第三者の視点では身の毛がよだつ話ですが、遺族の哀悼は時として狂気にも似た行動を誘うのですね
正直ぞっとしました
愛する家族を失いたくないという気持ちが、遺骨を自分に取り込むという行動を惹起する
感情としては理解できますが、本能的に忌避されてしまう行為です
昔はクールーと呼ばれ、現在はプリオン病と称される同族食による疾患があるそうです
この疾患が無ければこの弔い方はもっと普及していたかも知れません
美しい文体から溢れ出る非日常、心を揺さぶる戦慄をありがとうございました
作者からの返信
御高覧ありがとうございます!
同族食による疾患を含んだ冒険SFを書いたことがあります……。また少し話が逸れますが、狂牛病の発端となった出来事など。何が自然で、なにが不自然なのかの定義は不明瞭ですが、「倫理的に許されないであろうという文化的行い」を、神が禁止するために、その「道」から逸れた場合、排除すべく「生物学的な狂い」が生じるように遺伝子にまで仕込んだのではないか、などとも考えてしまいます……。
踏み込んだコメントをありがとうございます、心からお礼を申し上げます、うれしかったです!
ジャンルがジャンルでしたので、実話だろうと思い、読み終わった後は、少し放心状態でした。
こう、なんというか、文章を読むだけで、仏様の宿る喉仏が目の前にあらわれるような、そんな感覚になってしまいました。
愛する人の死。
人の死とはどの時点で死になるのか?
脳死か?
心停止か?
精神の死か?
皆の記憶から消え失せた時か?
色々考えさせられる作品でした。
ノランさんは取り込まれて、きっと今も共に生きておられるのでしょう。
もの凄い作品だったと思います。
感想遅くなりましてすみませぬ。
作者からの返信
わー!大木さん、こちらまで本当にわざわざありがとうございます!
今でも、あの骨を見たときの瞬間の映像は脳裡にやきついています。
その数日前に焼き場で全身の骨をみていたはずなのですが、全く別のものに映りました。
焼き場でみたものはただの残骸だったのに、どうして祖母と暮らした部屋で、蓋を開けてそこにあらわれた骨の一部をみたときあれほどの迸りが私に怒ったのか、説明のつかない思いでしたが、
誰にも見せるつもりもなかった内側の感情を書き留めたものが、こうして気まぐれのような形で発表することとなり、そしてさらにみなさんから大切なコメントを寄せてもらえる存在になるなんて。
本当に幸せです。
ありがとうございます!
祖母がいたから、私は生きていると思っていますし、
祖母の体はうしなわれましたが、私の心はずっと守られています。
小説書きの皆様の美文のなか、恐縮です
芸術的な文学って、狂気の崖へ落ちるか落ちないか、壁ならぬ谷みたいなイメージが自分のなかであって
その不安定さの気流につま先立ちしているような感覚がありました。
初手でこの作品を読んだので他の作品では違うかもしれませんね
また読みに来ます。
作者からの返信
ユノ先生……こんばんは!
私、たしかにお返事を書いてエンターを押した記憶があったのですが、返信が、、、ない!!!?
申し訳ありません( ;∀;)
今さらですが、お読みいただいて本当にうれしかったです
。最初かこれ?と気恥ずかしくもあり、驚いてしまいましたが。
あやうい中、崖から落ちるか落ちないかでなんとか落ちずにきた、と捉えていただいた感覚は、正しいのかもしれません。
自分のことを表現することは苦手ではありますが、今取り組んでいる原稿は、まっすぐ内側を見つめる小説となっています。
また気がむかれましたら、ふらっとお立ち寄りください。
ありがとうございました。
はじめまして!
