第24話:磔刑のゼタ

 目を開けるとすぐにジルの心配そうな顔が飛び込んできた。


 どうやら膝枕をされていたらしい。空はすっかり夜の色だ。


「眠っていた、のかな」

「うん。よく寝てた」

「あの後ゼタは?」

「サレイやラメルたちが上手くやった」

「そっか」 


 それは良かった。私はゆっくりと身体を起こした。ひどい倦怠感が襲ってきたが、今はまだ弱音を吐いていられる時間ではない。


「街の様子は」

「壊滅」

「……そっか」


 私は大剣アスタルテを杖に立ち上がる。すぐにジルが支えてくれた。


「女神ソピアが来る」

「え……まだ来るの」

「次が真打ちだよ」


 私の左手を、ジルは両手で捕まえる。


「怖くないから」

「うん?」

「アタシ、怖くないから。たとえ何が来ようと、スカーレットがいるならアタシは怖くない」

「頼りにしてもらえて嬉しい」


 私の髪が風に揺れる。ジルが目を丸くする。


「あれ、髪……」

「……ん?」 


 赤い。炎の照り返しによるものではなく、間違いなく赤い。


「本来の色はこんな色らしいよ、私の髪」

「ああ、だからスカーレット、か」


 ジルは頷いた。ジルの向こうにサレイとラメル、そしてキーズが姿を見せた。その表情が硬い。


「どうした、その髪」


 泥だらけのサレイが駆け寄ってきて開口一番そう尋ねてきた。ラメルとキーズも顔は煤だらけで、おまけに汗だくだった。


「髪のことはいい。そんなことより街の人を避難させて」

「わかった」


 サレイは深くは問わず頷いてくれる。


「キーズ、何か見えている?」

「残念ながら僕のカードは沈黙。こんなことは初めてだ」

「だと思った」


 私の言葉に、キーズは「なるほどね」と意味深に頷いて言葉を補う。


「この先の世界はなんだ」

「そういうこと、かもね」


 私が女神ソピアと戦って勝てるかは不明、と。ただこれは希望だ。敗北必至ならば、そうとわかるはずだからだ。


「ラメル、ジルを守って」

「わかった。ジルはスカーレットを見守るんだね」

「うん」


 ジルは遠慮がちに頷いた。


「ごめん、ラメル。こんな時ばかり」

「頼られないより断然マシさ」


 ラメルは眉尻を下げて目を細めた。私は小さく頭を下げる。サレイとキーズ、そしてハイラードを始めとするグラニカ商会の騎士たちが避難誘導に消えていったのを確認してから、私はメルタナーザさんの屋敷があった場所へと足を踏み入れた。瓦礫すら残っていない空間は、ひどく現実離れしていた。まるで最初から何もなかったかのように、ただ夜の影となって沈んでいる。


 避難していない人、避難できない人。サレイたちの奮闘もむなしく、そういう人々が少なからずいる。半ば自棄やけになっている人も少なくはない。彼らの視線が私に向けられているのを感じる。


 女神ソピア。どこから来る。


 私を睥睨へいげいする者がいる。ぬめるようなギラついた目だ。


 私の魂を滅ぼそうと、奴は獰猛な牙をいている。


 地鳴りが聞こえてきた。巨大な地震がくる前兆のような、不吉な音だ。


 風がむ。星々を暗雲が隠す。周囲はほとんど完全な闇に落ちる。人々の不安げな声が上がる。


 大剣アスタルテを抜き放つ。赤いオーラがたける炎のごとく噴き上がる。


 悲鳴があがった。人々が次々と溶けていく。それはずるずると吸い上げられるように地面をすべり、やがて小山のように積み上がった。泡立ち破裂を繰り返すは、やがて一つの巨大な人間の姿に変わっていく。


磔刑たっけいのゼタ……」


 十字架にはりつけられた巨人。身の丈……五十メートルはあるだろうか。ドラゴンよりも巨大なのは間違いない。そして何より醜悪だった。


「こいつが……女神ソピア?」


 あまりの醜悪さに、女神という語感と結びつかない。だがそのグロテスクを極めきったゼタは、なるほど神の化身かもしれなかった。こんな悪趣味な造形など、神以外にはできはしないだろう。


 しかし、どうやって倒せばいい。相手は五十メートル、こっちは人間。あっちの世界メビウスのように機兵メタルコアに乗れるわけでもない。


 そうこうしているうちに磔刑のゼタが無数の触手を伸ばしてくる。その先端には人間であったものの残骸がついているというおまけ付きだ。


 それをかわせば、触手は地面に激突する。すると先端につけられた人間であったものが泣き叫ぶ。


「悪趣味が!」


 触手からその先端部を切り離すように、私は舞う。音速で落ちてくる触手を避けるなんて正気の沙汰ではない。が、私の目にはそれらの動きが見えていた。アスタによる能力増強もあるだろう。寸でのところですべての攻撃を回避し、十字架の最下部に思い切り大剣アスタルテを叩きつける。


