重力魔剣士の異世界事変
かじ
第1話 目覚め
青臭い匂いに、ザァザァと草が擦れる音がした。
風が強い。
眠ってしまっていたようだ。
地面に仰向けのまま目を空けると、視界はスラッと背の高い深緑の草に取り囲まれ、ポッカリとくり貫かれた円形の青空が見えた。
「ここは…………どこ、だ?」
初めて聞く自分の声。だが、不思議としっくりくる。
仰向けのまま空に向かって手を伸ばすと、見覚えのない手が見えた。
誰…………いや、自分の手か。
「今まで何を…………? いや、どうやってここに?」
丸い青空を見ながらここまでの記憶を探ってみるが、脳内に見えない壁があるように何も思い出せない。
な、なんなんだ…………記憶がない?
「俺の、いや、僕の? 名前は…………」
わからない。
「家族は…………」
わからない。
「友達は…………?」
わからない。わからない。わからない。わからない。わからない…………!
記憶がないということは途轍もなく恐ろしい。
「な、なんだ!? 何もわからない。自分が誰なのかさえも…………!」
途端に呼吸が苦しくなり、掻き込むように息を吸う。
「はっ……、はぁっ! ひゅー、ひゅー、ひゅーぅ」
恐怖が胸を埋め尽くすようにゾゾゾゾと全身を襲う。
「い、息っ……!」
うつ伏せになり頭を土にこすり付けながら、胸を押さえて激しく呼吸を繰り返す。
「だ…………れか、たす、たす…………け」
弱々しい声で、涙を滲ませながら助けを求めた。
地面の土は黒く、周囲の草は露を含んでいて少し濡れている。着ていた服が露に濡れ泥だらけになっても気にする余裕はなかった。
頭を抱えていると、頭の中で声がした。
【混乱耐性を取得しました】
な、何…………?
何か聞こえた気がした。でも気のせいかもしれない。
大丈夫だ。落ち着け、落ち着け、落ち着け落ち着けっ…!!
混乱が少し治まってきた気がした。ざわざわと胸を埋め尽くしていた恐怖の波が徐々に退いていくのを感じる。
少しはまともに思考ができるようになった。一度空気をしっかりと吸い込んで、吐き出す。
「すぅーーーーっ、はぁ…………」
寝転がったままじゃダメだ。とりあえず立ち上がろう。
震える両足にグッと力を入れ、首を背の高い草から出す。
「なんだ……ここ…………」
視界に景色が入った瞬間、ゾクッ……と髪の毛が逆立つような感覚とともに、鳥肌が立った。
ここは、見渡す限り美しい草原の中だった。
露に濡れた草が風に揺れると、陽光でキラキラと宝石のように水滴が優しく光っている。遠くには大きな湖が見え、その水面は草原とは対照的に陽光を強くギラギラと反射していた。湖の奥地には薄く霧が出ており、この辺りも湿気が溜まりやすいようで、息を吸うと湿った空気が肺にじんわりと入ってくる。
腰くらいまである草は、風が吹くたびに海のように波立ち、草のすれるサラサラとした音が周囲を立体的に埋め尽くしている。空には5羽の鳥がハの字に編隊を組みながら遠くへ向かって飛んでいた。
「はぁ………………」
思わずため息が漏れた。それほど雄大で美しい景色。先ほどまでの不安はどこへやら、景色に見入った。
「ははっ、なんだよこれ……」
湖を眺めていると、不思議と涙が溢れて頬を伝って流れた。懐かしいというか、寂しく切ない感情がこみ上げ、胸を締め付けてきた。
思わず着ていたTシャツの襟元を掴んで涙を拭う。
どれくらい経っただろうか。ようやくこの景色を現実だと受け入れ、落ち着いてきた。
改めてゆっくりと辺りを見回すと、この湖周辺は隕石が落ちてできたクレーターのような窪地になっていることがわかった。クレーターの底には水が溜って湖になっており、その湖は向こう岸が見えないほどの大きさで、直径2キロ以上はある。
俺は、そのクレーターの緩やかな斜面中腹に立っている。
でも、なんで涙が出たんだろうか。日本では見られないほど、雄大な自然だからだろうか?
