第41話 戦える自分で良かった

 申助が辿り着いた時、洞穴の中から怒鳴り声が聞こえてきた。


「女は黙って俺の言うことを聞いておけばいいんだ!」


 打撃音とともに、トメの体がぐらつく。後ろから再び兵衛によって支えられ、服を脱がされていた。その下に戌二らしき狼が仰向けになり寝転されている。

 かっと頭に血が昇った。気がつけば地面を蹴り、背後から兵衛を殴りつけていた。不意をつかれた兵衛は気を失ったようでその場に倒れ込む。


「なっ……」


 御霊之神が振り返る。御霊之神として奉られていた男は何が起きたのか理解していないらしく、目を丸くして申助を見ているだけだった。


「おい、戌二を離せ」


 申助は必死に自制しながら告げる。そうしないと、殴りかかってしまいそうだった。


「お前、こいつの仲間か!?」


 戌二の体には大量の切り傷がついている。きっと御霊之神の持つ刀で切りつけられたのだろう。彼は刀を構え、申助に向き直る。


「そうだよ。おい、さっさと戌二の縄を解け」


 言い終わるか終わらないかの内に御霊之神が刀を振って申助に切りかかってくる。慌てて飛び退き、一定の距離を取った。


「先程から騒がしかったのはお前達のせいか」


「そうだ。既に五郎のやつは捕まえた」


 告げると、御霊之神は唇を笑いの形に歪めた。


「そうか。五郎の奴が」


「何を笑っている」


 じりじりと御霊之神が詰め寄ってくるので申助は少しずつ距離を取った。御霊之神の持つ刀にも五郎によって処理が施されているのだろう。よく見ると洞穴の中にも札が貼られている。だからさっきから御霊之神やトメがこちらの姿を認識出来ているのだ。


「なぁに。俺はアイツのことが気に食わなかったもんでね。俺のやること為すことに一々つっかかってきてよ。俺としてはここで女どもと楽しく暮らせればそれでよかったんだ。なのにアイツは私怨で神堕としとやらに突っ走りやがって。面倒で仕方がなかった」


「……なのに、今戌二を堕とす事には関わるのか?」


 は、と御霊之神が笑う。


「最初は見張りだけの予定だったんだ。でも、こいつが獣になったからな。獣と女がまぐわうのを見るのも楽しそうだと思ったんだ。五郎は興味を失ったようでさっさと帰っていたがな」


 びくり、とトメが震える。


 見下げ果てた根性だ、と申助は御霊之神を軽蔑した。同時に、よかった、と心の底から思う。


 猿神族の屋敷に居た時は、男なんだから女を守りなさい、と体術を教え込まれてきた。女性を守る事の出来る体を誇りだと思っていた。けれど、犬神族に嫁いでからというもの、それらは全部母によって埋め込まれた価値観であり利用されていただけなのでは、という疑念を抱いた。体ばかり強くても教養がない自分は駄目なのではと劣等感を覚えていた。


 けれど、今、申助は自分よりも頭一つ分身長が高く、筋骨隆々とした御霊之神を前にしても立ち向かえるだけの度胸と力を備えている事に安堵している。


 ちらり、と戌二を見る。彼は体中を縄で縛られ、岩に繋がれていた。あれだけ縄がぐるぐると巻かれていると転変しても解くのに時間がかかるだろう。再び御霊之神に視線を戻す。


 戦える自分で良かった。おかげで、愛した男を守ることが出来る。そこに性別は関係ない。戌二に生きていて欲しいから守るのだ。


「悪趣味野郎が……っ」


 申助の足が地面を蹴り、御霊之神に拳を叩き込む。けれど彼の体幹はびくりともせず、逆に申助に刀を切りつけてきた。


「……危ないっ」


 申助は身を引いて脇腹を殴る。これは効いたようで御霊之神の足がふらついた。見逃す申助ではない。再び拳を肩に向かって叩き込もうとした。けれど御霊之神に避けられ、肩口を刀がかすめる。すんでのところで避け、距離を取り再び殴りかかろうとした。


「うわっ」


 足元に転がっていた兵衛に足を掴まれ、その場に倒れる。いつの間にか目を覚ましていたらしい。


「ははっ! よくやった、兵衛」


 ニヤリと笑った御霊之神がよたよたと近寄り、刀を振り下ろしてきた。


「死ねっ」


 衝撃に耐えようと申助は目を瞑る。けれどいつまでたっても切られた感覚がない。そうっと目を開けると、戌二が御霊之神の首に噛み付いていた。


「うわぁあああっ!」


 御霊之神はそのまま倒れ込む。狼が御霊之神を押さえつけている間に申助は残った兵衛に拳を叩き込み、再び気絶させた。

 背後に足音がする。やっと妖怪達が追いついてきたのだ。彼らが御霊之神達を捕縛した事を確認し、戌二の方に視線をやる。彼が繋がれていた縄は途中で切られていた。綺麗に切られているので刃物を使ったのだとわかる。戌二が視線でトメを示す。トメの手には刀が握られていた。

