第12話:この惑星は丸い?

 炭鉱の事務所にはサレイもいた。


「あれ、サレイ、今日は非番なんじゃ?」

「それがよぉ」


 重剣のチェックをしながら、サレイが不満げな声を出す。


「今日は休暇だっつのに、あの悪徳経営者がよ」

「誰が悪徳経営者だって?」


 奥の部屋からイヴァンさんがニコニコしながらやってきた。その手にはトレイに乗せられたグラスが三つ。今日はまだ事務員さんは来ていないらしい。


「あんただよ、イヴァン。戦士は休息も仕事だっつのに」

「そうだ、ラメルは?」


 私が問うと、サレイはまた少し不満げな声を出した。


「グラニカのおやっさんからの呼び出しだと。またなんかたくらんでなきゃ良いけど。ジルはなんか聞いてねぇの?」

「昨日はご存知の通りスカーレットとイチャイチャしてたからなぁ」

「お熱いことで」


 サレイはニヤニヤしながら私を見る。私は慌てて目を逸らす。


「そうだサレイ。今朝さ、いつもの食堂に行ったらゼタが湧いてた」


 私が言うとサレイは水を噴き出した。私とジルはギリギリのところでその飛沫しぶきを回避する。


「食堂にゼタだって? 屋内で湧いたってのか」

「うん。料理しようとしてた魚が突然ゼタ化したって、店主のおじちゃんが」

「ゼタ化した……?」


 サレイの顔が急に曇った。


 その豹変ひょうへんぶりに、私とジルが顔を見合わせる。


「ゼタ化……いや、それはいい。だがどれも屋外の話だったはずだ」

「そういえば、確かに……」


 ジルが顎に手をやって視線を床に投げる。


「屋内でゼタが湧くのは珍しい」

「それも十匹以上」


 私が補足するとサレイはますます険しい顔をした。


「同種のゼタが固まって湧くのは珍しくもない。だが、今回は全部がその場にあった魚から変化した、ということだな?」

「うん」


 私とジルの声が重なる。


「……変化、か」

「どうしたの、サレイ」

「何でもねぇ。さ、イヴァン、概要説明してくれ」

「はいよ」 


 イヴァンさんがテーブルの上に大きな紙を広げた。見てすぐに植物紙だとわかる。他の街では高級品もいいところなのだが、このベルド市やその隣接する街では比較的よく用いられている。例えば酒場の依頼掲示板なんかも、こういった植物紙が使われているほどだ。


「炭鉱はもうみんなの庭みたいなものだと思うけど、昨日掘り進めた所の奥に、少し大きな空間があったんだ。ここね」

「ふむ」


 三人三様の反応を示す。


「そこにゼタがいた」

「外界から隔てられた場所に?」

「そうなんだ。炭鉱は半ば屋内ではあるけど、なぜかゼタが湧く。メルタナーザ様がと言っていたようにね」

「唯一の例外?」


 それは初耳だ。そもそも炭鉱って屋内というくくりになるのか。


「あれ。例外ってメルタナーザさんが言ってたの?」

「ってぇことだ」

 

 サレイが頷く。とするとさっきの魚ゼタは例外中の例外っていう話なのだろうか。私が考え込んでいる間にも、イヴァンさんは説明を続けていく。


「炭鉱にゼタが湧くのは良いとして、こんな風に埋もれた形でゼタがいたっていうのが驚きなんだ」

「ゼタっていうのは間違いないの?」


 私が尋ねるとイヴァンさんは「ゼタを見慣れている鉱夫の証言だからね」と応じた。確かに鉱夫がゼタを誤認するとは考えにくい。彼らにとってゼタとの遭遇は日常茶飯事だからだ。