「そ、そうだ。にほん、日本だ…………!」
ふとした拍子に出た言葉に懐かしさを感じ、ホッとした。
そう、そうだった。良かった! 俺は日本に住んでいた!
思い出せたことが拳を握るほどに嬉しく、少し不安が和いだ。
そうだ。行動すれば段々と思い出せるかもしれない。
前向きな気持ちに、顔を上げて前を見た。
ちょうどその時、湖の対岸の霧が風に流れたのか薄くなり、建物らしきもの、そして町のようなものが見えた。
「良かった……」
運が良い。とりあえずあそこに行ってみよう。
ようやくこの世界で1歩目を踏み出した。
◆◆
実際歩き始めると、草に足を絡め取られて歩きづらい。しかも足元が見えないというブラックボックス感に恐怖が付きまとう。
「生き物がいたら嫌だな……」
歩いていると、草に付いた露がズボンに染み込んで湿ってきた。ズボンが足に張り付いて気持ちが悪い。
因みに俺の服装は、黒のチノパンに七分丈のクリーム色のカットソー、有名メーカーのスニーカーのようだ。
歩き始めて気がついたが、海のように見える草原には、島のように突き出た大きい岩が複数個あった。
「あぁ、助かる」
草の中から出たい。靴の中まで水でビショビショだ。
ビュウビュウと強い風が吹く中、近くにある岩を目指して歩く。すると、
グニンッッ……!
歩き出してすぐ、柔らかいものを靴の下に感じた。
「んんっ……!?」
なんだ今のは……?
恐る恐る右足を持ち上げて靴の裏を見てみると、薄水色の透明なゼリーが付着していた。
「なんだこれ? やっぱり、なんかいるのか……?」
未知の生き物に恐くなって走り出した。
草に足をとられ、絡んだ草をブチブチと引きちぎりながら息を切らして夢中で走る。そして近くにある草原から2メートルほど突き出た岩によじ登り、周りを見回した。
「はぁはぁ、はぁはぁ……いない? いや、いる!」
よく目を凝らすと、俺が歩いてきた跡を追ってガサガサと草が揺れている。何が来ても対応できるように、立ち上がって揺れる草を注意深く見つめた。
野犬か? 追って来たってことは襲ってくるつもりか?
武器がないのが心もとないが、拳を握ってファイティングポーズを取る。
「来てみろ! やってやる!」
自分を奮い立たせるようにそう言った時、
ピョコン!
草から飛び出したのは子犬ほどの大きさの、水色で透明なゼリーのようなものだった。ピョンピョンと跳ねながら近寄って来る。
それはまるで…………。
「……スライム?」
そう、そいつはどこか見覚えのある姿をしていた。
向こう側の景色が透けるほど透明なゼリーの体の中に、黒い塊のような石が1つだけフヨフヨと浮いている。なかなか可愛く、透き通っていて綺麗な生き物だ。
興味本位でその生き物を注意深く観察していると、溜めを作るようにプルプルプルプルと揺れながらグググと縮んだ。
嫌な予感……。
そいつは溜めを弾くように解放し、ボヨンと跳ね上がった。
気付いた時には、視界いっぱいにスローモーションにブヨブヨと振動しながら近づくゼリー状の物体が見えた。
「うをっ!!」
ブヨンッ!
上体を反らしながら反射的に右腕で防ぐと、思った以上の衝撃に体勢をキープできなかった。
「いでっ!」
弾かれた俺は、悲鳴を上げながら岩から転げ落ちていく。視界が空、自分の足、岩肌、と2回転ほどすると、草原にガサッと頭から突っ込んだ。
痛たた…………!