ズシ~~ンときてしまいました……。
そして感情のままに言ってしまいますと、
「敵わん! まったく敵わん!」
です、すごすぎて(語彙やばい)
ちなみに、これは故大滝秀治さんが岸部一徳さんにむかって「つまらん!!お前の話はつまらん!!!!」と吐き捨てた時の言い方です(笑)
それぐらい素晴らしく、ああこれはまた再読しに来るだろうなぁと、感じ入りました。
このお話に出会わせてくれた今夜に感謝します。
作者からの返信
大笑いしてしまいました。はじめまして。すてきな筆名ですね?にじのです。
なんとなく記憶はありましたが、大滝秀治さんのつまらん!がききたくて、youtubeを探してしまい、キンチョーのCMにて見事再生がかないました。
あーたのしかった。ありがとうございました!すてきなレビューをこの勢いでよろしければぜひどうぞ!🦴🦴🦴🦴
ありがとうございます。
ぜひまたおいでくださいませ。。。
虹乃ノランさま
こんにちは。
肉の中心には骨がある。そのことは知識としても経験としても知っているのに、火葬場で親しい人の骨を見た瞬間に受ける衝撃、あれは何なのでしょう。父のときの衝撃が激しくて、母の時には葬儀にすら出られませんでした。
骨を食べる、骨を孕む、それに共感はできませんが、骨の持つ強烈な力―引力かもしれないし斥力かもしれない―は痺れるくらいに感じていて、御作に引き寄せられました。
フォローありがとうございます。来月あたりから掲載する『ハシボソガラス』(短篇集)の九番目の小話に、死に惑う話を書いています。コメント欄で宣伝は失礼かと存じますが、通ずるものを感じたので最後に書き込ませていただきました。
作者からの返信
佐藤宇佳子さま、ご挨拶なくうかがいまして、失礼いたしました。
火葬場での衝撃はやはりありますよね……目の前にしたといきに私の本能がとてつもない決壊を起こしたのをよく覚えています。
ハシボソガラス、またあらためまして拝読させていただきたいです。ご紹介ありがとうございます!
難しそうと避けてたら読むの遅くなってすいません^p^
エッセイの筈なのに小説の様に引き込まれますた……まさに日記文学の名に相応しい♪
しかしこの文の当時はまだお若かったでしょうに、この様な達観したともいえる心理状態になるのは余程の濃い人生経験を積んだのかなーと
自分の様に怠惰に生きる人間には見習うべき生き方ですねえ
おばあさまの御骨は主人公の中で無事血肉と成ったのでしょうか……
作者からの返信
あるまんさん、ありがとうございます!
難しそうだなんて……文学ってかいちゃったのがよくなかったかな💦
フィクションの形にしようと思って残していた文章だったのですが、なんとなく、ほんとになんとなく気まぐれにだしてみようかなと。
これほど多くの方に読んでいただけることになるとは思ってもいませんでした。
ただの感情のはけ口のような垂れ流しですので、恥ずかしい限りです……
寄り添っていただき、またきちんとお言葉をのこしていただいて、本当にありがとうございました!
編集済
すみません。頭が働かないのに、読みたすぎて読んじゃいました。後で加筆します。
一言だけ。唯一の宿り木が、もしなくなってしまうというのなら、それを体に取りこみたいって俺も思います。そのままなくなるのを黙って見てることなんて出来ない。
愛情の先に1つになりたいって自然な感情だと思います。
地面に埋めたって骨の味は変わらないし、あなたの色も変わらないし、そもそもその人の色なんて変えられるものじゃない。一時的に濁ることはあっても、核の色は変わらないと信じてます。
「本当の美しさは歪」、確かにそうですね。
きっと社会通念に照らしたら、この作品は歪に見えるかもですね。でも、美しいです、とても。
2/6 2:22追記
レビュー書きました。ほぼ感想文ですね。直した方が良ければ、遠慮なく仰ってください!
