ここにいない筈のひと



 ずっと心に想っていた人が、あの有名なオスカー・マンスフィールド公爵だと知ったシャルロッテ。


 名前が分かった事は嬉しかったが、だからと言って何が変わる訳でもなかった。


 30を過ぎたオスカーは未だ独身だったが、女性嫌いで有名な彼を縁談相手に望むのは、さすがに無謀すぎると分かっていたから。



 デビュタントが無事に終わったら、社交しながら釣り合う相手を探すようにとシャルロッテは父から言われていた。



 それが、デビュタントの半年前にアラマキフィリスである事が分かって、全ての予定が覆ったのだ。

 自分にはもう、あと2年しか残されていないと知って、『死ぬ前にやりたい事リスト』なぞを作成し、それから色々とシャルロッテの運命が変わった。



「あの時、お父さまたちが言って下さらなかったら、オスカーさまとの結婚なんて思いつきもしなかっただろうなぁ・・・」



 結果的に、今シャルロッテは自分の名を捨て、サシャという別の人間になって異国で暮らしているが、それでもあの時、オスカーに結婚を申し込みに行ってよかったと思っている。



 だって、アラマキフィリスに罹っていたあの時しか、彼の側にいられるチャンスはなかったのだから。



「・・・オスカーさまは、お元気にしておられるかしら」



 自ら終止符を打った恋なのに、今も会いたくてたまらない。本当にしぶとい恋心だとシャルロッテ改めサシャは思う。


 オスカーを忘れるには、新しい恋が必要なのだろう。


 両親も兄2人も、トーベアナ王国にいい人はいないのかとよく聞いてくるのは、きっとそういう事だ。








 ・・・みゅー・・・



「・・・ん?」



 ・・・みゅー、みゅー・・・



「え、なに?」



 そんなもの思いに耽っていた時、どこかから微かに聞こえる小さな鳴き声に、サシャがぐるりと視線をめぐらせた。



 探すこと暫し、池のほとりに立っている木の、少し高い所にある枝の上、まだ子どもであろうガト(こちらでいう猫のような動物)がみゃうみゃう鳴いているのを見つけた。



 どうやら枝の先まで進んでしまったらしい子ガトは、頼りなげに揺れる枝先から動けなくなってしまったようだ。



「あら大変。待ってて、今助けてあげるからね」



 サシャはベンチから立ち上がると、池の近くまで行き、木の下からガトを見上げた。


 きちんと剪定された木ばかりのこの公園。ガトが怖がって降りられない高さといえど、人間のサシャからすればさほどの高所でもない。



 だがしかし。



「う~ん、手を伸ばしたくらいじゃ届かないわね」



 サシャの身長ではガトに届かず、さりとて梯子のような便利なものが公園のどこかに落ちている筈もなく。



「仕方ないわ。こうなったら・・・」



 結果、サシャは木に登ることにした。





「うう・・・いざ登ってみると、けっこうな高さなのね」



 木登り初心者という訳ではないサシャは、多少四苦八苦はしたが、なんとかガトのいる枝にまで辿りついた。



 しかし、そこからが問題だった。


 ガトがいるのは枝の先。

 細くなっているそこに行こうとすると、手前でも相当に揺れるのだ。

 というか、本気でガトのいるところまで進んだら、絶対に、そう確実に枝が折れるだろう。



「ガトちゃ~ん、ほら迎えに来ましたよ~、こっちにおいで~」



 故に、サシャは幹からほど近いところで止まって、ガトを呼び寄せる事にした。



 現在、サシャは少し細めの木の枝につかまり、片手をガトに伸ばしてチッチッと呼んでいる。



 週末は人が集まるこの公園、今日は週中で人影まばらなのが幸いだった。これは、どうしたって変な人にしか見えない。




 サシャが必死に呼びかけても、なかなか応じようとしないガトは、やがて他に道がないと思ったのか、そろりそろりとサシャのいる方へと枝の上を歩き始めた。



 ほ、とサシャが安堵の息を吐いた、その時。




「シャルロッテ・・・? シャルロッテなのか?」



 サシャの耳に、ここにいる筈のない人の声が聞こえた。



「へ?」



 驚いて勢いよく体を起こしたサシャは、今いることろが木の上だという事をすっかり忘れていて。



 反動で揺れた木の枝に、ガトが驚いてぴょんと飛び、見事サシャの頭に着地した。



 そのせいでサシャはぐらりとバランスを崩す。すると何かを察知したのか、ガトはサシャの頭の上から木の幹の方へと再びジャンプした。




 反動で、サシャの体はより大きく傾く事になる。



「うわ、ガトちゃんに裏切られた・・・」


「シャルロッテ! 危ない!」



 慌てて幹を掴もうとするも、手は届かず。




 サシャの体は、ゆっくりと木から離れて落ちて行く。




 けれど―――




 地面に体を打ち付けるより早く、サシャの体はがっしりと逞しい腕の中に包みこまれた。



「シャル、シャルロッテ」



 恐る恐る目を開けると、サシャ、いやシャルロッテの前には美しすぎる顔が迫っていた。



 好きすぎて10年以上も想い続けた人。


 お別れして国まで変えて、それでも忘れられなかった人が、悲しげに眉を寄せていた。



「オスカーさま? どうしてここに」


「それはこちらの台詞だ。何度来てもいないから、このままもう2度と会えないかと不安だったが、今回は帰国せずに君の帰りを待つ事にした。そうしたら、まさかこんな所で木に登っているとは」


「へ?」



 今、なんて?





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