第17話:世界は君が思うほど、残酷じゃない
実際にはお風呂に入る時間なんてなかった。私たちは夜を徹して負傷者の救助に走り回った。行く先行く先で誹謗中傷と投石を受けたけど、その都度サレイたちが
「あーぁ」
その現場の負傷者たちを一通り救い出してから、ラメルが大きなため息をついた。私に聞こえるように、だ。
「ごめん」
言いたいことを察した私はすぐに謝った。ラメルは少し苦い微笑を見せて、私に近付いてくる。
「君が悪いわけじゃないし、ジルが悪いわけでもない」
「ラメル……それでいいの?」
「いいんだ」
ラメルは首を振った。私の視線の先にはジルがいて、ジルは私たちを見つめていた。この距離なら、周囲の喧騒もあるから、私たちの会話は聞こえていないだろう。
燃え盛っていたであろう炎が完全に消えていたことで助かった人も多い。今は通りに寝かせられた人々が順に手当を受けている。冬じゃなくてよかった。
「フェルタナ魔法工場が霊薬を無償供出してくれたって、さっき救助中にハイラードから聞いたよ」
「フェルタナ魔法工場?」
「メルタナーザ様が経営している霊薬製造所。経営的には相当な痛手になると思うけどね」
「そうなんだ」
色んな人が助け合っている。私のせいでこんなことになったのに。
「また眉間にシワ寄せて。君が悪いわけじゃないって、ジルも言ってただろう。また怒られるよ」
「ラメルは……私が憎くない?」
「ジルを取られたからって?」
「……うん」
「本当は憎いんだろうとは思うんだけど、なぜかそう思えないんだ」
ラメルの声からは確かに怒りのようなものは感じない。表情もいつも通り、いたって柔和だった。
「僕たちはきっとずっと知り合いだったんじゃないかな。さっきのブレイク大佐の件と言い、さ」
「メビウス……」
私の呟きに、ラメルは頷きで答える。
「僕には前世とかそういう世界の話を理解するのは難しい。だけど、メルタナーザ様の言葉は信じるし、僕自身の感覚も信じる。それに」
ラメルは薄ら明るくなってきた空を見上げた。もうまもなく夜が明けてしまう。
「僕らと大佐は間違いなく敵同士だった。僕の本能もそう感じている」
「私たちは昔から仲間……」
「その頃から僕たちは、ジルを巡って対立していた気がするよ」
ラメルは目を細める。私は「かもね」と言葉を濁す。
「それにさ、スカーレット。僕はこうなることを……実は知っていたんだ」
「キーズ?」
「うん。四年前かな。僕とジルは幼馴染ってこともあって自然に婚約する感じになったんだけど、その時にキーズが僕に言ったんだ。ジルの運命の人は兄さんじゃないよって」
四年前――私が旅を始めた頃。
「それからずっと引っかかっていたんだけど、君がこの街に来て少しして、ジルからまっすぐに気持ちを告げられた時に、なぜだかすごく納得した」
「私に?」
「仕方ない――そうとしか言えない。宇宙を超えた君たちの恋愛劇に、僕の介入する余地なんてなかったってことだよ」
少し悲しそうなラメルの声音に、私の胸が痛む。
「君はどうなの。ジルのことを愛しているの?」
ストレートにそう尋ねられ、私は硬直する。ラメルは何も言わず私の隣に並び、心配そうにしていたジルに手を振った。
「お話は終わった?」
「うん、おまたせ」
ラメルは頷いて、ジルに囁く。
「僕たちはただの幼馴染に戻ることになるね」
「ごめんね」
ジルがゆっくりと深く頭を下げた。ラメルは私を前に押し出した。
「正直ちょっと複雑さ。だけどジルが幸せになるならそれでいい」
「ラメル」
私はラメルを振り返る。が、ラメルは両手を振ってみせる。
「君のごめんは聞き飽きたよ。僕らはこれからも狩人仲間。それでいいだろ」
「あんた、いいヤツだね」
「それも聞き飽きたなぁ」
ラメルは苦笑した。
世界がパッと明るくなった。遠くの山からほんの僅かに顔をのぞかせた太陽が、広場を照らしていた。
それと同時に悲鳴が響いた。
「アスタ、起きてる?」
『精霊様は眠らないからね』
私たちはサレイと合流して動き始めた。そんな私たちを馬にまたがったハイラードと三人の騎士が追い抜いていく。私は背負った
私にやれることはゼタを倒すこと――人々の脅威を排除することだけだ。ゼタを倒すことが大佐の目的に近付くことになるというのは
「私が認められるためには、私が人々を守るしかない」
「スカーレット、思いつめないで」
すぐ後ろを駆けるジルが言う。私は頷く。
「できることをするだけ。無茶はしない」
「うん、それでいいよ」
私はジルの手を引いて、並んで走る。ラメルとサレイが先行する。
