第25話 宣戦布告



「まあそれはそれとしてさ、今日はお互い楽しもうよ。なんてったって一年に一回しかないわけだし」


 新倉の表情には、強者の余裕が滲み出ているように碧には感じられた。


 舞台に立っている間、楽しいと感じたことは碧にはまだ一度もない。いつもネタを披露するだけでいっぱいいっぱいだ。


 隣では、平川も入ってきたときからの相好を崩していない。雰囲気からは切羽詰まった様子は見られなくて、碧の心を余計に焦れさせる。


「……楽しもうよって何?」


 筧が口を開いたのは、なかなか来ない牛丼に痺れを切らしたからではなさそうだった。和やかなテーブルの雰囲気に水を差すかのように、目は鋭い光を帯びている。


「私は、今日はKACHIDOKIの前哨戦だと思って来てるんだけど」


「前哨戦?」


「そう。去年KACHIDOKIを優勝したのはDUALでしょ。だから、単純に考えればDUALに勝てなければ、KACHIDOKIで優勝することはできないってことじゃん」


「筧さん、ちょっと話が大きくないですか?」


「いいや、そんなことない。私たちALOは、今年のKACHIDOKIの優勝を目指してるから。今日だってMOSESはもちろん、DUALの誰よりも大きな笑いを取ってみせる。それくらいできなきゃ、KACHIDOKI優勝なんてただの夢物語だから」


 筧は碧が心配になるほど、平川たちに向かってぶち上げていた。宣戦布告みたいにも聞こえて、碧は態度に出しておろおろしてしまう。今日一番の大きな笑いなんて、考えただけで胃が痛くなってきそうだ。


 でも、平川も新倉も飄々とした表情をしている。まるで少しも意に介していないかのように。


「別に今日は勝ち負けじゃないと思うけどな。順位だってつかないわけだし。三大学仲よく交流を深めましょうってだけで。そんな喧嘩腰になる必要なんてないと思うけど」


「いいや、私はそれくらいの気持ちでやんなきゃダメだと思う。今年のKACHIDOKIで優勝するためには、何としてもここで結果を残しておかないと」


「筧さん、なんでそんな今年にこだわるんですか? 確か筧さんはまだ二回生ですよね? 今年だけじゃなく、来年と再来年もKACHIDOKIには出れるじゃないですか。交流ライブも今年だけじゃないんですし、そんな肩ひじ張らないでくださいよ」


「ううん、私にはそんな悠長なこと言ってられない。何としても今年優勝する。それぐらいの強い決意で臨まなきゃ。来年とか再来年とか、そんなこと考えてられないよ」


 語気を強める筧は、誰の意見も寄せつけない強固な鎧を纏っているようだった。この期に及んでも、KACHIDOKIで優勝することしか見えていない。


 あまりの強情さに、平川や新倉も黙ったタイミングで、牛丼は運ばれてきた。


 口にした勢いのまま、一番に牛丼に箸をつける筧。碧たちも流されるように続く。


 牛丼を食べている間も会話はあったが、食べる前の温和な空気は最後まで戻らなかった。


 少しいづらい感じもしながら、碧は牛丼を食べ進める。久しぶりに食べた牛丼は、思っていたよりもしょっぱかった。





 フロアにいくつもの笑い声がこだまする。天井に吊り下げられた照明が、ステージを鮮明に照らし出す。


 DUAL所属の男女コンビが繰り広げるすれ違いコントは、手堅い設定の中に構成の妙が光って、観客をまんべんなく笑わせていた。


 ステージと舞台袖は暗幕で仕切られ、碧たちには二人の姿は見えない。でも、声だけでステージに立つ二人が躍動しているのが分かって、碧は感心とそれ以上の緊張を感じていた。


 この組も、この前の組も、さらに前の前の組も、DUALから登場した学生芸人は、ことごとくウケていた。スベることとはまるで無縁なようで、碧はこれが何十組という中から選ばれた実力かと思い知る。


 DUALの学生芸人が作り出した前のめりな空気は、他のサークルの学生芸人にも引き継がれて、どの芸人も一定の笑いを取っていた。


 第一部に登場した西巻も、藍佐祭のとき以上にウケていて、碧は羨望の念を抱く。誰もがDUALの恩恵にあずかっていて、碧のステージに立つ恐ろしさも、ほんの少し軽減されていた。


 隣にいる筧が、どう思っているのかは知らないが。


「いや、カイソウってそっちのカイソウかよ!」


 きっと今のがオチの一言だったのだろう。ステージが暗転したのを碧は感じ、まもなくして観客の拍手が聞こえてきた。清々しい拍手は、はっきりと「笑わせてくれてありがとう」と言っていた。


 こちらもDUAL所属のスタッフが暗幕を開け、満足げな表情をした二人が戻ってくる。碧は声をかけられなかったけれど、軽い足取りから二人がうまくいったと確信しているのが伝わってきた。


 素直に羨ましいと思う反面、碧は少し不安も感じてしまう。


 二人は、今まで自分たちが味わったことがないほどウケていた。筧が目指す、今日一番の笑いを取るためには、自分たちのベストを大幅に更新しなければならない。


 その光景をイメージすることは、碧にはできなかったけれど、ステージに置かれたセンターマイクに、泣き言は言ってはいられない。ステージに立ってみないと、何も分かりはしないのだ。


