迷宮



「もし・・・その独特の薬草文化とやらで奥さまのご病気が治ったら、今度は本当の奥さまとしてお迎えする事ができるのでしょうか」



 なぜだろう。


 レナートの問いに、オスカーはすぐに肯定の言葉を発する事ができなかった。






 オスカーの屋敷に突撃して、なんとも思い切りのいい契約結婚を提案してきたシャルロッテは、オスカーの事が大好きだと言う割に、大した望みをぶつけてこない。


 言ったとしてもせいぜいが『手をつなぎたい』とか『ケーキを一緒に食べたい』とかその程度だ。



 それがシャルロッテという人なのだと今のオスカーは知っている。けれど最初の頃は随分と驚き、戸惑ったものだ。



 ―――あまりに、他の令嬢たちと違いすぎたから。



 今は、そんな彼女にすっかり慣れ、もっとすごい事をお強請りしてもいいのに、などと思うようになっている。


 いや、『してもいい』どころか、むしろ何かとんでもない事をお願いされてみたいとさえ思う。

 そう、大概のものは苦労せずに簡単に手に入るオスカーでも四苦八苦するような、難しいお願いを。



 あまりにオスカー『らしくない』考えだ。


 女性嫌いで、仕事以外で女性に近くに来られると不快になる自分がそんな思考になった事が、オスカーは不思議だった。



 考えた結果、それはシャルロッテの纏う空気に理由があるのだという結論に辿り着いた。



 シャルロッテが示す好意に、嫌らしさはない。



 ずっとオスカーが嫌悪してきた、女性の欲というか、まとわりつくようなドロドロした感情を、シャルロッテからは感じないのだ。



 これまで女性から好意を抱かれれば、ストーキングされたり、媚薬を盛られたり、屋敷に侵入を試みられたり、呪いのアイテムかと驚くような贈り物が届いたり。


 タチの悪いケースだと、既成事実を冤罪で作りあげられかけた事もあった。



 オスカーにとって、恋という感情は鬱陶しく厄介で面倒でトラブルの元でしかなくて。



 だから、シャルロッテが屋敷を訪問した時も、最初は警戒しかなかった。



 半年という期間限定、さらにシャルロッテがアラマキフィリスという難病に罹っていると分かったからこそ、安心して契約を受け入れる事ができた。


 確実な終わりが見える相手、もし問題が発生してもそれが長引く心配がない相手、それがシャルロッテ。


 都合のいい契約相手、そう、ただそれだけの筈だった。






 だが、シャルロッテと過ごし始めて割とすぐに気づいた。



 ―――真っすぐな好意は、寄せられても不快に感じないものなのだな。



 30をすぎて初めて、オスカーは向けられた感情に対しそんな事を思ったのだ。



 シャルロッテの恋情が美しく清々しい理由、それを彼女が患う不治の病のせいだとオスカーは考えた。


 シャルロッテに醜い欲がないのは、そんなものを内に宿しても決して実らないから。


 もうすぐ死んでしまう彼女に、そんな日など絶対に来ないから。




 オスカーの中で、矛盾する考えが頭をもたげた。


 アラマキフィリスに罹ったシャルロッテを確かに気の毒に思っている自分と。

 不治の病に冒されているからこそ清廉な恋情の持ち主でいられるのだと、どこか病気を肯定的に見る自分と。



 シャルロッテの命に期限があるのが残念で、それを考えるだけで悲しくなるくらい、彼女の側は心地いいと感じているのに。


 もし奇跡が起きたらと思いつつ、本当にそうなったら、シャルロッテもまた変わってしまうかもしれないと怖くなる。


 そう、これまでオスカーを悩ませていた他の女性たちのように。



 今の、可愛らしく素直で純粋なシャルロッテが、もしも変わってしまうとしたら。



 とても、とても怖い。そんなのは見たくない。



 きっと、そんな迷いが口に出た。



「よく・・・分からないんだ。治ったらいいのにとは思う。そうは思うんだが―――」




 ―――特効薬が手に入った時、今のような気持ちや態度のまま、シャルロッテに接する事が出来るのだろうか。




 その呟きは、レナートにとって、とても意外だったようで。


 あまり表情を変えない彼にしては珍しく、目を大きく見開いていた。





 ―――この時のオスカーは、色々と考えすぎて、いっぱいいっぱいだったのだ。



 だから、思ってもいなかった。



 執務室の扉の外。


 ノックをしようと軽く拳を作った状態で。


 固まっている人がいたなんて。





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