瓦礫の山を一つ超えた先が現場だった。二体のトカゲのようなゼタが、次々と負傷者や遺体を飲み込んでいた。まるで飲み物のように。ハイラードたち四人の騎士が
「敵の攻撃手段がわからない! 無茶だ!」
私の叫びは届かない。
騎士の一人が落馬する。数十メートルは離れた私の所に何かが転がってくる。ジルが声にならない悲鳴を上げる。
それは頭の下半分だった。頭蓋から
「スカーレット、これは風の魔法だよ」
ジルが震える声で言った。
「アスタ、魔法を弾き返せるか」
『ある程度なら』
「んじゃ、決まりだ」
私は
「サレイ、ラメル、魔法に警戒。ハイラードさん、下がって!」
見たところ、騎士たちの攻撃ではトカゲのゼタの鱗を貫けていない。騎士は更に一人が
二匹のトカゲがもう一人の騎士の馬に襲いかかる。
「ぐっ!?」
落馬した騎士の目の前で、馬は分断されて飲み込まれてしまう。
「やめ、やめ、やめろ!」
ハイラードの助けも間に合わない。
「アスタ!」
『よしきた』
刃が届く距離ではない。だが――。
アスタの力が乗った斬撃は、空気と地面を引き裂いた。それはそのままトカゲのゼタの顔の左側面に直撃する。トカゲはもんどり打ち、もう一匹のトカゲをも巻き込んだ。
その間にハイラードが騎士を救出してサレイたちの方へと向かっていく。
「助かった!」
「ハイラードさんは避難誘導を! 動けない人もいる!」
「わかった」
ハイラードの応答を背中で聞きながら、私は体勢を整えた二体のトカゲと
「アスタ!」
『このアスタ様の防御を抜けるとは思わないこと!』
アスタの展開した不可視の壁に、何かが命中する。これが風の魔法か。回避不能の攻撃だ。
私はそのまま走り出し、近い方の一体の頭部に刃を叩きつけた。案の定恐ろしく硬い。だが、これはそれでいい。
弾かれた衝撃をそのまま利用し、大きく宙を舞う。眼下ではもう一体のトカゲが口を開けている。その奥に火球が見えた。
「こいつは炎の魔法か!」
空中にある状態で、ちらりとジルを見る。――よし。
私は左手で焦げた短剣を引き抜いて、トカゲの口中に投げ入れた。
トカゲは器用に短剣を噛んで止めた。
その直後、ジルからドラゴンをも倒した電撃の魔法が飛んできた。ジルの魔法が一瞬でも遅かったら私も巻き込まれていたところだ。
バチンという音とともに、そのトカゲは頭部を半分消し飛ばされていた。だがまだ生きている。
私は
「……ッ」
まだ生きて
「くそがっ!」
もう一体。私は着地と同時に地面を蹴る。風の魔法が私を
『長くは持たないよ!』
「わかった」
ゼタとの持久戦が不利なのは、今に始まったことじゃない。
トカゲは風の魔法を乱射して私の接近を
知性があるとなると二度目の雷撃作戦はもしかすると通じないかもしれない。私は後ろに落ちている短剣に意識を向ける、諦める。
「ジル、援護! ラメル、サレイ、隙を作って!」
「了解だよ!」
トカゲの周囲に光る円が発生する。立ち上った光の柱から無数の電撃が発生してトカゲの動きを止めた。
魔法が止まった瞬間に、ラメルが突っ込んだ。トカゲの尾部を一撃し、そのまま離脱する。トカゲが尻尾に注意を向けたその瞬間、サレイが投げた盾がトカゲの後頭部に突き刺さった。トカゲの怒りの双眸がサレイを見たが、その時には私がトカゲの首の付根に走り込んでいる。
「はっ!」
一撃必殺を期して放った攻撃。鱗の数枚が弾け飛んだ。しかし――。
「剣が折れた!?」
『風の魔法を防御に転用したんだ!』
アスタの叫びと同時に、
「くそっ!」
敵の前で大きな
「スカーレット!」
「サレイ!」
ぶん、と鈍い音を立てて、サレイの重片手剣が飛んでくる。それは着地した私の左手に正確に収まった。ものすごい重量が私の肩と肘を派手に
「良い腕!」
「よく言われる」
サレイは倒された騎士から
私は更に回避行動を続け、落ちている焦げた短剣を拾い上げた。まだ少しビリビリしたが、大したことはない。
「アスタ、戻った?」
『ひどい目にあった。もう大丈夫』
「次は遅れを取らないように」
『えっらそうに。あんたの腕が悪いんじゃないのさ』
……悪態も復活したようだし、大丈夫だろう。
半ば立ち上がったトカゲが振るってきた鋭い鉤爪を短剣で
トカゲが動きを止めたその隙に、体勢を低くして右回りに回転する。再度トカゲの右腕に、今度は反対側から刃が直撃する。十分に勢いを付けられたその刃は、その腕を半ばまで引き裂いた。だが、腕などどうでもいい。
トカゲの口が私の頭に向かって落ちてくる。私はその顎の下に向けて短剣を真っ直ぐに突き上げた。
アスタ!