 筧の横顔をちらりと見る。焦っている様子はなくて、気合いが溢れんばかりに漲っていた。


 BGMがゆったりとしたものから、全組共通のエッジの効いたものに変わる。一気に照明に照らされたステージは、何もないところから一瞬で登場してきたみたいだ。


 碧は一つうなずくと、BGMに負けない声で「どーも!」と言いながらステージに踏み出した。


 一目見ただけで入ってきたフロアの光景に、息が詰まりそうな感覚がする。フロアは全席が埋まっていて、さらに後方の立ち見客も五〇人近くいる。


 この中に自分たちを見に来た人間は、おそらく一人いればいい方だろう。碧は失うものなんてないという気になる


「どーも! スケアクロウです! よろしくお願いします!」


 勢いよく言って頭を下げた筧に、碧も続いた。百人を超す観客たちの目が全員、二人に向いている。それは碧たちにとっては初めての経験だった。


 自分たちに期待しているようで、碧は大きなプレッシャーを感じる。


 隣では背筋を伸ばした筧が、はきはきと口を開いた。


「いきなりなんですけど、私最近引っ越しをしたいなと思ってまして」


「いいじゃないですか。環境を変えると、気分も大きく変わりますしね」


「いざ引っ越すとなったら、まずは新しい部屋を探さないといけないじゃないですか」


「確かにそうですね」


 一瞬センターマイクの前から離れる二人。ネタが漫才内コントに突入した合図だ。


 観客が今か今かと笑いを待っているのが、ひしひしと伝わってくる。焦るな、落ち着けと碧は自分に言い聞かせた。


「いらっしゃいませー! 本日はどのようなお部屋をお探しですか!?」


「新宿駅周辺で部屋を探してるんですが」


「なるほど。では、詳しい条件をお聞かせくださいますか?」


「家賃は一〇万円以内で、新宿駅からは徒歩二〇分以内。できれば、お風呂とトイレが別の部屋がいいですね」


「でしたら、こちらのお部屋なんていかがですか?」


「これはどんな部屋なんですか?」


「はい、相撲部屋になります」


「いや、いきなり相撲部屋はないでしょ! ていうかどのタイミングでも、相撲部屋は違うでしょ!」


 最初のボケ。漫才の出来を左右する勘所。フロアには小さかったけれど、確かに笑いが生まれていた。数人の観客の頬が緩んだのが、碧にははっきりと見える。


 それは今まで登場した学生芸人たちが総出で、笑いやすい空気を作っていたからだが、ひとまずスベらなかったことに、碧はネタを続けながらも一つ安堵した。


 数個あるうちのたった一つがウケただけだから、完全に満足はできないけれど、小さな自信を持って次のボケにつなげられる。


「でしたら、こちらのお部屋なんていかがでしょう。1LDKLで南向きと、日当たりも良好ですが」


「L一個多くないですか? 何の略なんですか?」


「はい、リビング、ダイニング、キッチン、ロッテリアです」


「いや、ロッテリアって! ハンバーガーショップが部屋の中にあるんですか!」


 漫才は観客から漏れる笑顔も手伝って、流れるように進んでいく。


 確実にウケていて、碧は手ごたえを得たけれど、同時に物足りなさも感じた。


 第一部に登場した平川たちエメラルドシティはもっと、フロアが揺れていると錯覚するほどウケていた。平川たちが取った笑いの量を一〇とするならば、今の自分たちは三か四くらいだろう。筧が目指す今日一番の笑いには、とてもじゃないが及ばない。


 ネタをしながら、隣に立つ筧はどう思っているのだろうと、碧は感じる。


 ウケたことを嬉しく思っているのか、それともまだまだ笑いの量が足りないと、忸怩たる思いを抱いているのか。


 十分に出ている声からは、筧の心情を推し量ることは難しい。ただ過剰に笑いを求めていないことを、碧は願うばかりだった。


「どうですか? ご紹介した中で気に入ったお部屋はありましたか?」


「いや、一つもないですよ。また選び直しですよ」


「でも、これで分かったんじゃないんですか」


「何がですか?」


「部屋探しも力士も、すもうとするのが大切なんだって」


「いや、やかましいよ。もういいよ」


 『どうもありがとうございました』。二人が頭を下げると、客席からは労うような拍手が飛んだ。


 評価されるのは碧にも嬉しいのだが、拍手の大きさは明らかに平川たちや、他のDUALのメンバーよりも小さい。取った笑いの量に正比例しているようだ。


 中途半端にも思える拍手は、あまり浸っていたいものではなくて、碧たちは早々にステージを後にした。


 舞台袖に戻って客席からは見えなくなったところで、碧は筧の表情を覗き見る。横顔は全くウケなかったデビューライブのときよりも、険しかった。


 笑いの大きさで平川たちや他のDUALのメンバーに負けたと自覚してしまっているのだろう。


 「大丈夫」とか「よかったって」と、碧は筧を励ましたくもなったが、まだまだ笑いに飢えているであろう筧の心情を思うと、何も言えなかった。


 ただ、二人で舞台袖を後にする。


 会場には微妙な面持ちの二人をよそに、陽気な洋楽が流れていた。



(続く)

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