第24話 私の相方は
「……筧はもう心を決めたんだね」
「うん。親に反対されようと、絶対説得してみせるよ。私の夢は私だけのものだからね。なんてったって人生は、たった一度しかないんだから」
筧の態度は頑なで、どう説得をしても変わらないように碧には思えた。
ここで素直に筧の夢を応援できれば、どれほどいいだろう。
なのに碧は「がんばって」とは、言えなかった。
スケアクロウが解散してしまう。卒業を待つよりも前に、そんな未来が訪れることは、碧には受け入れがたかった。
「ねぇ、碧。今すぐ決められないのは分かってる。でも、もう一度言うね。私と一緒に養成所に通って、スケアクロウを続けない? 私の相方は、もう碧しか考えられないんだ」
強度の高い言葉は、碧の胸を突き刺して、殺しにくるようだった。
碧だって、筧に打ち明けられてから、養成所に通うことをイメージしたこともあった。
でも、軽く想像してみても、厳しい授業にまだお笑いを初めて一年も経っていない自分がついていけるとは思えなかった。
勇気とは別の問題で、碧は頭を痛めてしまう。自分がプロのお笑い芸人になりたいとは、まだ思えなかった。
「ごめん、筧。今ここで決めるのは無理だよ。だって人生を左右するようなことでしょ。もう少し考える時間をちょうだい」
それは本音であり、自信のなさを隠す方便でもあった。少なくとも、結論を先延ばしにしている間は筧といられるという打算も、碧にはある。
言葉を濁らせた碧を、筧が咎めることはなかった。予想していたように、平然としている。
「分かった。碧が結論を出せるまで、私は待つよ。でも、これだけは言わせて。養成所に入るのに、自信の有無は関係ないから。自分は面白いって自信がある人が、必ずしも面白いわけじゃないし。必要なのは、一歩踏み出す勇気だけだよ。あの日、碧が新歓に来てくれたみたいにね」
筧の声や表情に濁りはなくて、腹を決めた人間のしたたかさを碧は感じた。きっとどれだけ親に反対されても、自分の人生だからと押し切るのだろう。
養成所に通うということは、大げさに言えば、人生をお笑いに懸ける覚悟をするということだ。一八かそこらで、それだけの覚悟は、碧にはできるはずもない。「う、うん」と漠然とした返事をする。
うっすらと、シチューの匂いが香ってくる部屋。
交流ライブは、一週間後に迫っていた。
交流ライブ当日は、一二月らしい寒い日となった。明け方の気温はマイナス五度を下回り、東京でも山間部は雪が降ったらしい。
類を見ないほどの寒さに体を縮めながら、中央線に乗る碧。新宿まで出て、山手線に乗り換える。
初めて降りた高田馬場駅は、学生街で有名なだけあって、どこか落ち着きがなかった。出口で瀬川たちと合流する。
一本後の電車でやってきた筧は、コートにマフラー、それに毛糸の帽子と完全な防寒装備だった。筧の寒がりな一面を、碧は改めて知る。
ズボンのポケットが小さく膨らんでいて、中には使い捨てカイロでも入っているのかと思った。
交流ライブの会場である高田馬場のライブハウス・PULSEへは、歩いて五分もかからなかった。
既に五十鈴大学DUALの面々が到着していて、三〇人ほどの大所帯に碧は面食らってしまう。それも今日出演する部員や、音声や照明などのサポートをする部員だけが先に来ていて、ライブが始まるときには、また他の部員も来るらしい。
藍佐大学と五十鈴大学では、学生数がゼロが一つつくほど違う。
大学お笑いきっての大手サークルという看板に嘘偽りはなく、碧はどことなく心細さを感じた。
西方大学MOSESの面々も到着して、三サークルが合流すると、DUALの主務を先頭に碧たちは中に向かった。
初めて訪れるPULSEは、赤と黒のチェック柄の床が特徴的で、三百人ほどのキャパシティいっぱいに人が入っているところを想像すると、碧には身震いがする。
とはいえ、今日は音楽ライブではなくお笑いライブだから、立って見てもらうわけにもいかない。
DUALの顧問やOBが車で運んできたパイプ椅子を、碧たちはバケツリレーの要領で運び、並べていく。
最終的には三分の一にまで減ったキャパシティは、それでも碧を圧倒させるには十分だった。
同時に、DUALの照明や音声を担当するメンバーが、瞬く間に準備を完了させていき、早い段階で出演者はリハーサルに入った。リハーサルは出番の早い組から進んでいき、立ち位置や音声などを調整していく。
碧たちの出番は後半だったが、三〇分もしないうちにリハーサルの順番はやってきた。