瞬間的にアスタを短剣に乗り移らせて威力を増強する。切っ先はトカゲの顎を貫いた。ダメージこそたいしたものではないが、無視できるものでもないはずだ。
短剣から手を離し、その短剣の柄を重片手剣で思い切り叩いた。
「!」
怒涛のように溢れてきた体液に触れた左腕が鋭く痛んだ。みればグズグズと泡立っている。
「スカーレット!」
「大丈夫!」
筆舌に尽くし難い激痛ではある。だが、それは戦いが終わってから考える。そもそも左腕ならこの戦いに支障はない。手にしているのはサレイの重片手剣だからだ。
「ヤツに再生能力はナシ、か」
ゼタは咆哮していたが、引き裂かれた顎が治っている様子はない。半ばちぎれた右腕もそのままだ。
「アスタ! とどめを刺しに行く」
『……
「……?」
何を言っているんだ?
とはいえ考えている時間はない。
『モジュール・エクスターミネイター、レディ・トゥ・エンゲージ』
アスタの声と共に、サレイの剣が赤く輝き始めた。こんな輝きは見たことがない。
トカゲに肉薄する。風の魔法が私を
「消えろ、ゼタ!」
一閃。
刃がゼタの首を飛ばした。
トカゲの胴体が体液を撒き散らしながら暴れる。一滴でも喰らえば大火傷だ。
あと一撃しなくては。
トカゲが私に背を向けて走り出す。このままでは逃げた人たちに突っ込みかねない。
「止まれ!」
私は半ば溶けてしまった短剣を拾うのと同時に投擲する。
「ジル!」
ばん、と音を立てて閃光が
半ば焼け焦げたトカゲは、それでも動きを止めようとしない。しかしスピードは落ちた。
「いい加減にぃ、落ちろ!」
飛びかかる。振り上げられた尻尾を分断する。硬い鱗があるはずだったが、全く抵抗を感じない。なんとかというアスタのなんとかがなんとかしているのだろう。
重片手剣の重量に引かれるように落下した私は、その背骨を分断するように腕を振った。激しく体液が吹き上がる。私は素早く飛び降りて逃げる。
「止まったか」
私は額に浮かんだ汗を拭きながら呟いた。
「いてて」
今になって左腕の激痛が脳天に響き始める。みれば皮膚がグズグズと泡立っていて、筋肉がところどころ露出していた。痛いわけだ。血も
「酷い怪我!」
ジルが悲鳴混じりに声を上げる。
「誰か、霊薬ない!?」
「後回しで良い」
私は強がった。が、ジルに頭を小突かれた。
「キミがいなかったら被害は凄いことになってた。だからキミの治療が最優先だよ」
「でも負傷者は大勢いる」
「キミは強いんだ。これからもアタシたちを守ってくれなきゃ困る」
「そうだよ、スカーレット」
ラメルが消えていくゼタを睨みながら言った。
「悪いけど、キミは休んでる場合じゃない。常に全快でいてくれないと困る」
「わかった」
ラメルの言わんとする所を察して、私は頷いた。
そこにさっき私が助けた騎士が現れた。騎士は包帯と小瓶をジルに手渡す。
「ジルお嬢様、霊薬です。分けてもらってきました」
「ありがとう!」
ジルは早速それで私の治療を開始する。霊薬が触れた瞬間に、傷の痛みは嘘のように引いていく。
「すごい!」
ほんの数秒しか経っていないのに、動かしてももう痛くはない。少し
「痒さはこれからどんどん強くなるけど、再生してる証拠だから」
「そうなんだ」
まぁ、そのくらいなら。
私は納得しつつ、その騎士を見た。騎士は安堵の表情を浮かべていた。
「ありがとう、騎士さん」
「こちらこそ」
騎士は私より少し年上くらいの、私が言うのもなんだが、一言で言えば若い男だった。
「さきほどはありがとうございました。あなたは私の命の恩人です、スカーレットさん」
「私は……するべきことをしただけだよ」
「結果として助けていただきました。それ以上も以下もありません」
騎士の名前はアルベリオと言った。つい半年前にグラニカ商会の騎士として雇われたのだとか。
「私からも礼を言わせてほしい、スカーレット」
ハイラードが拳大の鉱物を二つ持ってやってきた。それをサレイに渡すと、私に向かって頭を下げる。
「アルのみではなく、私も助けられました。あのトカゲ相手には、我々では手も足も出なかった」
「全員は助けられなかっ――」
「二人は助かった」
私の言葉に被せてハイラードが言った。
「確かに二人は残念でしたが、きみのおかげで無駄死ににはならなかった。それで十分」
「でも、でも! 家族だっていたんだよね!?」
私の言葉にハイラードは頷いた。
「きみは全ての人の死の責任を負うつもりなのですか」
「それは」
「きみが全人類を救えるとでも言うのなら、それは正しい
でも、でも、だって。私はその言葉を否定したくなる。しかし、ハイラードの理知的な目で見られて、私は言葉を発せない。私の重片手剣を握ったままの右手にジルが触れる。
「私たちは私たちにできる範囲でやれることをする。それで良いんだ」
ハイラードはそう言って私に片目を
「というわけだよ、スカーレット」
ジルが私を背中から抱きしめてきた。
「世界ってさ、キミが思うほど残酷じゃぁないんだよ」
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