大した怪我はないが、何度もくらうとヤバそうだ。急いで立ち上がりながら口に入った草をぷっと吐き出す。
「野郎…………!」
岩の上のスライムを見上げると、体当たりの衝撃がスライムの体を駆け回り、ゼリーの体が波打っている。
「ん?」
どうやらボヨボョと振動して落ち着くまでは動けないようだ。
とっさに足元に落ちていたリンゴ大の石を鷲掴みにし、そのままスライムのいる岩をダダダッと駆け上がる。そして
「こんの!」
もたついているスライムをその石で殴り付けた!
ブヨンッ…………ガリッ……………………。
ゼリーの中は冷たく速度は落ちたが、その中の黒い石をかすめたようだ。
スライムはビクッと体を震わすと、ぐすぐすと崩れ落ち、岩にシミとその黒い石がコロンと残った。
「……倒せた、のか?」
今のはスライムで間違いないのか……? だとしたら、まるで本当にファンタジー世界のようだ。
スライムが落とした黒い石を屈んで右手でつまみ、拾い上げながら岩の上に腰を降ろす。
目の前に掲げると、それは小石くらいの大きさだが、見た目よりもずっとずっしりとした重量感があった。だがそれ以外は本当にただの石のように見える。
「同じような奴がまだいるかもしれないな」
そう思って草原を見下ろせば、至るところに隠れてるようにも見える。
スライムを殴ったこの石は武器として持っていこう。素手よりはマシだ。とにかく、町まで行って情報を得たい。
意を決して町を目指し、歩き出す。今度はしっかりと草が不自然な揺れ方をしないか注意深く確認しながら進んだ。
◆◆
10分ほど歩いただろうか。近そうに見えてなかなか湖が遠い。よくよく見渡すと、俺がいるこのクレーターは直径10キロくらいはありそうだ。先ほどよりも太陽が昇っていってるところを見ると、まだ午前中だろう。
歩いていると再び草が揺れた。
「またお前か……」
ある程度スライムの対処にも慣れ、恐怖しなくなってきていた。
そして今しがた、現れたスライムを倒したとだった。
「ん……?」
何か体がじんわりと暖かくなったような感覚がした。と思いきや、目の前に半透明のプレートが現れる。
======================
名前不明 16歳
種族:人間
Lv :1→2
HP :15→18
MP :16→20
力 :11→17
防御:6→9
敏捷:13→16
魔力:15→20
運 :10
【スキル】
・鑑定Lv.1
【耐性】
・混乱耐性Lv.1
【ユニークスキル】
・お詫びの品
======================
「ゲームみたいだ…………」
思わず口から出たが、確かにまるでRPGゲームのステータス画面だ。
まさかここはゲームの…………? いや、いやいやいや。いくらなんでもこれはリアル過ぎる。
自分の視界や、スライムを倒した時の手の感触、痛みを思い出した。
どう考えてもここは現実…………ならばそんな世界へ迷い混んでしまったと考えるべきだろうか?
ただ不思議なのは、この世界に会いたい人が、俺が求める人がいる。そんな気がすることだ。まったく知らないわけでもないのか?
