第3話 喫茶店にて

北村との出会いは枯れていた私の心に澄んだ水を垂らしてくれた。本来ならその場限りの付き合いだったはずなのに、気がつけば私たちはお互いの連絡先を交換し、温泉ツアーから3ヶ月が経った今でも、ちょくちょく連絡を取り合う仲になっていたのだ。


「天野、何かいいことでもあったか?」


温泉ツアーから帰ってきた週明けの月曜日。職場でいつものようにパソコンに向かってデータを打ち込んでいると、先輩から声をかけられた。


「え、どうしてですか」


「いや、だってさっきから笑ってるから」


「……」 


おかしい。笑いながら仕事をしているつもりなんかまったくなかったのに。側から見たら普通に気持ち悪い人間じゃないか! 


「恋でもしたか? まあ恋も仕事もどっちも大切にしろ」


先輩は「いいこと言ってやったぜ!」というノリで歯を見せて笑って去っていった。

データの入力がひと段落ついたところで、私はデスクに置いてあるマグカップを手に取りコーヒーを一口口に含む。もともとコーヒーは苦いブラックが好きだったけれど、最近はミルクと砂糖を入れるのにハマっている。


「ふう」と一息ついて手慰みにスマホをいじる。LINEの通知を見ると、今日も北村から連絡が来ていた。


「週末、お茶でもしに行きませんか?」だって。

彼はお酒を飲むよりも昼間にゆっくりとお茶をする方が好きらしい。珍しい男だと思いつつも、落ち着いた雰囲気の彼にはよく似合うと納得している。私はすかさず「いいですね」と送った。彼と私のLINEのやりとりは基本こんな感じだった。あの温泉ツアーからもう数回彼とこうしてお茶をしている。


メッセージを送り終わると、自然と口元から笑みが溢れた。これだから先輩に突っ込まれるのだ。私はそっと周囲を見回して、誰も自分のことなど見ていないということを確認する。恋をしている時の自分は、たぶん相当格好悪いから。





北村と約束をした週末が訪れた。お互い独身だからか、休日の時間は有り余っている。


「やあ」


「こんにちは」


待ち合わせ場所の喫茶店に着くと、北村はカメラを手に先に席に座っていた。街中にある昔ながらのその喫茶店では、お一人様のおじさま、おばさまたちが優雅にコーヒーを飲んでいる。マスターは気さくな人らしく、カウンターでマスターと話している大人たちの目は活き活きとしていた。若いカップルはほとんどいなくて、自分たちのような年齢の二人組はこの場所にはちょっと場違いかもしれない。


「マスター、ブレンドコーヒー二つお願いします」


「はいよ」


私たちが喫茶店に来るときはいつもシンプルにブレンドコーヒーを頼む。マスターがその場でじっくりと淹れてくれるコーヒーは、香りだけでもかなり心が満たされた。北村は運ばれてきたコーヒーに、たっぷりのミルクと砂糖を入れる。見た目とは裏腹に甘党らしく、毎度のことだが心の中でつい笑ってしまう。私も彼と同じように、ミルクと砂糖を追加した。


「最近どうですか? 新しい写真は撮れましたか」


「ああ、いま調子がすごくいいんだ」


ほら、と言って彼は手にしていたカメラに収められた写真を見せてくれた。水平線に沈む夕日が海面に一本の光の道をつくっている。彼は風景を得意とする写真家らしく、彼の撮る写真と自分が見ている世界の風景があまりにもかけ離れすぎていて、本当に同じ地球を写し出した写真なのかと疑ってしまう。つまるところ、それほどまでに彼の写真は洗練されていた。


「素敵じゃないですか! 北村さんの写真って、本当に神秘的で好きです」


「ははっ、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」



 

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