第20話 訪問販売



「いきなりなんですけど、私今ちょっと悩んでいることがありまして」


「ほう、なんでしょうか」


「訪問販売にきた人に、どういった対応を取ればいいのか、分からないんですよ」


「確かに、きっぱりと断ることも気が引けますしね」


「だから、少しその対応を練習したいなと思いまして」


「なるほど、練習」


 漫才内コントの役割はボケの碧が顧客で、ツッコミの筧がセールスマンだ。口と動きでインターホンを鳴らした筧に、碧もドアを開ける仕草で応じる。


 自分たちに集中する視線にも、碧が縮こまることはなかった。


「こんにちは。今少しお時間よろしいですか?」


「はい、契約させてください」


「いや、早い早い。まだ何も言われてないでしょ」


 身を乗り出す碧に、筧がすかさずツッコミを入れる。前菜みたいな軽めのボケだから、会場を温める役割を果たしてくれればいい。


 碧たちはそう想定していたのだが、予想に反して、最前列の中央に座る女子学生が笑ってくれた。笑い上戸なのだろうか、早くも頬が緩んでいる。


 他の観客の反応も、総じて悪くない。スタートダッシュには、成功したと言っていいだろう。


 それは碧がスケアクロウを結成してから、初めて味わう感覚だった。最初のボケがウケると、ここまで気持ちよく感じられるのか。身体の奥底から、力が湧いてくるみたいだ。


 筧の声にも、どこか張りが増したような気がする。ここまで続けてきてよかったと、漫才が始まって間もないのに、碧は感慨深くなっていた。


「でしたら、当社のコメット光なら今よりもお得な値段でインターネットが利用できますよ」


「お得ってどれくらいですか? 一〇円くらいですか?」


「いや、安すぎるでしょ。うまい棒一本買ったら終わっちゃうよ」


 碧たちがボケを繰り出すたびに、女子学生は一つも逃すまいと笑ってくれる。それこそ笑いのツボが浅すぎて、心配になるほどのレベルで。あまりに反応がいいから、瀬川や戸田が仕込んだサクラなのかとさえ、碧は思ってしまう。


 だけれど、女子学生の表情にはわざとらしいところは一つもなく、笑いは伝播していく。気づけば自然な笑いが多くの観客からこぼれていて、教室には碧たちの漫才を楽しもうという空気ができあがっていた。


 今までにないほどの、まさしくホームの雰囲気は、碧たちを強く勇気づける。大好きなバンドの曲を聴いているとっきみたいに、心と身体が乗ってくる。声には力が漲るし、表情も適度に引き締まっていく。


 何十回と重ねた稽古でもなかったほど、二人の漫才は流れに乗っていた。ミスの心配もせず、のびのびとボケられている。


 漫才が終わりに向かうのが、碧には口惜しく感じられた。


「今回練習してみて分かったんですけど、これからはインターホンが鳴っても、出ないようにします」


「いや、せめて出るくらいはしようよ。もういいよ」


 『どうもありがとうございました』。漫才は盛り上がりを保ったまま、幕引きを迎える。頭を下げた二人に贈られたのは、丁寧で心のこもった拍手だった。初めて自分たちが面白いと認められたようで、碧は観客一人一人の顔を目に焼きつけたくなる。


 だけれど、すぐ次に瀬川と戸田が控えているから、いつまでも舞台に留まってはいられない。


 碧たちは後ろ髪を引かれるような思いで、舞台から降りた。二人の姿が見えなくなるまで観客は拍手をしていて、まだ午後の部もあるのに、碧は既に満足感を抱いていた。


 筧はすぐに撮影係の仕事があるため、碧のもとから離れていってしまう。舞台と舞台裏を西巻が行き来する。忙しない教室は、碧を感傷に浸らせない。


 だけれど、瀬川と戸田は優しい目を向けてくれていて、碧は藍佐祭最初の出番が成功したことを改めて認識した。


 瀬川からタブレットを渡される。西巻が舞台裏に戻ってきて、準備ができたことをジェスチャーで知らせる。


 碧はタブレットを操作して、フリービーハニーの登場時のBGMを再生した。勢いのある楽曲に背中を押されるように、舞台に出ていく瀬川たち。


 二人のネタが始まって、碧はようやく一息ついた。リラックスした教室。舞台で得た手ごたえに、あとの七ステージも乗り切れそうな気が碧にはしていた。





 閉じられた緞帳の脇で、三人の男子学生が喋っている。笑いを取ろうと躍起になっているが、こういう場にしゃしゃり出てくる人間はおおよそつまらないという碧のイメージ通り、彼らは目も当てられないほどスベっていた。