「いや、それより今は生きること優先だ」
さて、レベルが2になっているということは、先ほどの感覚はレベルアップで間違いないだろう。そして気になるのはユニークスキルの『お詫びの品』。
都合が良いことに、俺は元々鑑定スキルを持っているようだ。名前の通りなら、詳しい情報が知れるはず…………。
鑑定。
そう念じると、スキルの説明が現れた。
『お詫びの品』
・成長率に補正極大
・経験値の取得量が3倍
内容を見れば随分おまけしてくれたようだ。
ただ、お詫びって何のお詫びなんだ? 誰かが俺に対して謝っている。そういうことだよな? やはり記憶が戻らないことにはダメか。それに何か大切なことを忘れているような……。
ーーーー深い喪失感
胸を掻き抱きたくなるような切なさが時折襲ってくる。
「…………ダメだ。思い出せない」
何をするのにもまず、ここで生き延びなければならない。
◆◆
それからはスライムをどんどん討伐しながら歩き、遠くに見えていた湖にようやく到着した。
霧がかかっていた湖は、近くで見ると水は透き通り、魚も見える。陽光が水面に反射してキラキラとまぶしい。湖の縁は草原ではなく、川原にあるような手のひらサイズの石がゴロゴロとしていた。
そこで初めて水面に写った自分の顔を見た。黒髪の短髪で前髪はかき上げている。目は大きくくっきりとしていた。上の下くらいの顔立ちだろうか。身長は高めで180センチくらい。
「…………ふぅん、なかなかイケメンじゃん」
自分の顔にこんな感想を思うのも変な気分だ。
そのまま湖の縁に沿って歩いて町を目指すが、不思議なことにスライムの襲撃はあれからぴたりとやんでいた。だが、そのことに安心している余裕は到底なかった。
太陽が傾き始め、オレンジ色に変わりつつある光が草原を照らす。
「はぁ、はぁ…………!」
順調に町に近づいてはいる。だがここは土地勘がないどころか、知らない世界。ましてや命を狙ってくる魔物がいる世界だ。
初めて見るこの世界の夕陽は、俺に焦燥感を募らせ、心と体力を削っていくーーーー。
それからしばらく歩き、太陽がさらに茜色を濃くした頃、ようやく町の近くまで来ることができた。すると、町の外に人影が見える。
「あぁ、良かった。ヒト、ヒトだ…………」
額の汗を拭いつつ、ため息混じりに安堵の声が漏れた。
正直、周辺にスライムが多かったため、町に魔物が住んでいたらどうしようかと思っていた。
人の姿を見つけたことで、心に少し余裕が生まれ町を観察する余裕ができた。
町には塀や柵がなく、町を取り囲むように多くの畑がある。家屋は石やレンガ造りで、文化レベルは中世ヨーロッパくらい。やはり水場が近いためここで暮らしているんだろうか。
そうやって遠くから町を観察しつつ、畑で作業している人に近付いた。その人は3反はありそうな畑で、ゴツゴツとした黄色いカボチャのような植物を育てていた。
まず、言葉が通じるかどうかだ…………。
心臓の鼓動がドクンドクンと早くなる。
「がんばれ…………俺っ!」
気合いを入れるように頬を叩く。
今さらだが、俺は人見知りだったようだ。
「こ、こんにちは…………」
右手を上げて、恐る恐る話しかけた。
俺の声を聞いて畑作業から顔を上げたおじいさんは、欧米風の顔つきをしていた。見慣れない俺に一瞬戸惑った様子だったが、手に持っていた鍬を置き、普通に返事を返してくれた。
「こんにちは。旅の方ですか?」
良かった。言葉が通じた!
おじいさんは畑作業で日焼けし、少し色黒で柔らかそうな物ごしだ。
良い人そうで助かった。
「あ…………ええ、と」
話ができて安堵するも、自分のことをなんと説明すべきか困る。
「……は、はい。旅の途中で、この町に宿はありますか?」
とりあえず話を合わせる。
「そうでしたか。この町に旅の方とは、本当に何年ぶりでしょうか。かなり、いや。大変めずらしいですな」
おじいさんは驚いた様子で言った。
「そんなに珍しいことなんですか?」
…………なんでだ?
「私も長年生きてますが、2~3回でしょうか」
ニコニコと愛想よく答えてくれるおじいさん。
「はぁ……」
もしかしてこのおじいさん、ボケてる? 田舎町だとしても、それはさすがにないんじゃないか?