「で、私たち三人でそのゼタを倒せっていうことね?」

「そういうこと」


 イヴァンさんは頷くが、その表情は少し険しい。


「証言によればかなり大型の、その、ドラゴンのようなゼタらしい」

「ドラゴンだぁ?」


 サレイが素っ頓狂な声を上げる。私もジルと顔を見合わせる。


「ゼタはリアルにいる動物とかを模した姿で現れるもんじゃねぇのかよ。ドラゴンなんて、どこの物語だよ」


 ドラゴンのなんたるかはよくわからないが、空想上の動物であることは私でも知っている。男の子には特に人気のある動物だろう。


「とにかく、そいつが居座っていると仕事にならない。攻撃性も高いようで、鉱夫も三人が怪我をした。一人は重傷だ」


 たちの悪い相手だ。きっと相当な戦闘力を有しているだろう。


「ねぇ、イヴァンさん。それって三人でどうにかなる相手?」


 ジルが尋ねるとイヴァンは「どうにかしてくれよ」と両手を合わせた。サレイは難しい顔をしつつ顎に手をやった。


「とはいえ、この坑道とドラゴンの湧いた場所を考えると、人数が多すぎても動けねぇ。同士討ちを避けるためには三人が限界かもしれん」

「うへー」


 ジルが自分の髪の毛を掻き回す。


「イヴァンさん」

「なんだい、スカーレット」

「予備の剣とかあったら貸して。短剣じゃ多分ダメージを与えられない」

「構わないがあまり手入れはされてないよ」

びてなければいいよ」


 私が言うとイヴァンさんは倉庫の方へと姿を消した。


 水を飲み終わる頃になって、イヴァンさんは長剣を一本手にして戻ってきた。確かにあまり手入れされていないが、ギリギリ使えなくもない感じだ。アスタが乗り移ればどんな凡庸な剣でも一級品の切れ味に変わる。大丈夫だろう。


 私たちは水と干し肉を補充すると、その足ですぐに炭鉱へと向かった。


 ジルがいると松明を持たなくて良いのでとても楽だ。揺れる松明よりも空間の視認性が高いし、戦闘モードへの移行も松明を置く手間を考えなくて良いのでスムーズだ。


「あの地図によれば二時間は歩くな。途中も気ぃ抜くなよ」


 先頭を行くサレイの声が最後尾の私にまでよく届く。私は背後にも気を配りながら歩みを進める。


「魚がゼタ化したってのは本当なんだろうな」

「え、うん。その現場を見たわけじゃないけど、おじちゃんが嘘つくとも思えないし」

「そう、か……」


 サレイの声が険しい。


「これはジルも知らないことなんだが」


 サレイの声には躊躇ためらいがある。


「俺は人間のゼタ化を目撃したことがある」

「え……!?」


 私とジルの声が重なった。そのタイミングでサレイが盾を構え直した。直後、鈍い金属音が坑道に響く。


「ちっ、ゼタだ」

「蜘蛛型か」


 横道から飛び出してきたそれは、サレイの盾に弾き飛ばされてひっくり返っていた。しかしサレイがとどめを刺す前にくるりと起き上がって天井に移動する。大きさは人間の大人の男性くらい。ギリギリ中型と言っても良い。


「ジル、明るさを一段上げてくれ」

「ほい」


 パッと坑道内が明るくなる。私の索敵の範囲内には他にはゼタはいない。私はジルの背中を守る位置に陣取りつつ、サレイに声をかける。


「もしかしてこいつって、ゼタ化した蜘蛛かもしれないよね」

「わからん。他のゼタと同じように空気中にふわっと来たやつかもしれねぇし」


 サレイは強いから、この程度のゼタに苦戦はしない。


「どのみち倒すしかねぇわけだ」


 勝負自体はあっさりと決する。サレイの太刀筋は実に美しかった。無骨な重片手剣を扱っているとは思えないほどのスピードとキレがあった。盾による防御も鉄壁だ。ペラペラな私とは防御力では比較にならない。


