第19話:イシュタルとの再会

 大佐の襲撃から、一週間が過ぎた。


 私はベギエ武具店で装備の調整を行っていた。トカゲのゼタが遺した金塊が二つ。その後も散発的に出現したゼタたちから細々と収入を得て、私の所持金は約束通りの金貨四百五十枚を超えたのだ。


「仰っていただければ値引きでも何でも致しました所ですが」


 店主のベギエさんは申し訳なさそうに言った。


「そういうわけにはいかないから。約束は約束だから」


 私は鎧の装着手順を確認しながら応じる。ついてきていたジルは「そゆとこ頑固だよね」と笑っている。


「私も堂々と身に着けられるしね」

「お似合いです」


 ベギエさんはそう言うと、手入れの行き届いた少し短めの大剣クレイモアを私に手渡した。


「やっぱりその剣を選んだんだね」


 扉を開けて入ってくるなり、その人物――メルタナーザさんは言った。突然の出現には、もはや驚くこともない。


「やっぱり?」

「この剣を作らせたのはわたしなんだよ、スカーレット」

「ええ!?」

「あんたがこの武器を選んだのは運命さ。いや、あんたの精霊はそうと気付いていたのかもしれないねぇ」


 そうだ、この大剣クレイモアは、今は借り物の長剣で眠っている精霊アスタ見出みいだしたものだ。


「メルタナーザ様」


 ベギエさんが不安そうな声を発する。メルタナーザさんは腕を組んで少し笑う。


「大のおとながそんな声を出すもんじゃないよ。そうさ、この街はこれからが正念場だ」

「正念場……」


 私たち三人の声が揃った。それを聞いてメルタナーザさんはまた微笑する。暗黒の瞳が店内の明かりを受けてキラリと光る。


「ここから先の未来は、わたしにも霞がかかっていてよく見えない」

「そんな」 


 ジルの声が揺れている。メルタナーザさんはジルの頬に軽く触れ、目を細めた。


「不安になる必要があるのかい、今のあんたが。スカーレットに愛されているあんたが、何を不安になるって言うんだい」

「そ、そうか。そうだよね、師匠」

「そうだとも」 


 メルタナーザさんはそう言って、今度は私の頭に触れた。


「あんたのその瞳は揺らいでいない。何をも心配する必要はないさ」

「うん。大佐だろうが女神ソピアだろうが、私は負けないから」


 確信があった。根拠はない。


 メルタナーザさんは強く頷いて、私から手を離した。


「その剣の真銘は、


 その瞬間、私の手の中にある大剣クレイモアが震えだす。私は促されるままに鞘から刀身を引き抜いた。


「これがるべき場所」

『これって……』


 アスタが目を覚ましていた。


「乗り移って、アスタ」

『うん』


 その途端、店内から影が無くなるほどに強く、大剣クレイモアが輝いた。目を開けていられない。


「うわわ……」

「眩しい!」


 私とジルの声すらき消されてしまいそうなほどのまぶしさだ。爆音があったわけでもないのに、耳がキィンとなっている。


「アスタ……?」


 光が徐々に弱まってきて、私はようやく目を開けることに成功する。


「アスタ?」


 返事がない。


「アスタ!?」


 剣は輝いている。恐ろしく軽い。力がみなぎってくるようだ。だが――。


「見て、スカーレット」


 刃から光が放たれ、その光の中に人影があった。知っているのに思い出せない、そんな姿だ。金色の髪と瞳の、人間離れした美しさの女性だった。


「まさか、イシュタル……?」

『お久しぶりです、スカーレット。いえ、ジーナ・オルグスブラッド』

「オルグス……それが私のメビウスでの本当の名前?」

『肯定です』


 映像の中のイシュタルは、メルタナーザさんの方を見る。


『サイレン・ファリス・ヒルテンベイン。ここまでご苦労さまでした。この宇宙でようやく、私はジーナと再会できました』

「ああ、そんな名前だったっけねぇ」


 メルタナーザさんは頷く。転生の魔女・サイレン。この人は一体どのくらいの破局カタストロフを見届けてきたのだろう。


「あのう」


 ベギエさんが居心地悪そうに口を開く。この人のことをすっかり忘れてた。


「私はいったいどうしたら」

「見物していればいいさ」


 メルタナーザさんは口角を上げる。


「聞かれて困る話でもなければ、あんたが言いふらしたりする人間でもないこともわかってる」

「は、はぁ……」


 ベギエさんはこそこそと私の後ろに移動する。


「あの、さ」


 私は一歩前に出た。


。アスタは……もういないの?」


 あの口と態度の悪い精霊は……。


『彼女は私のペルソナシステムの一つの形です。動作負荷の最も小さなペルソナが、アスタです』

「ってことは、あの子はまだ生きている?」

『生きているという表現が妥当なのかはわかりませんが、システムモジュールとしては有効です』