 一号館の講堂は二階席も合わせて、三〇〇人ほどが収容できる。今、一階席はほとんど満席だ。これだけの人数を前に話を続けられる度胸は大したものだけれど、知らない学生のエピソードトークに碧は、微塵も興味が持てなかった。


 早く緞帳が開いてくれと思う。まだ三人が登場して一分も経っていないというのに。


「どうやら準備が完了したみたいです! それでは登場していただきましょう! ガゼルシティさんです! どうぞー!」


 ひどく長く感じられた虚無の時間を経て、男子学生たちが高らかに告げると、ようやく緞帳は動き出した。


 だだっ広い舞台の上には、机を挟むようにして、二脚のパイプ椅子が置かれている。机の上にはライトスタンド。スーツを着た中石と、ラフな格好をした焼津が向かい合って座っていて、碧は一目でネタの題材に感づいた。


「いい加減、白状したらどうなんだ。昨夜の事件、お前がやったんだろ」


「だから、関係ないって言ってるじゃないですか。僕は何も知らないただの一般市民ですよ」


 ガゼルシティのネタは碧の、そして大勢の予想通り、取り調べを題材にしていた。


 事件の概要を説明する中石に、否認する焼津。二人の演技には飾り立てたところがなく、適度な緊張感を持って進むネタに、観客は引きつけられていく。


 このネタは、以前見に行った単独ライブでは披露されなかった。隣に座る筧が、引きこまれるように舞台を眺めていて、まだあまり披露されていないネタだと碧は察する。


 真剣な空気が漂う講堂。


 でも、焼津がリンボーダンスの練習をしていたというアリバイを主張したことで、一気にネタのムードは切り替わった。客席のあちらこちらから笑いが起こる。


 筧や戸田が笑顔を見せる中で、碧もまた自然と表情を緩めていた。「緊張と緩和」のお手本を見せられたように感じる。


 狙いどころで笑いを得たことで、ガゼルシティの二人も気分をよくしたのだろう。そこからは畳みかけるように、ボケとツッコミが展開された。


 ああでもないこうでもない。二人のやり取りは勢いを持って繰り広げられ、実際に音楽が流れて焼津がリンボーダンスを披露し始めたときには、講堂は隅々まで笑いで満たされていた。


 筧が大口を開けて笑っている。単独ライブには来られなかった筧だ。ガゼルシティの出演が発表されてからというもの、今日という日を心待ちにしていた姿を碧は知っているから、素直に喜ばしく思える。


 藍佐祭までの間、筧は思いつめたような表情こそしなかったものの、ふとした仕草から、まだ大学をやめて養成所に行くかどうか結論が出ていないことが分かって、碧はそのたびにやきもきしていた。


 だけれど、今の筧は何の憂いもなく、思いっきり笑っている。魔法にかけられているみたいだ。


 碧の目は舞台に向きながらも、間接視野でははっきりと筧の姿を捉えていた。同じところで笑い声をあげる。一体感と呼ぶには少し恥ずかしいけれど、確かな結びつきを、碧は筧との間に感じていた。


 舞台上ではガゼルシティが何を話していても、半ば強引にリンボーダンスに繋げて、繰り返し陽気な音楽が流れている。


 リンボーダンスをしようとする焼津と、それを制止する中石の天丼は繰り返されるたびに、うねるような大きな笑いを客席に生んでいた。もはや笑っていない人は一人もいないのではないかと思えるほどだ。横一列に並んで座るALOの部員たちも一人残らず、笑いに身を委ねている。講堂の中がまるで一つの大きな生き物になったみたいだ。


 碧も絶え間なく笑いながら、横に筧や戸田、瀬川に西巻がいる心地よさを感じていた。時間が許す限りは、ずっとこうしていたいと思える。


 この後の出番も筧との未来も、今この瞬間だけは、すべてが笑いの前に二の次になっていた。



(続く)

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