第40話「惚れた相手って……、それ、まだ言っていたのかよ」

 申助が五郎を捕らえた事を確認した姉や従兄弟は戌二を探すべく再び外へ出ていった。兄の申彦が残ったので後ろ手に拘束した上で五郎を取り押さえてもらっていた。


「申代姉も来てるとは思わなかった」


 応急処置として引きちぎった袖を傷口に巻きながら申彦に向かって話しかける。


「申代、お前がいなくなってからすっごく後悔してたんだよ。本来なら自分が嫁ぐべきだったのに、性別を理由にお前に押し付けたって」


「え」


 申助は目を丸くする。


「だから、まずは自分で自分を守れるようにって体を鍛えて、今回もお前に恩を返すんだって力入ってんだよ」


 申彦が苦笑する。視界が滲んだような気がした。視界の端で狐次郎がのろのろと起き上がったので慌ててそちらへ向かう。

 狐次郎の背中は血だらけで、肩にも傷を負っていた。すぐに小屋の外に出す。ほぅ、と一息ついたように狐次郎はため息をついた。


「ありがとうな……、助かった」


 応急手当として彼に包帯を巻きながら申助は頭を下げる。狐次郎は脂汗だらけになりながらも強気に笑った。


「いいってことですよ。惚れた相手を守るのは当たり前でしょ」


「惚れた相手って……、それ、まだ言っていたのかよ」


 申助は呆れて半眼になる。今は彼の望み通りに猿神族の援軍も来て五郎を捕まえることが出来たというのに。


「惚れたのは本当なんですからいいじゃないですか。俺、かっこよかったでしょ? 株あがりました?」


 それを自分で言っていれば世話はない。きっと申助が気にしないように冗談を言ってくれているのだろう。苦笑して五郎のほうに向き直った。彼は呆けた顔をして呆然と申助達を見ていた。


「おい、戌二はどうした?」


 五郎はもはや抵抗する気がないようで、ぞんざいに返した。


「麻畑の裏にある洞窟の中だよ。……とはいえ、今頃はもう妖怪になってるかもな」


 ひひ、と五郎は力なく笑う。


「は? おい、どういうことだ?」


「この小屋でやっていたことをそのまま洞窟の中でもやっただけだ。今頃あの犬神は興奮して女の上で腰振ってんじゃねぇの」


 ぎり、と奥歯を噛みしめる。五郎が言い終わらないうちに、申助は麻畑へと走っていった。

 







 

 はぁ、はぁと眼の前の狼が浅く呼吸を繰り返している。発情しているのはトメでも察せられる。狼は首を縄で繋がれ、噛みつかんばかりに威嚇していた。傷だらけで見ている方が痛々しい。


「ほれ、さっさとまぐわわんか」


 後ろで兵衛と御霊之神が囃し立てている。トメはその場で立ちすくんでいた。体が震えている。きっと一昨日までの彼女であれば、御霊之神様が言った事は絶対とばかりに目の前にいる狼の魔羅の上へ腰を落としていただろう。

 須久那様……っ。

 ぎゅう、と拳を握り、世話になった女神の名前を心の中で呼ぶ。彼女は苦しむトメのそばで支えてくれ、抱きしめてくれた。話を聞いてくれて、寄り添ってくれた。心が救われた心地がした。彼女がいたから、落ち着き、申助の言葉を少しずつ受け止められていた。

 昨日の夕方、急に外へ出なければならないような焦燥感に襲われた。トメが出ようとした所で須久那にどこへ行くのかと問われ、戌二を伴ってちょっとだけなら、と屋敷の外へ出た。そこに、御霊之神と五郎がいた。五郎はトメの匂いを追ってきたのだと言う。戻るようにと脅され、拒絶をしたら須久那に呪いをかけられた。

 戌二ともどもついてくるならば須久那にかけた呪いを解くと言われ、しぶしぶ戌二とともについていった。そうしてこの洞窟に入れられ、戌二とまぐわうようにと命令されたのだった。洞窟の近くに滝が流れているから外に音が漏れない。助けて、と叫んでも富士楽の女性達には届かないだろう。

 甘い香りが周囲を包む。お香の匂いはトメの劣情をかきたてた。戌二もなのだろう。けれど、戌二は性交を拒否して狼の姿になった。元の人間の姿になるように、と見張りをしていた御霊之神と兵衛によって腰に差していた刀で切りつけられ、首輪をつけ引きずり回され、ボロボロになっていた。戌二が攻撃をしようとするたびに御霊之神の刀がトメの皮膚を傷つけ、須久那の呪いを解かないと脅され、戌二は為す術もなかったのだ。

 そんな御霊之神の姿を見て彼女の中で違和感が膨れ上がっていく。自分が信じ、ついていこうとしていた神の姿はこんなものだったろうか。


「おい! 早くしろ!」


 背後から御霊之神が怒鳴りつける。トメは震える声で返した。


「けれど……、相手は獣です。どうやってまぐわえと……」


「そんなん押さえつけて無理やりすればいいだろうが!」


 兵衛も乗っかる。そんなおぞましいこと、到底出来るわけがない。グルル……、と戌二は二人を威嚇している。


「仕方ねぇなぁ」


 体格のいい御霊之神が戌二の首についた縄をひっぱり、仰向けに寝転がせた。その上に兵衛がトメを乗せる。


「ひ……」


 服越しに戌二の体温が伝わる。


「嫌……、嫌です」


 なんとか逃れようとすると、ガツンと頭を殴られた。


「いい加減にしろよ! 何のために今までお前を養ってやったと思ってんだ! 女は黙って俺の言う事を聞いておけばいいんだ!」


 御霊之神の怒鳴り声に身が竦む。トメの知っている彼はいつだって優しく笑っていた。なのに、なんだこの変わりようは。こちらが本来の彼なのだろうか。


『作られた楽園なんだよ。あの集落は、男を排除して、女を集めて』


 申助の声が頭の中に蘇る。言われた時には到底受け入れられないと思っていた言葉だ。


『御霊之神達がいい思いをしようとか、夜伽をさせようとか、その為に薬を使って作ったんだ』


 恐怖で涙がぼろぼろと流れ出した。

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