和室が見えました。畳の匂いがする。音はせず、煌めく埃が舞っている。ひっそりとした、かつてあった命のぬくもりの残り香だけが漂っている部屋。その部屋がかつて『森』だった場所。良いですね、子どもの頃、ばあちゃんの家で過ごした記憶って強く残りますよね。もう、刻み込まれるように、強烈に。
ばあちゃんが、その思い出ごと胸の底に根付いてる。自分の一部になってしまっている。
それは離れられませんね。俺なら無理です。辛すぎる。
でも、この作品はその辛さも芸術に昇華させている気がします。素晴らしいです。
骨の味については、色んな解釈が出来そうで興味深いですね。埋めた後、もう一度噛みしめて、味が変わってない場合と、味が変わってる場合。前者は上記の通りですが、後者も面白いかなって。
一度目に噛んだとき、分からなかった味が、数年経って分かるようになる。気付かなかった自分の色に気付けるようになる。そういうことありますよね。この解釈も好きだな。
疲れますよね、世間も親戚も。平和な森でずっと暮らせたら良いのに。
妊りたいくらいの強い感情。愛か或いは……。
美しさって何でしょうね。絶対的じゃないし普遍的でもない。でも在り方が歪でも、多分、光が強ければ美しさが宿る気がします。何だろう、傷だらけの背中って感じがしますね。傷だらけでも立ち続ける戦士を、歪だと笑うやつはいないでしょう。むしろ、美しいと讃えるはずです。
だから、美しさは外見ではなく、中(うち)に宿る。この作品のように。
作者からの返信
ありがとう!あなたの感性はとても素晴らしい!
追記:2/6
どちらかというとこっちの方がレビューっぽいですね💛
畳の上にきらめく埃、この光景、わたしにとっても刻まれている「絵」です。あれ、きれいですよね。
いつもちりひとつなく磨かれ切っていたので、実際には埃はまってないんだけど、それでもふわっと対流する、ひとつふたつの煌きが、それは宝物のようで。
そこへ訪れた、妖精のようで。
そしてそこへ「森」をつなげてくれて、ありがとう。
そうですね。森だったんですね。
私の中で、あの冒頭と、あの後半がどうして一体化しているのかよく分析できていませんでしたが、やはり必然だったみたいですね。頭で考えると、よくわからないけど、感覚でつかむとそれはたしかに同じであると、知ることができました。ユウマさんのおかげです。ありがとうございます。
本当にうれしかった!!!!!!
この森へ、たずねてくださってありがとうございました。
こんにちは。読みにくるのが遅くなってしまってスミマセン。
骨を食べる風習がある地域もあると、聞いた事があるような気がします。昔大学の先生が「父の骨を食べた」という話をしていました。
私はまだ、そこまで大切な人と別れた事が無いので無頓着な事を書いてしまっていましたらごめんなさい。
大切な人がこの世から居なくなってしまう、存在が消えると言うのは想像しただけでも悲しく思います。
悲痛な気持ちから、まわりのよそよそしい行動が目につくのも、とても分かる気がしました。
骨を勝手に食べてしまう、主人公のエゴのようにも感じますが、悲しみからとんでもない行動をとってしまうのもまた人間らしいですね。
そこにこの物語のおもしろさがあるのかな、と思いました。
読ませてくださって、ありがとうございます😊
作者からの返信
ヒニヨルさん、こんにちは!評価をありがとうございます💦
若干話がそれるのですが、公にはされないですが狂牛病の発症メカニズムには、自然では食べることのないひつじの骨をエサに砕いて入れたことを発端としているといいます。
人が人を食べるということは、それが遺骨であるとはいえ、不自然な行為です。でもその感情が湧くとことが自然の流れであるなら、そこに「自然」の矛盾が起こるのではと。取り入れたい、ということがもしかすると、それは破滅を望んでいるのかもと。それは後追い自殺に似ているのかもしれません。
ありがとうございました!
