第16話:撃剣、宇宙の記憶

 ふわりと世界が闇に落ちた。


 正確に言えば、ベルド市のあちこちで燃え盛っていた炎が一瞬で消え去った。そのため、私たちの目がついていけなくなったのだ。


「気がはやって仕方ないようだねぇ、

『!?』


 暗い戦場に突如現れたのはメルタナーザさんだった。大佐と私たちのちょうど中間地点に割り込むようにして姿を見せたメルタナーザさんは、悠々と腕を組んでいた。大佐は動けなくなっていた。それが魔法によるものかはわからない。


「師匠!」 


 ジルが呼びかけるとメルタナーザさんは少し表情を緩める。


「今のあんたたちがこの男をここまで追い詰められるとは思わなかった」

「師匠、街の人がたくさん……」

「ああ。たくさん死んだね」

「……師匠でも止められなかったの?」

「わたしとて、できないこともあるのさ」


 メルタナーザさんは自分の周囲に幾つもの青い火球を生じさせる。そのエネルギーが引き起こす熱風が広場を埋め尽くす。


『転生の魔女!? 貴様は足止めされていたはずでは……!』

「残念だったね。お前たちの見積もりよりも、わたしの力のほうが上で、ずっと無慈悲だったということさ」


 ゼタだ。こいつは大量のゼタをメルタナーザさんにぶつけたのだ。メルタナーザさんのまとう気配から、私はそうとさとる。


『役立たずどもめ』

「わたしの愛する人間たちをゼタと化し、このわたしを足止めしようだなんて。……相も変わらず姑息こそくな男だよ、あんたは」

「なんてこと……!」


 ジルがサレイを見た。サレイは厳しい表情を見せている。メルタナーザさんは私を振り返る。


「スカーレット」

「わかってる」


 波刃剣フランベルジュを構え直す。メルタナーザさんの浮かべていた青い火球が大佐に吸い込まれていく。


『小癪な』


 大佐の両手の刀がそれらを弾き、爆発とともに消滅させる。


 メルタナーザさんの姿が消えた。まるでそれまでずっと幻影だったかのように、忽然こつぜんと。


 その時すでに、私は駆け出していた。手数もパワーも大佐の方が上だ。だが、攻撃の精度と速さはこっちが上。狙いさえ誤らなければ勝機はある。大佐のまとっていた魔法障壁も消えている。


 爆発によって生じた煙幕を突き破って、私は大佐に斬りかかった。


 一撃、二撃と交錯する。お互いに距離を離そうとはしない。その場でのがむしゃらな打ち合いだ。


 十数発目の打ち込みの直後、私はわざと大きな隙を作った。疲労で波刃剣フランベルジュに振り回されたかのように、半歩だけよろめいてみせた。


 案の定、大佐はそれを見逃さない。両手の刀で電光石火の一撃を繰り出してくる。


 当たれば即死だ。


 だが、その刀は私には当たらない。


「今の私は殺せないはずだ、大佐」

『……!』

「お前は言った。記憶を取り戻さぬうちは、滅したところで意味がない――とね。残念ながら私の記憶は不完全だ。ドラゴンを倒してもなお、私の記憶は戻りきらなかった」


 大方あのドラゴンをけしかけさせたのもこの男だろう。しかし、ドラゴンにのは私ではなかった。大佐の計画はそこから頓挫とんざしていた。


「消えろ、大佐!」


 私の波刃剣フランベルジュが大佐の首を跳ね飛ばした。


 ぞわぞわと消滅していく暗黒の甲冑。両手の刀もまた、消えていく。


「やったのか」


 サレイは鋭い表情で周囲を見回す。


「ラメル、生存者は」

「わずかに。でもほとんどが重傷だ。このままでは誰も――」


 ラメルは遺体の山から生存者を引っ張り出し、広場の開けた場所に運んでいく。サレイもそれを手伝い、ジルは駆けつけたグラニカ商会や他の商会の兵士たちとともに手当を始める。


 私はと言えば、未だに波刃剣フランベルジュを抜いたまま立ち尽くしていた。


 終わっていない。


 そう感じたからだ。禍々まがまがしい気配はまだ消え去っていない。


 その時だ。


 突如、集まった人々が私に石を投げ始めた。


、お前がいるから!」


 彼らは総じてそう叫んでいた。子どもまで、私に石を投げ始めた。


「やめて!」


 ジルが前に出て手を広げるが、投石は続いた。


「ジル、下がって」

「いやだ」


 私はジルを抱きかかえて、群衆に背中を向ける。革の鎧を通じても、相当なダメージがあった。


 そしてそれ以上に心が痛かった。


「スカーレット、離して」

「だめだ」


 私への投石はやまなかったが、サレイが立ちはだかってくれた。その大きな盾で石を弾き返す。


「恨む相手を間違えてるんじゃねぇ!」

「だけどサレイの旦那。コイツがいなければこの街はこんなことには」


 そうだ。その通りだ。私さえいなければ何百人も死なずに済んだ。


 私がこの優しい街で安穏と過ごしていたから。


 ――悔しくて涙が出てきた。


「メルタナーザ様が認めたんだ。を受け容れたのはメルタナーザ様だ。君たちはあの方に石を投げつけられるのか!」


 ラメルが声を張った。人々の怒号が一気にボリュームダウンする。


「できるっていうなら石を投げれば良い。スカーレットもだけど、僕らにもだ。メルタナーザ様には投げれないというのなら、君たちの正義は偽りだ。君たちの怒りはあやまちだ」


