それぞれの気持ち



 オスカーがミルルペンテに抱いた間男の疑いは、あっさり晴れた。



 そもそも言葉が通じない。


 ミルルペンテの言ってる事で分かるのは、固有名詞、そう名前だけ。


 イグナートがいなければ挨拶すらままならない、そんな男が間男の筈もなかった。






「・・・そんな理由で、血相変えて執務室から走って出ていかれたのですか」


「いや、最初はシャルロッテの具合が悪いのかと」



 執務室に戻った後、オスカーを待っていたレナートたちに経緯を説明すれば鼻で笑われた。



「大体、間男とか浮気とか、旦那さまひとすじの奥さまに限って、そんな事がある訳ないじゃないですか。そもそも、そんな悋気を起こすような関係ではないですよね?」



 オスカーとシャルロッテの間に交わされた契約について知っているレナートは、声に呆れを滲ませた。



「それで? 兄君と一緒に来られたという、旦那さまに間男と勘違いされた気の毒な方は、一体どなただったんです?」


「・・・イグナート殿が旅先で遭難した際に世話になった人物だそうだ」



 オスカーは、イグナートから聞いたままを説明した。


 難破してとある島に流れ着いたこと。


 その島で、イグナートは薬師のミルルペンテから手厚い看護を受けたこと。


 他の国との交易がないその島では、薬草を主体にした独自の医療文化が発達していること。


 その薬学がシャルロッテの病気の役に立つのでは、と今回イグナートが屋敷にミルルペンテを連れて来たこと。


 イグナートを助けた事に感極まったシャルロッテが、ミルルペンテの手を握って感謝していたこと。



 これは、シャルロッテの意向がある為、事実をありのままに話す訳にはいかないイグナートが、所々を適当に誤魔化した結果の話である。



「なるほど・・・では、その島の薬草文化の発達具合によっては、もしかすると奥さまのご病気に効く薬が見つかるかもしれないと、それでこちらの屋敷までいらした訳ですね」



 レナートは、その話を好意的に受け止めた。


 今回の主人の結婚にまつわる裏事情を知るのは、この屋敷の者たちの中ではレナートを含めて3人だけ。



 だが、その3人が3人とも、今やシャルロッテの病気がよくなる事を願っていた。


 ―――不治の病である故に、おいそれと口にできない願いではあるが。



 なにしろシャルロッテは、オスカーが生まれて初めて側にいる事を許した女性なのだ。そしてそれを今も許し続けている。


 契約を結んだとはいえ、オスカーがシャルロッテの存在を不愉快に思えば、契約の中途解消もあっただろう。


 それがどうだ。


 解消どころか、オスカーは日に日にシャルロッテに親切になっていく。それはつまり、シャルロッテへの好意が育っているという事で。



 ―――奥さまは、ご自分はもう長くないから子を産む事はできないと仰っていたが。



 最近の仲の良さげな2人を見ると、つい思ってしまうのだ。



 もし―――もし、奥さまのご病気が奇跡的に治って、契約結婚から本物の夫婦へと変わって。


 いつか、奥さまが旦那さまの子を産んでくれたらいいのに、と。



 だから、ふと本音が口から溢れ出た。



「もし・・・その独特の薬草文化とやらで奥さまのご病気が治ったら、今度は本当の奥さまとしてお迎えする事ができるのでしょうか」



 そうだな、という同意の言葉が返ってくるものだと思っていた。



 シャルロッテへの好意に無自覚であろうとも、彼女の体調を気遣う言動が無意識のうちに出ていようとも。



 シャルロッテの病が快癒するのを願う気持ちは、レナートたちと変わらないと、そう思っての、何気ない問いだった。



 だが、オスカーはレナートの意に反して微かに眉を顰め、複雑な表情を浮かべた。



「よく・・・分からないんだ。治ったらいいのにとは思う。そうは思うんだが―――」













 ―――このオスカーとレナートのやりとりより少し前、客間ではこんな会話がなされていた。



「イグ兄さま。薬草の話をオスカーさまにして大丈夫だったのですか?」


「ミルルペンテの薬を、サンプルとして研究所に送る用意をしてるところだ。その話はいずれオスカー殿の耳にも入る。

 ある程度話をしておかないと却って不自然だろ」



 それより、とイグナートが続けた。



「お前、本当にこのまま黙ってここから去るつもりか? 病気前提で契約しておいて、今さら治りますって言いにくいのは分かる。反応が怖いっていう気持ちも。

 だが、俺からしたら、オスカー殿もお前に好意を持っているように見える。せめて、ミルルペンテの薬の中に有望なものがあるってくらい、言ってみてもいいんじゃないか?」






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