く。水ばかりの飲む生活。
ある日、コンビニで働く中国人と仲良くなり、廃棄弁当を貰えないか?と、言ったら、ビニール袋一杯の弁当やおにぎりをもらえた。
お礼を言って、無心に廃棄弁当を食べた。
しばらくは、その中国人にお世話になったが、その子が中部国際空港で働くようになり、弁当の支援が止まった。
働きたいが、あの頃は病気で働く事はおろか、歩く事さえもやっとであった。
3日間何も食べる事が出来なかった。
僕は色んな事を考えて、行けなくなって久しいたこ焼き屋さんに電話した。
「すいません。僕は今日はお金を払えませんが、何でもいいので食べさせてください」
と、お願いするとマスターが、
「ええよ!こやぁ」
と、言ってくれた。最初で最後のツケでの食事。
店に行くと、
「病気に負けちゃいかん、頑張るんだ!」
と、ドラマのように僕を励まして、チャーハンを作ってくれた。ありがたかった。
僕はお礼を言って、帰宅した。
それから、腰にブロック注射をしてから、仕事を始めた。
休み勝ちだが、調子の良い日は働いた。それから、食料は社会福祉協議会に電話して支援してもらった。
数万円の給料だが十分である。
その給料を持って蛸ん壺に行く。久しぶりに瓶ビールを飲み、その日の食事代とツケの分を支払った。
「君は頑張ってる。オレは嬉しい。病気にまけるな!」
と、タバコを吸いながらマスターはニコリと笑った。
その時の仕事の給料では、まだ、蛸ん壺で飲み食い出来るのは、ギリギリだったので転職した。
最後に蛸ん壺行ってから、3年間、仕事を頑張った。
そして、いよいよお金に余裕が出来ると、再び蛸ん壺の常連になった。
マスターは、
「仕事、頑張ってるね」
と、言って瓶ビールを出した。
僕はコロナ期間は蛸ん壺が閉めていることを知っている。
ある日、そこでいつもの様に飲食していると、会計時に真っ青になったお年寄りがいた。
確か、1680円だったと思うがそのは何回も財布を見たが、お金が無い。
ツケの常習者。
そのお年寄りは、飛んでも無い行為に及んだ。
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