この物語は一度読んだだけでは本当の意味合いを感じ取るのは難しいと思いました。何回も読み込むことで、本当に伝えたい内容はどういうことなのか、真に意味するところは何なのか、考えさせられる深い小説でした。個人的には本当の美しさは歪なものであるという言葉が刺さりました。それがタイトルの意味するところに繋がるある種のシグナルのような感覚として脳内を走り抜け、心を貫く印象へと変わる、そんな思いを抱きました。
素敵な小説をありがとうございました。
作者からの返信
刹那さんこんばんは!日記文学というジャンルがあるそうなのですが、他者の日記を「知ろう」という思いがあって初めて成り立つ理解ですよね。
考え抜かれた刹那さんの言葉が大切にわたしを貫きました!走り抜けた、というお言葉が本当に嬉しいです……。うけとめていただき、ありがとうございます。感謝します。
なんだろう、美しい狂気なんて言ったら失礼かもしれないけど、すごく理解できる。多分嫁さんが先に死んだら僕は同じことをするかもしれない。
話は変わりますが、我が家では猫を二匹飼っていたんです。最初の一匹が死んだ時、近くの尼寺で供養してもらったんですよね、尼さんがお経を詠んで、なんかよく分かんないお経をあげてるんです。それ聞いてたら俺らなにやってんだろって思っちゃって。ナナ(死んだ猫の名前)は人見知りだったからこんな坊主の尼さんにあーだこーだ言われても全然うれしくねえだろうなあって。しばらくしてもう一匹の猫が死んだんです。ハチって言うんですけど、その子は最初から直で地域の火葬場に持ってきました。火葬場の職員と嫁と子どもと俺で手を合わせて見送りました。
20年付き添った家族だったんですけど、涙はでなかったんですよね。嫁さんはワンワン泣いてたんですけど。
爺さんばあさんが死んだときも涙はでなかった。なんだろう、死が死だと受け取れてなかったのか、子どもだったのか……
最近テレビ番組でドキュメンタリーを見ていると思わず涙がこぼれることがあります。この先近しい人が死んだらもう耐えられないかもなぁ、と思いました。
作者からの返信
ハルパさん、ここに感想を残してくださって本当にありがとうございます。語りつくせないほどお話したいです。
そうですね、実際にするかどうかわからないけど、きっとその衝動はとてつもなく強いって思います。そもそも、あの骨壺に一部しか入っていない時点で不完全になってしまって、なんだか偽物って思ったんですよね。汚されたというか。地域によってはすべての骨を淹れる巨大な骨壺をつかう地域もあるとおもいますが、問題はそこではなかった。
これをよんで、「衝撃」と言われるか「わかる」と思われるか、そこはやっぱり本当の愛、絶対にかかすことのできない離れられない愛を見つけたかどうか、その人生の、どの時点にいるか、で共感が変わってくるんだと思います。
ハルパさんが、奥さんに対してなによりも強い愛情を持っていると公言できることが私は何よりもうれしいです。そしてそれを教えていただくことができて本当に幸せです。
この文章のなかでははっきりとは説明していませんが、祖母は私の母親代わりで、祖母がいなければきっと今私はここにいないかな、と思っています。
ナナちゃんのこと、おしえてくださってありがとうございます。こんな坊さんにお経あげられてもっていうその気持ち、すごくわかります。
「Laugh and ...,」の中に少し書いてあるんですが、2020年の末から1年半ほど子宮頸がんで治療してたんです。ちょっと助かりそうにない大きさで、見つかったときにはもう切れなくて、長い入退院を繰り返しました。一人暮らしで、猫がそのとき2匹いました。
友達がかわるがわる最小限の世話をしにきてくれましたが、とてもとても長いこと留守番をさせてしまいました。
治療の副作用と、絶望とですべてがぐらつき、ただ眠るしかないとき、彼らは常に私の腕の中で眠ってくれていました。そのうちのひとりが、2022年5月に直腸腺がんでなくなりました。私のがんを持っていってくれたんだと思いました。手術もしましたが、苦しい思いをさせてしまった。
そのつらさからはなかなか立ち上がれませんでした。