「おお、そうそう宿でしたな。この町に宿はありませんが、あそこなら泊めてくれるでしょう」
おじいさんは鍬を支えにしながら上を見て、店の名前を思い出そうとしてくれている。
「たしか…………デリックという飲食店ですな。町に入って真っ直ぐ行くと広場があります。その広場で一番大きな建物の右隣です。ここまでご苦労様でしたね。ゆっくり休んでください」
そうニッコリと微笑みながら教えてくれた。とても人の良さそうなおじいさんだった。
「ありがとう、ございます」
ペコリと頭を下げて、おじいさんとは別れた。
畑の間を抜け、町に入ると幅3メートルくらいの整備された石畳の道が現れた。石畳はずっと町の広場まで続いている。
しばらく道を進んでいくと、ガヤガヤと賑いが増してきた。すれ違う人たちには先程のおじいさんが育てていたカボチャに似た野菜を運ぶ人や、荷台に魚を乗せている人たちがいる。農業と湖の漁業がメインの町なのだろうか。
そうしてすぐに広場に到着した。広場までは20人ほどすれ違ったが、やはり皆よそ者の俺のことが気になるようで、正直失礼だろと思うくらい、ぶしつけな視線を感じた。
「おじいさんが言っていた広場で一番大きな建物は…………これか」
広場には木造の3階建ての建物がある。その建物の隣には、ナイフとフォークが交差したマークが扉に描かれた建物があった。大きく『デリックキッチン』と書いてある。
デリックてのは店長の名前かな?
建物は丸太を使って作られたログハウス風で、正面から見た感じでは大きくなさそうだが、2階建てで奥行きがあるようだ。
いきなりは緊張するから中を覗いてみよう。そっとドアを押すとギィっときしむ音がした。
「いらっしゃい!! ぼうず1人か?」
「うわっ!?」
様子見に覗くだけのつもりが、突然頭の上からかけられた大声にビクッとする。
上を見ると、身長2メートル近くはあるだろうか。ガタイが良く引き締まった体をした、左目の下に縦に傷のある40歳くらいのおじさんが俺を見下ろしていた。その髪の毛は灰色で短く切り揃えられており、笑うと目が細くなり愛嬌のある顔をしている。
「は、はい、1人です」
今までずっとこの世界のことに気を取られて来たが、そこで初めて現実的な問題に気がつく。
あ……俺、泊めてもらうにもお金持ってないよな…………。
「1名様だな! ……ん? どうした?」
態度に出ていたのか。もじもじしていると、店主の方から声をかけてきた。
「すみません、お金を全く持っていないんですが……」
「おぉ……なんてこった」
店主はペチンと手のひらでデコを押さえるジェスチャーをした。
まずい……追い出されるか?
「まったく。どっから来たんだか。というかお前、荷物も何も持ってないのか?」
店主は俺のことを上から下まで見た。
「はい、途中でなくしてしまって……」
思わず申し訳なくなって目をそらした。
「途中? そういや見ない顔だな。まさか、外から来たのか?」
…………外? そんなこと聞くのは畑のじいさんだけだと思ってたがこの人もか。なんでそんな言い方なんだ?
答えに迷っていると勝手に解釈してくれた。
「そのようだな。魔物に襲われでもしたか。大変だったな」
店主は哀れみと興味を兼ねた目で俺を見てくる。ここも話を合わせた方が助かりそうだ。
「はい、そうなんです。それであの……何かお金を稼ぐ方法はないですか?」
もしなければ、俺はこの世界で野垂れ死にするしかないのだろうか…………。
「んー、そうだなぁ……」
店主は腕を組んで考える。
「皿洗いでも、何でもできることならします!」
とにかくここで負けてはダメだ。
俺は食い下がった。
「……ああ、うちの店の手伝いをしてくれるなら泊めてやらんこともないな」
「ホントですか!?」
思わず食いぎみに聞いた。
き、希望が……!