 くして蜘蛛型のゼタは粉砕され、小さな銀塊を残して消えた。


「なんでゼタって金銀銅その他をのこすんだろうね?」

「さぁなぁ」


 サレイは首を振る。


「師匠が言ってたんだけど」


 ジルが指を鳴らした。すると光の魔法の輝きが一段落ちた。無駄に明るくしていると魔力がどんどん消耗していくから、らしい。


「金属っていうのは、この世界の中で長い時間をかけて作られたものらしいんだよね。ともすればこの世界の外、宇宙由来のものも少なくないんだって」

「宇宙ってなに? 確かメルタナーザさんもメビウスと呼ばれる宇宙から派生したのがこの世界だって」


 私は自分の無知を承知で訊いてみる。


「記憶力良いね、スカーレット。そう、その宇宙。この惑星の外の世界のことをぜーんぶ宇宙っていうんだ。メビウスっていう宇宙から、この世界っていう宇宙が生まれたんだ。ま、師匠の受け売りだけど」

「惑星って? この世界が惑星?」

「私たちが立っているこの地面も、その奥深くも、海も、山も、全部ひっくるめて惑星。空も一部は惑星に含めても良いのかなぁ?」

「空の……上の世界が宇宙?」

「うん、そうそう」


 ジルは軽く肯定する。


「夜の闇よりもっとくらい世界が広がっているんだってさ。その宇宙の中に月が浮かんでいたり、太陽があったり。で、太陽よりもずーっとずーっと遠くに星が散らばっているんだって」

「全然想像できないけど。太陽とか月って、その宇宙って場所に浮かんでいるの?」

「うん。もっといえば、この惑星も宇宙の中にぽっかり浮かんでいるよ」

「浮かんでいる……」


 私は周囲にも気を配りながら、その有様ありさまを想像してみようとする。ジルは少し得意げに胸を張った。


「月って満月の時丸いじゃん?」

「丸いね」

「三日月の時とか、新月のときもあるじゃん?」

「あるね」

「あれって、この惑星の影が月を隠しているからああなるんだ」

「……この惑星はまるいってこと?」

「すごい! 正解!」


 ジルは小さく拍手する真似をした。


「お皿みたいに?」

「ありゃ。ちょっと違うよ。この惑星のどこから見ても同じように月は満ち欠けするんだ。ということは?」

「……この惑星も丸い? ってこと?」


 私の頭上には無数の「?」が飛んだに違いない。丸かったら下の方にいる人はみな落ちてしまうし、上にいる人も下の方に滑って行ってしまいそうだ。


「落ちないの? 海はどうなってるの?」

「落ちないんですよねぇ、これがぁ」


 ジルは人差し指を立てて私を振り返る。


「師匠は重力とか引力とか遠心力って言葉を使っていたけど、まぁ、とにかく落ちないんだよ。丸いものに棒を突き刺してくるくる回してるみたいな、そんな世界っぽいよ、この惑星」

「信じられないけど、多分私の頭じゃ理解できない」

「アタシも理解できてないけど、さ」

「ねぇ、ジル」

「うん?」

「この世界が丸いんだとしたら、たとえばずーっと東に歩き続けたら、いつか同じ場所に西から現れるってこと?」

「そういうこと。ただね、この惑星はめちゃくちゃ大きいから、そう簡単に一周はできないんだってさ。海もあるし」


 へええ――。


 感心しながらも、私はある種の既視感を覚えている。というより、この知識はのかもしれない。ジルの話によって記憶のピースがかちりとはまった気がした。


「おい、お嬢ちゃんたち」


 サレイが足を止めた。気が付けばの目前だ。簡易昇降装置エレベータを降り、あと三回ばかり角を曲がれば、例のドラゴン型のゼタがいたという広間に辿り着く。


「やっこさんがどんなヤツかはわからんが、ゼタ化といい、屋内でのゼタ出現といい、なんか妙だ」

「そう思う」


 私だってゼタの専門家だ。胸騒ぎはする。私は借りてきた長剣を確認し、頷いた。


「何のためにこんな所に湧いたんだろ」

「お嬢ちゃんを待ってたんじゃねぇの?」

「まさか」


 とは言い切れないか。いくら何でもタイミングが良すぎる。私の肩にジルが手を置いた。


「倒してみれば、何かわかるかもしれないよ」

「そうだね。倒す以外の選択肢もないし、どのみち」


 私は二人に頷きかけ、簡易昇降装置エレベータに乗り込んだ。

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