本番同様、上手側から舞台に出ていく。ライブハウスのステージに上がるのは碧には初めてだから、新鮮な感覚を覚えるとともに、舞台の想像以上の広さに、少し心もとなくも思ってしまう。
客席にはリハーサルを終えた者や、これからリハーサルを控える者、DUALのスタッフがぽつりぽつりと座っている。一人一人の顔がはっきり見えるのは、今まで立ってきたどの舞台でも変わらない。
ネタのさわりの部分を確認して、あっという間にリハーサルは終わる。
マイクから発せられる声が壁に当たって跳ね返る様子が、碧には目に見えるようだった。やはりライブハウスは違うと、ありきたりなことを思ったりもした。
「ねぇ、上野たちが今日やるネタって新ネタ?」
テーブルに着いて、食券を店員に預けるやいなや、食い入るように平川が聞いてきた。
正午近くの牛丼屋は、次々に入れ替わる客と陽気な店内放送が、どこか慌ただしい。
「うん、そうだよ。どうせ出るなら、今までにないネタで出たいよねって、筧が言ったの」
「そう。既存のネタで手堅くいくよりも、ここは冒険した方がいいかなって。せっかくDUALのおかげで、多くのお客さんが来てくれるんだし」
「そうなんですか。ちなみに私たちも新ネタなんですよ。学祭が終わってからすぐ書きました」
「平川、今回のネタは今まで一番よくできたって言ってたもんね。実際、オーディションでのウケも上々だったし。私もやってて手ごたえがあるよ」
新倉の声はハリがある、今日披露するネタに対する絶対的な自信を碧は感じ取った。平川の目にも不安は一切なくて、自分も早くこうなりたいなと思う。
実際、リハーサルでやった最初の部分だけでも、碧は緊張しているのになお笑ってしまったし、平川たちなら実力を出し切れば、問題なく観客を笑わせられるだろう。
平川たちエメラルドシティと碧たちスケアクロウの出番は、第一部と第二部で分けられている。
だから、客席の後ろで立ち見という形になるが、碧や筧も平川たちのネタを見ることができる。それが幸運なことなのか、不幸なことなのかは、碧にはまだ分からなかった。
「ところでさ、来年のKACHIDOKIのエントリー、もう始まってんじゃん。ALOはエントリーしたの?」
「うん、開始当日にしたよ。まあウチは見ての通り五人しか部員がいないから、全員参加するんだけど。DUALはどうなの?」
「ウチは今年は、六チーム参加する予定。どんなチームになるかはまだ決まってないんだけど、私と平川はもう出ることが決まってるよ」
平然と言ってのける新倉に、碧は自分たちとの違いを感じた。
KACHIDOKIは漫才・コント・ピンの三種目からなるチーム戦で、おおよそ四人から六人ほどのチームを作って出場する。
ただし、一大学につき一チームという規定はなくて、どの大学も複数のチームを組んで参加するのが一般的だ。
そうはできないALOは、とても小さなサークルなのだと碧は再認識する。たった一チームだけで、全国から集まる一〇〇組以上と戦えるのか、少し不安にもなってしまう。
「えっ、でも確かDUALは、演者だけでも一〇〇人はいましたよね。KACHIDOKIに出るってことは、新倉さんたちはオーディションで選ばれたってことですか?」
「そうだよ。先月、今日の交流ライブに向けてのオーディションがあったんだけど、それKACHIDOKIの学内予選も兼ねてたから。ほら、KACHIDOKIって大学お笑いでは一番大きい大会だし、大学生会みたいに全員が出れるわけじゃないでしょ。だから、みんな目真っ赤にして必死でさ。選ばれんの本当、大変だったんだから」
「そのオーディションって、学生が学生を選ぶの?」
「うん。上級生が圧力をかけられないように、完全無記名制でね。多くの目があった方が、それだけ結果に説得力も出るから」
さも当たり前のように言う平川に、碧は軽く目眩がした。
完全実力主義の厳しい世界で、平川たちはネタを磨いているのだ。人数が少ないから、所属しているだけですべての舞台に出られる自分たちとはわけが違う。切磋琢磨し合って舞台に立っているから、出る芸人が一人残らず面白いのも当然だ。
もし自分たちがDUALにいたら、一つでもオーディションを勝ち抜けているだろうか。意味のない仮定は、碧から自信を少しずつ奪っていく。
(続く)
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