 ガッ――木材を削るような感触がある。十字架の根本は大きく削られていた。だが、すぐに構成要素の人体を溶かして補修してしまう。


「スカーレット! 人がどんどん吸い込まれていく!」

「うっ!?」


 ジルの言葉に視線をやれば、半分溶けた人間たちが全方位から引き寄せられていた。それはずるずると磔刑のゼタに吸い上げられていく。それと同時にゼタは巨大になっていく。


「嘘だろ」


 なおも続く触手攻撃を回避しながら、思わずうめく。


「どうすりゃいいんだ」


 時間をかけてはいけない。私が苦戦したら、ジルが……おそらくセブンス同様に自己犠牲に走る。


 どうしたらいい。どうしたら。


「アスタ、何か手は無いか! ティルヴィングは!」

『望みは三度。しかし、その代償は……』

「神話の伝承なんて知ったことか!」


 三度の望みを叶え、代わりに持ち主には破滅をもたらす。ティルヴィングとはそういう武器だと聞いたことがある――あの世界メビウスの記憶の話だが。


『どのみちあと一撃しか使えません』


 イシュタルが告げる。私は首を振る。


「出し惜しみしている場合じゃない」

『わかりました。ティルヴィング・レディ!』


 剣が燃え上がる。磔刑のゼタの周辺に幾つもの輝く円形が浮かび上がる。


「スカーレット!」


 降り注ぐ光の槍。ジルがとっさに障壁を展開しなかったら丸焦げだった。


「助かった、ジル」


 しかし、これによって磔刑のゼタはジルにも関心を向けてしまう。触手がジルを襲う。


「ジル!」


 ジルの魔法障壁とラメルの剣によって触手はかろうじて防がれる。しかしこの磔刑のゼタは執拗しつように攻撃を続ける。


 このままではジルもラメルもられる。


「アスタ! 早く!」

『ティルヴィング・発動インヴォーク!』


 大剣アスタルテを大上段から振り下ろす。


 空間が歪むほどのエネルギーが磔刑のゼタに向けて打ち出される。はるか頭上にあるゼタの頭部が真っ二つに割れ。身体もまっすぐに切り裂かれた。津波のように体液が噴き出してくる。


「アスタ、防げ!」


 あれを被ったら大変なことになる。私は大剣アスタルテを掲げてその力を発動する。空中に巨大な力場が生じ、私を包む。私の周囲の地面が一瞬で溶けて泡立った。


「ジル!」

「大丈夫! それより、スカーレット!」


 ジルが指差す先、私の直上十数メートルの場所に、赤い目玉が浮いていた。その神経のようなものは磔刑のゼタの顔面から伸びている。どこまでも悪趣味だ。


「女神ソピア! お前のたくらみは成就じょうじゅしない!」


 時間を稼げ。アスタのチャージが終わるまで。今のアスタは消耗しすぎている。攻撃にも防御にも心許こころもとない。


 地面が揺れる。立っていられないほどの揺れだ。街のあちこちで悲鳴が上がったのが感じられる。


 その間にも犠牲者は増え、磔刑のゼタに吸い上げられていっている。


 そして見る間にダメージが回復していっている。


 このままでは勝ち目がない。


『愚かな……魂』


 ゼタがよだれを垂らしながら喋った。男と女が同時に喋っている中に金属がこすれるような音が混じった、極めて不快な声だ。


『我が子にして我が父を葬りし貴様を、その記憶ごと消し去れば。我が子は蘇り、我が父となり、そして我が愛を受け入れるであろう』

「そういうのを自分勝手という! そのために何人死ぬ!」

『我が愛の成就じょうじゅのため。それ以上の動機はなかろう! そのために何人死のうが世界が幾つ滅びようが、そんなことは知ったことではない』

「なにをっ!」


 何と自分勝手な神かと、私はいきどおる。しかし磔刑のゼタは気にも止めない。


『貴様が愛する者のために戦うように、我もまた愛を求めて戦うのみ。そこにいったいどれほどの差があろうか』

「その愛は歪んでいる!」

『愛の真贋しんがんを貴様ごとき矮小な存在に断言されるいわれはないわ!』


 落雷が発生する。それはしつこくしつこく私にめがけて落ちてくる。アスタを信じて回避行動は取らない。


「私はことができる」

『そう何度もうまくいくものか』


 未来は未知。神にすら見通せない。


『スカーレット』

「どうした、アスタ」

『あなたは何をてられますか』


 代償の話か。私は首を振る。


 迷いなど無い。


「ジル以外の全てをてていい!」


 ごめん、ラメル。ごめん、サレイ。ごめん、イヴァンさん。みんな……。


『わかりました』


 私の体重が無くなる。正確には浮かんでいた。大剣アスタルテに引っ張られるようにして、私は飛んでいた。


 一瞬でゼタの顔面の前に立つ。下から眼球が追いかけてくる。


 バランスを取るのが難しいが、しばらく空中で逃げ回っていると感覚がつかめるようになってきた。その頃には磔刑のゼタはざっと七十メートルを超える巨大さにまでしていた。近くに寄れば寄るほど悪趣味な造形だった。全てのパーツが人間の一部――腕や足のみならず、内臓や骨――でできているのだ。ぽっかり空いた右の眼窩がんかからはとめどなく赤黒い血液が流れ出している。


