無駄PUNK

 トリニティア公国現君主、ワンス・オールワット 。


 そう、老人から告げられた名前を耳にし、絶句する。先ほどの嫌な予感は呆気なくも、しかし、ものの見事に的中してしまった。


 誰だ…そいつは?おい…、あいつは…どうなったんだ…!?


 生前、そのような名前を聞いたことがない。皆目見当がつかなかった。まったく頭が回らず、ただただ呆然とその場に立つしかない。


 そうして我が呆気に取られていると、だんだんと周囲が騒がしくなっていることに気づきはじめた。現実に戻る様に咄嗟に辺りを見渡す。周囲の人々は一斉に我らの方を凝視している。…どうやら、これの原因は我らしい。


 正気に戻り、目の前の老人を再び見る。老人は肩を震わせながら、怯えた瞳で確りとこちらを見ている。そんな様子を見て、気を取り直すように、深くため息をつく。


「……すまない。少々怖がらせてしまった…。反省する…」


 そう優しく声をかけると、老人は肩を一瞬震わせながらも、ぎこちなく微笑みかけてきた。


「いっ、いえいえっ。私が何か無礼をしたのかと…。お気に触ってなかったならよかったですよ。はっはっ」

「…いや。無礼を働いたのは我の方である…本当にすまない」

「我?」


 …っ!しまったっ!驚きのあまり、口調を変えていたのを忘れていた…! 何かっ……誤魔化す、方法を…!


「…あ、あぁ…これはその…。そう!我の故郷では自分を『我』と呼ぶのが風趣なんだ…!」


 なんやそれ!苦し紛れにもほどがあるやろ!