「ああ。まぁ手伝いと言っても料理は俺と家内で手が足りてるから、食材の調達がメインだな。それでもいいか?」
正直、無一文の俺に断るという選択肢はない。いきなりの働き口だ。とにかく、主人の気が変わる前に承諾しよう。
「大丈夫です! 宜しくお願いします」
そう言って頭を下げた。
「お、おう。礼儀正しいやつだな。よしわかった。これから宜しくな! とりあえず飯にするか。空いてる席に適当に座って待っててくれ!」
「わかりました。ありがとうございます」
良かった……これでなんとかこの世界でも生きていけそうだ。心底ホッとして、ドッと疲れが来た。
店主に促され、ひとまずカウンター近くのテーブルに座り落ちつく。
店内を見渡すと、入って正面がカウンターとその奥が厨房。左奥の階段から2階に行けるようだ。巨大な丸太を薄切りにして脚をつけたような丸いテーブルに、少し暗めのランプと、落ち着いた雰囲気のある店内だ。夕食の時間には早いのか遅いのか、他に客はいない。
食材調達とは、いったい…………あるとすれば、農業や漁業のことだろうか?
そして気になったことがある。ここへ来るまで何度もスライムに襲われたが、この村には柵すらなかった。あれで魔物が町に入ってくることはないのだろうか?
そんなことをいろいろ考えていると猛烈に腹が減ってきた。
「はいよ。おまたせ!」
すると、ちょうど店主が料理を運んできてくきた。
料理は木をくり貫いて作られた器に盛られたシチューと、葉物野菜にパンだった。シチューの匂いが鼻を刺激し、何時間煮込まれたのか、口に入れた途端に柔らかくほどける肉の繊維と溢れる肉汁が脳を麻痺させる。
人目を気にせず一心不乱に食べた。
すると
「ずびっ…………」
どうしようもなく涙が出てきた。
何1つ分からない状況で不安だらけの中、やっと落ち着けたこの場所の温かさは心に沁み渡る。
気が付けば皿は空だった。顔を上げると、店主がケラケラ笑いながら見ていた。
「なははは!! うちの料理をそこまでうまそうに食べてくれるやつは初めてだ。今日は大変だったんだな」
店主は腕を組みながら、うんうん頷きながら話した。
「疲れてるのよ。早く休ませてあげなさいよ」
厨房の奥から優しそうな女性の声がした。
「そうだな。まぁ明日の朝に仕事のことは説明するから、今日はゆっくり休んでくれ。部屋は上がって2階突き当たりだ」
コクンッ。
涙をぬぐい、頷きながら席を立つ。
ここの店主が良い人で本当に良かった。このまま湖のほとりで1人死ぬのかと思った。
安堵に身を委ねながら1人できしむ階段を上がる。
ガチャ。
鍵を開け部屋に入ると、木と少しカビの匂いがした。
中は質素なものでベッドと簡易な机が置かれているだけだ。ベッドは藁に布を被せた物のようで、少し藁の臭いがするがいやな臭いではなかった。あまり使われていないのか、家具は綺麗なままだ。
「ふぅ…………」
ベッドに腰掛け、1つだけある窓から外を眺めると、遠くの湖に反射する銀色の月が綺麗だった。ただ、俺の知る月と違うのは2つあるということだ。
それがここが地球ではないことを思い知らせてくる。1つはこの星に非常に近いのか、夜空の6分の1ほどを占めていてとても巨大に見える。おかげで夜も月明かりがまぶしい。その隣には、遠くに地球にあるくらいの可愛らしい月がいた。
ベッドに横になってみる。少しごわごわしているが、思ったより悪くない。
「ほんと、どこなんだ……」
呟きながら腕で目を覆った。
これからどうしようか。なぜこんな所に来てしまったのか。いや、まずは明日をどう生きよう。
いろいろ考えているうちに疲れからか、はたまた寝床を得て安心したからか、急に来た睡魔に俺は寝てしまった。
ーーーー夢を見ている。
田舎アパートで、仲良さげに俺たち2人はソファに座り仲良くテレビを見ていた。
そう、俺は誰かと一緒に暮らしていた。
その人は誰?
顔も名前も思い出せない。
でも大切な人。
なぜだろう。近くにいるような気がした。
重力魔剣士の異世界事変 かじ @kajinosukesan
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