 そっか。


「よかった」


 私の口をついて出るその言葉を聞いてなのか、イシュタルは微笑んだ。


『これからも基本モジュールはアスタのままの方が? 起動負荷はもはや考慮しなくて良いと思いますが』

「ううん」


 私は首を振る。


「アスタがいい。あの性悪精霊が、私にはお似合いだ」

『ふふ……承知しました。通常モード時はペルソナ・アスタにしますね』

「ねぇ、精霊さん」


 ジルが私の隣に並ぶ。イシュタルは微笑んでいた。


「アタシのことを知ってる?」

『もちろんです、セブンス・フューエルバック。あなたのことはスカーレットから幾度も聞かされていましたし』

「その、メビウスでもアタシは愛されていたの?」

『ええ、

「よかった」


 ジルは頷き、私の左手を握った。私も握り返す。


「まさか、師匠も知っていたの?」

「もちろん」


 メルタナーザさんは鷹揚おうように頷いた。


だよ、わたしは。あの世界メビウスの記憶もほぼ完全に残しているんだし、ねぇ」

『私とサイレンは、メビウスであなたたちの関係が進まないことにいら立ちすら覚えていたんですよ』


 茶化すようにイシュタルが言った。メルタナーザさんは「ははは!」と声を上げて笑う。


「そんなこともあったっけねぇ」

「私、そこまで不器用だったの……?」

「こっちの世界のあんたの方が、すこーしだけ積極的だったみたいだねぇ」


 メルタナーザさんは目を細めて私を見た。その眉尻が少し下がっている。優しい表情だった。


「過去のことはいいじゃん」


 ジルは横から私の頭を抱き寄せる。私の頬がジルの肩に触れた。


「今も愛されてる。多分、メビウスでのアタシ以上に。それでいいよね」


 そう囁かれて、私の頬が熱くなる。人前で公然といちゃつくというのはなかなか恥ずかしい。


『スカーレット、ここから先は私がサイレンを引き継ぎます』

「え?」


 意味が分からず、私はメルタナーザさんを見た。ジルの身体にも力が入っているのが伝わる。


「恐れることはないよ、スカーレット」

「どういう意味なの?」


 私ははぐらかされまいと食い下がる。


「こんな大変な状況にあるのに、どこか行っちゃうの?」

「どこにも。わたしはどこにも行かないよ」


 メルタナーザさんは穏やかな口調でそう言った。


「ただ、わたしもここまで少し張り切りすぎたかねぇと思っているんだよ」

「師匠!」


 ジルが声を張った。


「まだ戦いは終わってないです!」

「そう、終わってない。ブレイク大佐も、女神ソピアも、片付いてない」

「女神グラウ――」


 ジルが口にしたその固有名詞に私は首を傾げる。


 女神?


 グラウって女神だったのか。


 私は目を見開く。


「まさか、それが女神ソピア……?」

「そう、女神ソピア」


 メルタナーザさんのその答えに、私は頭を殴られたかのような衝撃を受ける。


「それは確かに、私をにしたがるわけだ」

「そう。全てがの計画通りというわけさ」


 メルタナーザさんはゆっくりと頷いた。


「師匠」

「うん?」

「メビウスがよみがえると、どうなるの? アタシたちは?」

「そこまではわたしにも分からないよ」

「そっか……」


 ジルは首を振る。私は目の前に浮かぶ女性の姿に問いかける。


「イシュタルは?」

『私にもわかりません。ただ、ゼタとなってしまった魂を含めて、全てがるべき宇宙に戻れる』

「世界の話はよくわからない」


 私の言葉にイシュタルは頷く。


『では、私がいま、あなたたちの未来は確実に保証されます――そう言ったとして、あなたたちは安心できるのですか?』

「……性格の悪さはアスタとどっこいだね」

『ベクトルは違いますが、本質は同じですから』


 イシュタルは笑った。彼女はあの世界メビウスでは人の魂を移植された人工知能A.I.だったはずだ。


「でもなるほどわかったよ。たとえメルタナーザさんが大丈夫だと言っても、私たちの不安は消えない、か」

「そういうことさ。さて、わたしはそろそろ行くよ」


 メルタナーザさんはそう言うと、ふわりと姿を消してしまった。呼び止めるいとまもなかった。


「師匠、なんか変だったな」

「心配だけど、押しかけてもかわされそうな気がするなぁ。ね、イシュタル」

『……そうですね。サイレンはそういう人です』


 そういう人、かぁ。


 私はため息をついた。


 そんな私の鎧のスカートを、ジルがつまんで引っ張った。


「うん?」

「試し切り。行かない?」

「イシュタル」

『お見せしますよ、覚醒したアスタの力を』


 そっか。


 私は大剣アスタルテを握り直した。

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