 しかし当の老人は一切疑うことなく見つめている。だが先程のような純粋無垢の微笑みは無かった。


「そうでしたか。そのような地域からのお客さんを見たことがないもので…。世界は広いですなぁ」

「………。あぁ、…そうだな」


 ……まぁ、これでいいか。なんとか、なんとか誤魔化せた…。


 次第に周囲の視線もなくなってきている。元通りの商店街の雰囲気に戻りつつある。とりあえず一安心だ。


 我は腹の底からどっとため息をこぼす。先ほどからため息ばかりだ。


 そうだ。このまま、静かにこの場を去ろう。今日は色々、疲れた。情報は十分に手に入れたんだ。少し休憩したい。情報も整理したいしな。


 そう決め、老人に礼を言って、この場を後にしようと背を向ける。しかし、老人は執着するように、その背中に向かって話を続けてきた。


「私も長年生きておりますが、これは珍しいお客さんと出会いましたな」


 去り際に掛けてくれた言葉。しかし今この老人が見ている我は、偽りでできたものに過ぎない。


「…そうだな。我の故郷はあまり自国からは出ないほである」


 背中を向けたまま、そう語る。なんとか無理やり話をつなげているが、そろそろぼろが出そうで怖い。そして、嘘をつき続けるのは少し、心が、…痛い。


 しかしそんなことを知るよしもなく、老人は追って続けてくる。


「へぇ…!それは珍しい。この年になってまた何か新たな出会いができるとは…。私は運がいいですな!はっはっはっ」


 老人は一切疑うことなく、我の話を楽しんでいる。もはや少し狂気すら感じる。


「……そうだな」


 一度振り返り、微笑む。今の表情はどうなっているだろうか。おそらく本当にひどいものだろう。しかし今できる最大の笑みである。それほど、心身ともに疲労しているのだ。


 すると、老人は嬉しそうに笑いながら「記念に」と紙袋に包まれた売り物の果物を差し出してきた。中には赤や黄、色とりどりの果物が入っていた。


「…これは?」

「これは、売り物の果物です。今日のお話のお礼です。ささやかながらですがな」


 …何て優しいんだ。よく、今まで何者かに騙されずに生きてこれたものだ。


 とは言いつつも、実のところ復活してから何も食べていない。かなり空腹である。ここは素直に受け取ることにしよう。


「…すまない。本当に感謝する」


 そう言って、遠慮せずにいただく。


「いいですよ。お陰様で楽しいお話、聞けましたし。それに―」


 老人は優しく微笑みながら、通りの方に目をやる。その目を追いかける様に、我もつられて通りを見る。


「困っている人がいたら助けるものです。この国の者は、皆そうやって生きてきました。」

「……そういうものなのか?」

「はい。ワンス様の教えでございます。『皆で皆を助け合う。さすれば国は廃れまい』と」

「……いい君主様だな。さぞ敬われただろう」

「はい。もちろんです。皆、ワンス様を慕っていますよ。」


「…」


 通りを見る老人の目は優しい目つきで、しかしどこか寂しげな目つきだった。真実かどうかは、いまだ不明であるが、この国を支えてきた君主が退位するのだ。我の時も皆、寂しそうにしていた。老人がこうなるのも頷ける。


 しかしこの老人、それだけではないような…。


「…寂しいですな。あの方は、私が幼い時からの君主さまだったので、より一層…」


 なるほど、だからか。それであのような顔を。納得がいく。


 …。


 …待てよ。この老人、だぞ。それが、幼い時からだと…?いくら幼いと言っても、可笑しくないか?


 不思議に思い、老人の方を見る。やはり年を取っている。見た目からすると、単純計算でも、つじつまが合わない。


「すまない。…少々失礼なことを聞いても?」

「?。どうぞ?」

「……お気に触るようなら申し訳ない。…あなたの、ご年齢をお聞きしたい」

「あぁ、そんなことでしたらお教えしますよ。今年で61です」

「なっ…」


 あり得なかった。


 そこで、頭の中で今までの事象が駆け巡る。魔王城の惨状。復活後の投石。現君主の名前。そして、その在籍年数…。


 噛み合わない。


 あまりにも知っている事実とかけ離れている。


 老人の言っていることが正しいのだとすれば、合っているのは地名と年代だけ。それ以外の全てが知らないことだ。


 そしてここで、頭の限界がきた。いや、今までよく持ったものだ。今日はかなりの情報量だった。いつかはこうなるはずだった。それが、今、来ただけだ。


 我はすべての思考を放棄するかのように、頭の中が真っ白になっていく。もう、何が起こっているのか、分からない。


「…………。……そうか。…ありがとう」


 老人が不思議そうに、首をかしげながらこちらを見てくる。


 しかしもう、何も言える状態ではなかった。放心状態のままその場を後にし、再び商店街を歩き始める。去り際、彼に礼をしたかどうかすら覚えていない。ただ歩んでいく。行く当てなどない。いや、無くなったのだ。現時点をもって。だから、ただひたすらに歩く。


 去り際、遠くから老人が声が微かに耳に届いた気がする。だが、何も聞き取れなかった。いや、聞き取ろうとしない。拒絶する。聴覚が、視覚が。写る現世の全ての情報を遮断していく。もう、何も頭に入れたくなかった。


 ひたすらに、俯きながら歩いていく。もう、頭の中は空っぽだ。そう。何もかも無くなってしまった…。


 名誉も。地位も。友人さえも。全てが、無。


あるのは手に持っている果物が入った紙袋だけ…。それ以外の全てを失った。こんな今、何ができる。


「……………あぁ。………失敗や……」


 口から空気が漏れ出る様に、吐く。もはや口調を気にする余裕はない。


 しかし、それでもなお、辛うじて奥底に眠る我が、この原因を探そうする。まだ、諦めたくないのかもしれない。


 しかし、何度思考を続けても一緒。復活する際の手順も不備はない。復活しているということは、勇者もきちんと棺を魔王城に収めている。だが、老人の話だと、…勇者はこの世にはいない。


 もう、悪夢としか言いようがなかった。……もしかしたら、本当に夢なのかもしれない。五感はある。痛みもちゃんとある。でも、夢かもしれない。だっておかしい。こんな世界。


 そう、無駄な思考を続けながら、商店街を一人歩いていく。

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元魔王だと、信じてくれますか 愚者 @gusya_jp

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