気づく



 ―――シャルロッテという娘は、もうこの世におりません―――




 泣き腫らした目で現れたジョナス・ケイヒル伯爵の言葉に、オスカーは暫し息をするのを忘れた。




 起きてほしくないと思いつつ、けれど心のどこかで覚悟していた言葉だった。




 失って初めてその大切さに気づく―――オスカーにとってシャルロッテはまさにそれだった。




「世間から不必要に注目を浴びている事ですし、葬儀は身内のみでひっそりと・・・」



 その後もジョナスたちとの話は続いたが、オスカーはぼんやりと聞いていた。



 そんな心ここに在らずのオスカーが、ランツの言葉に意識を向けたのは、『シャル』という名前に反応したからかもしれない。



 ランツは、どこか遠くを見ながら言った。



「仲のいい家族と自負していたのに、シャルが長らくオスカー殿に恋心を抱いていた事を、私たちの誰も知らなかったのですよ。最後の心残りとしてシャルが口にするまでは」



 そういえば、とオスカーは思い出す。シャルロッテが言っていた。


 オスカーに結婚を申し込みに来たのは、初恋を叶える為、幼い頃からずっと抱えていた恋心の為だと。



「いつ出会ったのか不思議だったんです。オスカー殿はご存知ですか?」


「・・・いや。だがシャルロッテが昔、俺に助けられた事があると言っていた事があった。確か、10年くらい前の話だと」


「10年くらい前となると、オスカー殿はまだ騎士団に所属してましたよね。でもシャルが王都に行ったのは去年が初めての筈なんだけど・・・どこか別の場所で会ったのかな」



 首を捻るランツに、オスカーも同様に首を傾げた。



 オスカーが好きだ、恋に落ちたと告白する令嬢は昔から多く、文字通り星の数ほど。

 だからこれまで、告白の理由や経緯など聞いた試しはなかった。聞く耳を持てば、その分、脈があると令嬢たちはより攻勢を強めるからだ。



 聞かない癖がついていた。特にシャルロッテと出会った最初の頃は、他の令嬢たちと大して変わらないと思っていたから。



「きっと、王都以外のどこかで出会っていたんでしょう。聞いておけばよかった」



 こちらもです、とランツは苦笑する。


 令嬢たちが美貌の公爵に憧れるのは当たり前、シャルロッテの恋情もそうだろうと、敢えて聞く事もしなかったと。



「オスカー殿にとっては寝耳に水の縁談でしたでしょうに、婚姻を了承して下さったこと感謝しています。残念ながら半年より早く婚姻関係は終わってしまいましたが、シャルも初恋が叶って、きっと悔いはないと思います」


「うんうん、あの子は悔いはないだろうよ。やり方が些か乱暴だったが、シャルは言い出したらきかないからねぇ・・・」



 ずび、と鼻をすすりながら息子の言葉に付け足したジョナスの脇腹を、ランツが軽く小突いた。



 その仕草がまるで、大切な事を言えないまま別れを迎えたオスカーと結婚させた事を密かに悔いているかのようで。


 オスカーは居た堪れず手元に置いておいた書類を手に取った。



「これを・・・」



 ジョナスが受け取り、目を見開く。



「ぐすっ、これはシャルの・・・」


「はい。結婚するにあたって彼女から譲られた個人資産の目録です。ですが俺がこれを受け取るのはやはり違うと思うのです。どうか、ケイヒル伯爵の思うようにしてください」


「・・・何か使い道に希望はありますか?」


「個人的には、研究資金に充てて頂きたいと思っています」



 オスカーは一度言葉を切り、息を深く吸ってから続けた。



「残念ながらシャルロッテは間に合わなかった。だが、薬の完成を待つ人は他にもいる筈。1日でも早く薬が出来る事を願います」



 オスカーの言葉に、ランツはふ、と目を細めた。そしてぽつりと小さく「残念って思ってくれたんだ」と呟いた。



「え?」


「いえ、なんでもありません。特効薬のレシピを知るミルルペンテがいますから、いずれ完成するでしょう。こちらの薬草名との照合も進んでいるようですし、足りない薬草の手配が終わればきっと」


「ああ、ミルルペンテか。彼はイグナート殿が遭難した時の命の恩人でもあるそうですね。シャルロッテも彼に深く感謝してました」



 そうだ、とオスカーは思い出す。


 あの時はシャルロッテがミルルペンテの手を握っていたからと下らない嫉妬をした。



 嫉妬する相手がいるというのも、また幸せな事なのだと今なら分かるのに―――



 ―――とその時、オスカーの頭の中で何かが引っかかる。だが、ジョナスの声にすぐ思考が引き戻された。



「ひっく、私としても異論はありません。こちらはオスカー殿の望む通り、薬学研究所に寄付する事にしましょう」


「ありがとうございます」


「では4日後にまた」


「ええ、4日後に」



 ジョナスとランツを見送った後、執務室に戻ったオスカーはまだ考えこんでいた。



 先ほどから何かが気になる。


 何か。



 そう、ミルルペンテだ。


 あの時シャルロッテはミルルペンテに感謝していた。それはミルルペンテが薬師で、イグナートを助けたからだと―――




「・・・っ」



 オスカーは立ち上がり、レナートを呼んだ。




「ケイヒル伯爵家へ行く。先触れを出してくれ」


「え、ですが旦那さま。奥さまの葬儀が4日後に控えております。ケイヒル伯爵家の方々とはそこでお会いできますが」


「いや、今だ、今行く」



 困惑するレナートに、オスカーは続けて言った。



「きっとシャルロッテは生きている。迎えに行かねば」









~~~

モウ、イナイケドネ・・・

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