 トメが兵衛の持っていた刀を奪い戌二を解き放ったのだ。


「トメ……」


 呆然と、御霊之神達が連れて行かれるのを見つめていたトメは、申助の方を見る。申助は眉尻を下げた。


「ありがとうな。助けてくれて」


「……」


 トメは複雑そうな顔で申助を見る。自分の信仰していた神を裏切った彼女は肩を落として俯いた。

 とうに御霊之神達は連れて行かれ、場には申助と戌二、それからトメしか残っていなかった。トメは拳を握りしめ顔をそらす。彼女の眦から雫が伝い落ちた。


「……許せなかったの。私達は平等だと言ったその口で、女だからって黙って言うことを聞けだなんて言ったことも、私を獣とまぐわわせようとして、己の楽しみにしようとしたことも」


 彼女の目からとめどなく涙が流れ落ちる。申助も俯いて相槌を打った。

 その時、ごう、と遠くで光が燃え上がった音がする。驚いて振り返ると、長屋のあたりに炎が燃え広がっていた。


「は!?」


 何事かと驚くが、今は一刻も早くここから脱出しなければならない。炎が迫ってきたら蒸し焼きにされかねない。申助は戌二に押されるように洞窟を出た。後ろからついてきたトメは顔色を変えて周囲を見回す。


「……いけない! 蚕が!」


 呟くと同時に彼女は小屋の方へと走り出す。同じ思考を持ったのであろう女達が蚕の飼育小屋に集まっていた。

 今は一刻も早く戌二を無事な所に連れて行かなければいけない。申助は戌二を促して村の背面にある方の出口へと向かった。


「あ!」


 後少しで外に出られるという時になって申助は背後を振り返る。戌二が不思議そうに足を止めた。


「お守り、取られたままだった!」


 慌てて申助は朱塗りの小屋へと向かおうとする。


「おい! 待て!」


 戌二が吠える。今は獣の形だったが、言葉は通じる。


「あの小屋も燃えている。諦めろ」


「は!?」


 申助は目を見開く。


「でも、あれがないと女に見られない。五郎が作ってくれるかもわからないし……」


 過去に五郎が制作したものというのであれば、お願いすれば作ってくれるかもしれないが、彼の処遇が決まっていない今頼るのは不安だった。それでも戌二は首を振る。


「安全を優先しろ」


 唇を噛み、立ち尽くす。戌二が頭でぐいぐいと申助を押してきた。


「あれがないと俺は帰らされる! お前はそれでいいのかよ!」


 炎は桑や麻を燃料にどんどん燃えていく。火の粉が飛んで服を焦がしてきた。戌二は数度口を開け締めした。


「……命あっての物種だ」


 戌二が返す。彼の言っている事はわかる。けれど、呪符がないと今後一緒にいられない。それでもいいと戌二は言っているのだ。視界が滲み、申助は目尻を乱暴に拭うと踵を返して塀の外へ走った。

 


 江戸の消火活動はまず周囲の物を壊し、燃える物を無くして被害を食い止める。その後、水を放水し、炎を消火するのだ。


 富士楽にも炎を止めるための龍吐水と呼ばれる、腕木を押して水を吐き出させる装置は存在したものの、威力が弱かった。結局小屋と畑は全焼し、長屋が半壊した。幸運なことに、風が吹いて炎は村の中心部とは反対側に燃えていった。稲荷を想起させる鳥居を焼き、塀を伝い外の林へ燃え広がり、山の三分の一を焼く大火事となってしまった。火は揺動の際に門番の一人がうっかり篝火を倒してしまい、冬の乾燥した空気の中で燃え広がったらしい。


 捕まえた三人衆の処遇については次の通りである。国主の拷問により言うことを聞くようになった五郎は須久那にかけた呪いを解き、妖怪堕ちさせた神々を元に戻す方法を模索中だという。残り二人は人攫いの罪、姦淫の罪、および赤子殺しの罪で役人に捕らえられた。現在余罪の調査段階であるが、重刑は免れないだろうというのが治郎兵衛達村の者達の見立てだった。


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