残った楓もリンパ腫がわかり、現在18歳。皮膚炎もかかえています。暮と鈴も持病があり。でも彼らが幸せな顔をしてくれていると、幸せを思い出します。
楓があとどれくらいいてくれるかを考えると、ずっと泣いてしまいます。岐れはたえられません。
ここに公開予定はないのですけど、今書いている長編で、その猫のことも書きます。
いつかお見せしたい。そういま一つまた願いをたてました。
たくさんお話したい。また気持ちをきかせてください。ありがとうございました。
犀川よう様の近況ノートでご紹介頂きまして、ご著作を拝読に伺いました豆ははこと申します。
初めてのコメントを失礼申し上げます。
ご心痛をそれのみとはせずに美しい文章になされ、お祖母さまへのあたたかなお気持ちが窺える描写。
特に、欄間と歯ブラシのところが好きです。
まとまりのない感想で申し訳ございません。
お星⭐さまを流させて頂きましたので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
他のご著作も拝読させて頂きたく存じます。
素敵な作品を読ませて頂きました。誠にありがとうございます。
作者からの返信
豆ははこさま、はじめまして!さきほど豆さまのエッセイ1,2読破したところだったので、およよとどよめきました。午前に結音さまがおいでになり、「おススメされて」と言い残されて行かれ、一日ミステリートレインにワクワクと乗っているようでした。ついに正解にたどり着くことができた気分で、さきほど犀川よう様の近況ノート拝見してまいりまして、ひー!と恐縮する思いでした。
丁寧なごあいさつと、あたたかいお言葉、誠にありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。
豆ははこさんのエッセイ、あんなにおもしろいのに、読んでいると世界の文学を読んでいる気分になってきて、ついには「若きウェルテルの悩み」ならぬ、「若き豆の悩み」に空目してしまうほど。
ふしぎです!
今後ともすてきなエッセイをお書きになってください。楽しみに拝読させていただきたく存じます。
ありがとうございました。
ps欄間の掃除は大変でした^^;
拝読させていただきました。
感想等書くのは初めてなのでどうお伝えすべきかと考えましたが、とにかく、「とても素敵な内容でした」とお伝えする以上に言葉を見つけられませんでした。汗
私もおばあちゃんっ子だったので、二年前に祖母を病院で看取った時は、悲しい寂しいというよりも、感謝の気持ちでいっぱいだったことを思い出しました。
その後病院の駐車場で声を押し殺しながら泣きました。田舎だったし真夜中だったし、我慢せずに泣いても誰にも気づかれることはなかったのに、不思議と声が出ませんでした。
通夜も葬式も、親戚家族が集まる中、私はほとんどを祖母の寝顔を眺めて過ごしました。焼香も誰かが供えているにも関わらず、自分が点けたものが消えそうになったら一本足して火葬の時まで過ごしました。
親戚のみんなから「ありがとね」と言われました。たくさん手伝ってくれて、焼香までずっと番をしてくれて疲れたでしょう。眠たくないか。本当にお前がいて助かったよ、ありがとう、と。
火葬の時も納骨の時も、一緒に中に入りたいと思いました。そのほうが、自分が寂しくないから。
でも、冗談みたいにそんなことを考えている自分が好きでした。
祖母は私にとって、親戚家族みんなにとって、お手本のような美しい人柄を持って生涯を全うしました。
あんなふうになれたらと、私は帰宅後に縁側に座り込んで庭先の低木を見つめていました。
祖母みたいに低い木だと笑ってしまいました。
全部、この作品を読んで蘇ってきました。忘れていたわけではないですが、その時の外の暑さやあの時鳴いていた蝉の声、稲穂の凪ぐ音、葬儀場の自動ドアの開閉音……。
思い出して、美しい人になりたいと思いました。
虹乃さん、ありがとうございました。
ものすごく長文な感想になってしまいました。汗
すみません。笑
返信等していただかなくて構いませんので、テキトーに読み流してください(切望)。
まだまだ寒い気温が続きますので、お互い心身障りないよう気をつけていきましょう!