 その弁護の声が、言葉が、私には鋭く刺さる。みんなが、正しいのだ。


「ちがうよ、スカーレット」


 私に抱かれた姿勢で、ジルが言った。


「石を投げる人に正しさなんてないんだ」

「でも、家族が殺されたのかもしれないじゃないか」

「だとしても! キミは悪くない!」


 ジルは頑迷にそう主張する。


「キミが殺したわけじゃない」

「私がいなければこんなことには……!」

「だとしても!」


 ジルは私の腕を振りほどいた。


「だとしても、キミのせいじゃない! そんなこと、みんなわかってるんだ。石を投げてる人たちでさえ! だけどキミだけがわかってない!」


 投石はすっかりんでいた。グラニカ商会の騎士たちも人々をおさえていた。負傷者の手当も始まっている。私はただ立ち尽くしている。


? それがなに? キミがそうであることが本当だとしても、誰もキミを呪ってなんていない。キミがであるように仕組んでるさっきのヤツみたいなのがいる。グラウ神殿がいる。本当に悪いのは誰? キミじゃないよね。いじめられっ子をかばうといじめられるから、いじめられっ子の自分なんかと仲良くしちゃいけないんだ――キミはそう言ってるんだ。むちゃくちゃだよ! 本当に無茶苦茶な理論!」

「でも、実際に――」

「人は死んだ! 大勢死んだよ! だけどそれはキミのせいじゃない。キミのせいだと思うやつがいるなら、そいつは大馬鹿野郎だ!」


 ジルの声が響き渡る。血なまぐさい風が吹き抜ける。


「アタシもね、小さい頃はすごくいじめられた。捨て子だったし、病気がちだったから。だからキミの考えてることはわかる、と思う。だから、それだけに今アタシ、とっても怒ってる。ものすごく!」

「ジル――」

「苦しいのはわかる。哀しいのもわかる。逃げられない相手に立ち向かわなきゃならない怖さもわかる。今まで一人でよくがんばってきたよね、スカーレット。だけど、今は違うよ。逃げ場はあるんだよ。甘えていい人がいるんだよ」

「私は……逃げるわけにはいかない」


 ましてや事ここに至っては。


「私が逃げたらもっとたくさん人が死ぬかもしれない。それにこうして亡くなってしまった人たちのためにも、私は……」

「アタシのために逃げて。アタシのために甘えて」


 ジルは私を真っ直ぐに見据えてそう言った。


「いざとなれば師匠だっている。この街はスカーレットにとって世界で一番安全なんだ。これでも、ね」

「でも! ジル、怖くないの!? あんな奴がこの街ごと私を消すつもりかもしれないんだよ!?」

「んなもん、倒しゃぁいいじゃねぇか」


 サレイが私の頭に手を置いた。ジルの肩に手を置いたラメルも頷いてくる。


「でも、あいつは」

「確かに恐ろしく強ぇ手合てあいだったが、勝てねぇ相手じゃねぇ。あいつがいじめっ子だっつーなら、その鼻面ぶん殴ってやりゃ良い。それだけだろ」


 サレイの軽い口調に飲まれて、私は思わず頷いてしまう。


「俺もあいつと剣を交えてわかった。あいつとは俺もで因縁浅からぬ関係にあった」

「僕も」

 

 ラメルがかぶせてくる。


「ブレイク大佐。僕もあの男と戦ったことがある。その結末はわからないけど、とにかく。ジルは?」

「……よくわかんないな」


 ジルは一拍間を置いてそう答えた。そしてまっすぐに私を見る。


「さっきのキミの質問。アタシは怖くないよ。キミと一緒なら、怖くない」


 私と一緒だから怖い目に遭うというのに?


「違う。キミが一人で怖い思いをしているかもしれないって想像するほうが、アタシにはずっと怖いんだ」


 ジルの目がうるんでいる。


 その目にやられて、私は抵抗をすっかり諦めた。諦めざるを得なかった。


「わかった。わかりました」


 私は両手を上げて首を振った。ジルは微笑むと私の頬に右手で軽く触れた。


「ここをどうにかしたら、お風呂に入って一緒に寝よ」

「……わかった」


 お風呂は嫌だ、とは言える空気じゃなかった。

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