 磔刑のゼタの背中に巨大な魔法円が生じた。そこから放たれた光は私をかすめ、ベルド市を破壊し、地面をえぐり、地平線の彼方を激しく焼いた。


「ジル、無事でいて!」


 上空を舞う私の声は地上のジルには届かない。祈るしかない。


 一刻も早く、こいつを殲滅する他にないのだ。


 磔刑のゼタの触手攻撃と魔法攻撃は熾烈を極めた。弾幕だ。一発でも当たれば即終了の威力の攻撃が間断なく襲いかかってくる。


「くそ、近寄れない」


 アスタ、何か攻撃手段は。


飛行砲台A・ビットを生成します』


 すると拳大の光の塊が私の周囲を回り始めた。


 弾幕対弾幕。


 彼我の中間で無数の爆発が起きる。しかし状況は好転しない。


『滅びよ、罪深き

「罪深いのはお互い様だ!」


 大剣アスタルテがゼタの頭頂に直撃する。無謀にすぎる突進だったが、効果はあった。


『ッ! 小癪こしゃく!』


 こいつ、ここまで近付かれたら防御手段がないのか?


『スカーレット、対ショック!』

「!」


 ゼタの全身から衝撃波が放たれて、私はすべもなく弾き飛ばされる。まともに食らってしまった。肋骨が数本やられたに違いない。


「だが、まだだ!」


 空中で体勢を立て直し、再び弾幕の只中に突っ込んでいく。私の意識の中にあるのは恐怖でも焦りでもない。ジルただ一人だ。彼女を守るためなら、何だってできる。何だってする。その思いだ。


『そうかそうか』


 ゼタがと笑う。


『あの娘を二目と見られぬ姿に変えて、我が内に吸収してやろうか』

「させるか!」


 大丈夫だ、ジルは負けない。ラメルも奮戦してくれている。サレイも戻ってきてくれた。


「スカーレット!」


 ジルが叫んだ。私は上に逃げる。触手と魔法攻撃が追いかけてくる。射線がひらいた。ジルと磔刑のゼタの間の障害物がなくなった。


 ジルの足元に巨大な魔法円が生じていた。


 私はジルに攻撃を向けさせないようにゼタの頭部にまとわりつく。


『姑息なことをする!』


 ゼタが――女神ソピアが、ジルの詠唱に気付いた。


 だが、ジルの方がほんの一瞬早かった。


 ジルの魔法円からゼタを覆い尽くさんばかりの光の奔流ほんりゅうあふれ出た。今まで見てきた電撃の魔法ではない。光の魔法だ。


 それはゼタの魔法円や触手を尽く消滅させ、ゼタの表面をくまなく焼いた。ぐつぐつと泡立っているゼタは、少なからずダメージを受けている。


『スカーレット。今まで……ありがとうございました』

「?」


 どうした、アスタ。私は思わず大剣アスタルテを凝視した。


『あなたと戦えて光栄でした。あの宇宙メビウスでも、この世界でも』

「だから、どうしたんだ、アスタ」

『モード・創世ゲネシス、展開します』

「アスタ!?」


 嫌な予感がして、私は強く呼びかける。


『サイレンの遺したプログラム。それはきっとあなたの助けになるでしょう、ジーナ』

「アスタ、何を言っているんだ」

『ティルヴィングは三度望みを叶え、そして持ち主には破滅を――。それは逃れられないのです』

「待て、私が破滅するのはいい。しかし」

『だめですよ』


 アスタの声が少しずつ遠のいていく。


『それにまだ、三度目の望みは――ソピアの殲滅という望みは、成就されていない』


 大剣アスタルテが私を導く。磔刑のゼタ、その醜く垂れ下がった眼球を粉砕する。


「そしてこの剣のは、僕だ」

「サイファー!?」


 突然現れたサイファーが私から大剣アスタルテを奪い取る。私は抵抗できなかった。


 そして私は何らかの力場に包まれてふわふわと落下していく。


、行きましょう』

「待たせたね、イシュタル」

 

 ジルと合流して、私たちは磔刑のゼタを見上げる。


 サイファーがその額に向けて大剣アスタルテを突き出した。ゼタは頭部を展開してサイファーを取り込もうとした。


 それまでの攻防が嘘のように、世界が沈黙に落ちる。生きている誰もが、何をも言わなかった。


 ジルも、ラメルも、サレイも、今到着したばかりのキーズも、何も言わなかった。

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