第18話:メビウスの夢、アスタルテ vs 病める薔薇

 私たちの空中戦艦に襲いかかる無数のゼタ。その群れの向こうに青空を背景に佇む、機械の翼を持つ毒々しい機体――ブレイク大佐の乗機だ。


 私は。赤毛の女性の姿が狭い空間――それがコックピットと呼ばれるものだということは何故か私には理解できた――でを操っている。人型の戦闘兵器、機兵メタルコア。聞き慣れない情報ばかりであるにも関わらず、それらは自然に理解できた。


 メビウスの記憶、か?


 ここまではっきりした夢は記憶にない。おそらく目覚めても消えることはない。


 私と三機の僚機が前に出る。一機は空中戦艦母艦の直衛だ。


 敵の数は四十。も合わせて四十一。敵の母艦は視認不可能な距離にいる。一撃しにいくのはリスクが大きすぎた。迎撃する他にない。


「メーサーも下がれ。セブンスを守れ」

『撃破してったほうが早いって!』

「いいから。嫌な予感がする」


 夢の中の私が低い声でそう告げる。


『……分かった』


 メーサーと呼ばれた男が渋々と機体を後退させていく。


『セブンスより、スカーレット』

「なんだ?」

『……死なないで』

「死ぬもんか」


 私が首を振っている。


 十倍の敵。そして。いくらでも勝ち目は薄い。

 

「一機も母艦には辿り着かせない」


 私は機体を飛翔させる。真紅のが、無数のミサイルを放ちながら一直線にゼタの群れに突っ込んでいく。


 後を追ってくるレイとロジェの機体を確認して、私はゼタと踊る。母艦からの援護射撃を掻い潜りながら、私はまっすぐにに迫る。機体の右手に生じた刃を一気に振り抜く。


 が、大佐はそれを難なく回避する。


 凄腕だ――。


 私は客観的にそう感じる。赤毛のスカーレット以上に、大佐には余裕があった。


 その瞬間、スカーレットの赤い機体が上に逃げた。直後、幾本ものエネルギー弾がそこに着弾して爆ぜた。数機のゼタが大佐の援護に動いている。


 これは勝てない。


 私は喉の乾きを覚える。


女神ソピアによって真なる神プロパテールが生み出された。我々の計画をはばむ者は全て滅ぼす』

「新世界計画……!」

『汚れた神の宇宙セカイを浄化し、正しき神の栄光をもたらす。これぞ至高の善行よ』

「ふざけるな!」


 私の頭が熱くなる。私はいつの間にか赤毛の私と同化していた。


「そんなものが善行だと! 大勢人間が死ぬ。無数の悲しみが生まれる! そんなものが、こんな計画が善行だと!?」

瑣末さまつなこと! この宇宙メビウスが終われば、新たな宇宙セカイが生まれる。救われるべき魂は救われるだろう!』

世迷よまごとを!」


 私はに襲いかかる。しかし、強い。手にした二本の刀による防御を突破できる気がしない。


「貴様は許しておけない。貴様は生きていてはならない!」

『私こそがこの世界の覇者。真なる神プロパテール憑代よりしろ!』

「貴様が神だなんて冗談、笑えもしない」

『冗談? ははは、貴様も所詮は愚かなる魂!』


 攻めあぐねる。その間にも戦況はどんどん不利になる。レイもロジェもどこまで持つか。それにメーサーとセブンスも危ない。


 左手にも長剣を生じさせる。二本対二本。空中機動戦だ。牽制のグレネード、追撃の機関砲。しかし双方ともにの堅牢な防御に守られている。全く有効弾が出ない。


「こうしている間にも……!」

『スカーレット』

「ちっ」


 が翼を分離させた。数十のパーツが独立して機動し、私のに向けて飛来してくる。


 アスタルテ?


 なぜかわかってしまう、この赤い機兵の名前。


「イシュタル、迎撃!」

『了解』


 機体が答える。その声を私はよく知っていた。他ならぬアスタの声だ。こちらも機体の翼が分離し、幾つものパーツに分かれる。


「イシュ――」

『スカーレット、飛行砲台A・ビットに構わないで! そのまま奴を撃って!』

「セブンス!?」


 私の周囲でいくつもの爆発が起こる。飛行砲台A・ビットの過半が撃墜された。


「セブンス、防御が手薄になる!」

『いまキミが大佐をとせなければ、世界が終わる!』


 今セブンスを守るものは戦艦の防御障壁だけだ。機体を守る防御ユニットは今の迎撃で使い切っているはずだからだ。


『絶望に沈め、スカーレット!』


 が機体の倍以上もの長さのあるエネルギーランチャーを出現させる。私はアスタルテの飛行砲台A・ビットをそのランチャーに集中させた。発射直前の段階でランチャーは破壊され、反応兵器さながらの大爆発を引き起こした。しかし、は無傷だ。私にはわかる。