それでは。
作者からの返信
いとさん、こんにちは、はじめまして。たくさんのお言葉、ありがとうございます。私もいとさんのつづられた言葉を読みながら、泣いてしまいました。
当然ここには書いていない諸々が多々ありました、泣くなったその瞬間、病院へ走って行って寝かされている祖母を見たときは、「大往生だわ!」と高笑いが出たほどです。
でも、出棺間際になったら、腰を抜かすほど号泣し、おんおんと声を上げ、焼き場では「おばあちゃんがこわいって言ってる!熱いって!こわいって!いやだって言ってる!」とパニックになって騒ぎました。
それまで、骨を食べたい、というか、食べよう、とすっと手が伸びる、という感情を自分が持つとは、全く思っていませんでした。
ひとりになり、畳の部屋で壺に入った美しい骨を見た時、なぜか自然と、ああ、内側にほしい。ひとつになりたいと願いました。
ノンフィクションを他人にぶつけるのは一種の暴力だと思っています。相当のエゴイストでなければできない。なのでこの内容は、フィクションに落として小説の形にしてから発表するつもりの、書き留めていたものでしかありませんでしたが。
どういうわけか、文章そのものはなんらかわっていないのですが、私の中で結晶化し、外へ出せる姿かたちとなってきた時期のようです。
共感していただけた方がいることに、感謝を申し上げます。ありがとうございました。
一緒に泣きたいです。
あ、切望とかかれてたのに、お返事してしまってすみません(汗)
おおお、凄い作品に出会ってしまいました。
カクヨムコンに参加している私の作品の主人公は「ホネ好き」設定なのですが、イメージが重なるんです。
たとえば、
『白くて丸い陶器。でもその陶器よりもばあちゃんの骨の方が何倍も美しかった。』
『人さし指を滑らすとそれはさらさらとしていて、磨かれ切ったようになだらかだった。』
『指で掬えばそれはチョークの粉よりも細かく粉糖のように煌めいて私をいつまでもときめかせた。』
のところ。
虹乃さまの、おばあさまに対する深い愛情を感じるとともに、狂気も帯びていて美しい一節だと思います。
勉強になりました。
作者からの返信
わらけんたろうさま、お読みいただき、また過分な評価を賜りありがとうございます!うれしいです。
一息に書き留めてあったものなので、いずれ長編として書く予定のものですが、そうか~エッセイもノンフィクションもあるのか~と、手持ち原稿を漁って、ぽいと気まぐれに晒していましたので、読んでいただけて嬉しいです。
ありがとうございました。
編集済
読ませていただきました。
衝動的に愛する者の骨を、というのはわりによくありそうな展開な気がするのですが、冷静に、ここまで周到にそこに至るものには出会ったことがなかったんで、ほう、とため息しか出ませんでした。
ウインドチャイムや、名前を訊かれてちょっと動揺する場面など、印象的なシーンも多く、低音なれどその奥に潜む熱さを感じるような、素敵な小説だと思いました。
面白かったです。
あ。
ちょっと待って。
これエッセイだったんですか。マジか! なんかもう年始もそうだったんですが、書かれる方の多くの、文学的なエッセイに、のほほんと生きてる、いい歳こいたおっさんは度肝を抜かれっぱなしでございます。となると、面白かった、というのは不謹慎のそしりを免れませんね。ただ、読み物として充分以上の感銘を受けた、ことには違いありません。
お祖母様が、あなたが無事なら、それでいいんだよ、と見守ってくれていることを願って。
作者からの返信
コメントのテンションからなにから、あまりにもスロ男さんらしくて笑ってしまいました。ありがとうございます。
私が書くものは流れも設定も普通なんですよね、インパクト勝負ができません。じゃあ自分の強みはなにか、というとこれまた悩んでしまうのです。
日記めいたものをどうしてちまよって公開したのか。しかしおかげさまでお相撲みにいきます!
人生逆噴射の副賞として。
スロ男さんの語彙力にいつも脱帽です。