初恋というよりは、黒歴史
サシャが向かったのは、家からほど近い公園。
大通りに面したそこはそれなりに広く、綺麗に整えられた花壇や散策道に、池もある。
トーベアナ王国に移ってからのサシャが、気分転換によく訪れていたのがこの公園だった。
それはきっと、なんとなく景色が似ているせいかもしれない。
―――シャルロッテだった頃のサシャが、初めてオスカーに会ったあの場所に。
あれはまだシャルロッテが5歳の頃、家族で避暑地に旅行した時の話だ。
南部にあるケイヒル領から北上すること2日、高地に位置するその街は、実際に北部地方に移動するより涼しさは劣るが、手軽に避暑ができると人気の観光地だった。
半月近くも滞在してすっかり街に馴染んだ頃、シャルロッテはとある公園で、女性にまとわりつかれている格好いい青年を見かけた。
しつこく誘いをかける女性を冷たく素っ気なくあしらっていた青年は、20歳くらいのまばゆいばかりの美丈夫で、まだ5歳だったシャルロッテもうっかり見惚れる程の麗しさで。
―――そうそう、あっさり冷たく断られて頭に来たらしいその女の人が、八つ当たりしてきたのよね。
サシャは記憶にある風景と似た公園の、池の近くのベンチに腰掛けると、ふふ、と苦笑した。
その時、5歳のシャルロッテはベンチにひとり座っていた。
兄ふたりと一緒に遊びに来ていたが、長兄は弟妹の為に近くの出店に冷菓を買いに行き、次兄はベンチ近くの木によじ登って遊んでいた。要はお菓子待ちの状態だった。
―――あの時、2人は池のほとりで揉めていて、冷たくあしらわれた女性が怒って顔を真っ赤にしながら私の前を通り過ぎるところで―――
空気を読むことも知らない幼いシャルロッテは、なかなかに足取りが荒いその女性をじっと見つめてしまい、うっかり目が合ってしまった。
ぽかんと口を開けて見上げるシャルロッテの顔に、何故か怒りを増幅させたその女性は、シャルロッテの胸元に手を伸ばし、ブローチを乱暴にむしり取って投げ捨てた。
―――女性をフった青年の方、つまりは池に向かって。
もしかしたら、青年にぶつけるつもりだったのかもしれない。けれど、ブローチは彼の横を通り抜けて、ぽちゃん、と池の中に落ちた。
シャルロッテは暫し呆然として何も言えず、ハッと我に帰った時には、その女性は随分と遠くに立ち去っていた。
そして青年は、ベンチから降りて池に向かって走って来るシャルロッテと、ブローチが落ちた池の方とを交互に見て。
上着を脱ぎ捨てると、躊躇なく池に飛び込んだのだ。
17歳になった今のシャルロッテなら分かる。
青年が飛び込んだ池は大きさとしてはかなりある方で、深さもそこそこあって、けれど大人なら問題なく泳げる筈で。
というか、そもそも普通の大人が立ったら胸くらいまでの深さだったろう。
そんな彼の頭が水の中へと沈んでいったのは、間違いなく投げ込まれたブローチを拾い上げる為。
なのに、当時5歳のシャルロッテは、彼が溺れていると思い込んで叫んだのだ。
『おにいちゃんっ まってて、いま、たすけてあげるっ!』
格好いいお兄ちゃんを何としても助けねばならないと、シャルロッテは池に―――救助対象(のつもり)である青年目がけて飛び込んで。
どし、と見事に彼の背中に乗っかってから、水中へと転がり落ちた。
『たすけてあげ・・・ぐばばっ、ごぼっごぼぼっ』
シャルロッテは忘れていた。自分が全く泳げないことを。
そして幼子のシャルロッテでは、冷静になって池で立ったとしても完全に足がつかないことを。
助けてあげる、などと豪語して、ブローチを取る為に池に潜った青年の背にダイブした挙句、勝手に溺れたシャルロッテを、優しい彼はちゃんと助けてくれた。
シャルロッテが気づいた時には青年はもうおらず、木登りしていたイグナートが心配そうに顔を覗き込んでいて、遠くからは菓子を抱えたランツが焦った顔で走って来る姿が見えた。
いつの間に拾ってくれたのか、シャルロッテの手の中にはブローチがあった。
その後、息子2人から話を聞いたシャルロッテの両親が、礼をしようと青年を探したものの、既に街を出たらしい彼を見つける事はできなかった。人気の避暑地は訪れる人も多く、結局、どこの誰だか分からないままで。
たった5歳の頃の、淡い初恋。
恋といっても、自分がやらかした恥ずかしい行動の方が圧倒的に強烈だった。
でも、シャルロッテは、ずっとあの時の麗しく優しい青年が忘れられなかった。
名前も知らず、どこに住んでいるかも分からない。
そして年の差はきっと、最低でも10は離れているだろう。
でも、好きで忘れられなくて。
ずっとずっと、叶う筈のない恋だと分かっていても、それでも。
その後、偶然に目にした絵姿で、あの時の青年がかの有名なオスカー・マンスフィールドだとシャルロッテが知るのはもっとずっと先。
そう、シャルロッテがアラマキフィリスに罹る1年前のことだ。
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