「どこへ消えた! イシュタル!」

『観測不……後ろです!』

「セブンス!」


 まんまと抜かれた。私は飛行砲台A・ビットを再び翼として格納してから即座に母艦に向かう。


「メーサー! 止めろ!」

『だめだ、メーサー。キミはまだ退場すべきじゃない』

『何を言ってる、セブンス!』


 メーサーのが一瞬動きを止める。ロジェの、レイのは間に合わない。


「セブンス! 前に出るな!」

、スカーレット』

「セブンス!」


 の翼が再度展開した。今度は巨大な飛行砲台A・ビットが二門。


「セブンス、けろ!」

『逃れられない運命なんだ、これは』


 時間が急激に遅くなる。私の決死の攻撃はしかし、に通じない。


「セブンス!」

『ヤツのシステムにアタシを侵入させる。手も足も出ない状況はこれで改善すると思うよ』

「バカ! お前がいなくなったら私はどうしたらいいっていうんだ!」

『アタシはキミに生きてほしい。そしてこれはそのための唯一の方法なんだ』


 セブンスと呼ばれる女性の声。ジルのものとは違ったけれど、セブンスという人物がこの世界メビウスけるジルなんだっていうことはすぐにわかった。


『アタシは必ずキミを助ける。この世界メビウスはどうあれ、きっと終わってしまう。けど、キミは必ずこの世界を救う。全ての魂を救う』

「魂だの世界だの! そんなものどうだっていいんだ、私はお前を――」

『……そんな哀しいこと、言わないでよ』


 セブンスの声。心臓に針が突き刺さったかのような痛みを覚える。


『アタシ、キミのこと愛してる。それだけは永遠に変わらない。変わらないから。たとえこの宇宙が散逸してしまったって、それは変わらない。絶対に』

「セブンス!」


 私は絶叫した。


 絶叫して――目が覚めた。


「スカーレット?」


 私の胸の中で眠っていたジルが見をよじる。


「すごく、うなされてたよ」

「……夢を見てたんだ。あの世界メビウスの」

「うん」


 ジルは体勢を変えて、私の頭を抱きしめた。


「セブンス、って。キミは泣きながら呼んでた」

「え」


 頬が濡れていた。視界も揺れている。目の辺りが熱かった。額のあたりに鈍痛があった。


「セブンスっていうのが、メビウスでのアタシ?」

「きっとそう」


 私はジルの胸に顔をうずめる。柔らかくて温かい。それは私をこの上なく落ち着かせる。


「いいなぁ、スカーレットは。サレイやラメルも。メビウスのこと、アタシもっと知りたいのに」

「それは……その」

「いいんだ。どんな悲劇でも。だって愛する人スカーレットと同じ世界を見たいと思うのは、当然でしょ?」


 ジルは静かにそう言った。翡翠ひすいの瞳が私を見つめている。私が守りたかったはずの、守りたかった唯一の存在――セブンス。しかしそれはあの世界メビウスではかなわなかった。


 いやそろどころか、肝心のその世界メビウスさえ守れなかった。それはつまり、私はに負けたということに他ならない。


 しかしセブンスは何と言った?


 スカーレットが……この世界を救う。全ての魂を救う。


 私にまだやれることがあるというのか。あの世界メビウスを救うことができるというのか。この宇宙を、そしてこの宇宙からこぼれ落ちてしまった魂たちに、何かできることがあるというのか。


「ジル」

「なぁに?」


 私はジルを強く抱きしめる。薄いシャツを通じて、その体温ぬくもりを感じる。


「私、君が欲しい」

「うん」


 ジルが微笑む。


「キミ、メビウスではきっと、それを言えなかったんだよね」

「……多分」


 あの世界の私は、どんな私だったのだろう。


 だけどきっと、今の私とそう変わらなかったんじゃないかなって気がしてる。


「今もちょっと意外だったよ、スカーレット」

「……ごめん」

「謝る必要ある?」


 ジルはちょっと怒ったような口調で問いかけてくる。私は押し黙る他にない。


「なぁんてね。キミの謝りグセだって、キミのせいじゃない。大丈夫だよ、スカーレット。だいじょうぶ」


 私たちは強く抱き合う。


「ジル」

「うん」


 頷くジルの額、頬、そして唇に、私はキスをする。


 その柔らかな感触に、温度に、クラクラした。離れ難いその感触に、心の底から満たされる感触に、私は取りかれたのかもしれない。何度も、何度も、キスを重ね、抱き合った。


「スカーレット、また泣いてる」

「うん」


 私は素直に認めた。


「誰かの前で泣いたことなんて、あの日から一度もなかった。ジルだけだ」


 十二年前の、あの日から。


 ジルは「そっか、そっか」って、私の頭を撫でてくれた。それがまた、たまらなく切ない。


「ジル、もう絶対に私の前から消えないで。どんな理由でも、どんな目的でも」

「わかった。わかったよ」


 ジルは強い口調で答えてくれた。


「私も、今度は絶対に君を守るから」

「愛してる――スカーレット」


 ジルはそう言って、また私を抱いた。


 私は再び眠りに落ちるまで、涙と嗚咽を止められなかった。

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