第2話 幽霊の一行日記
夏祭りが終わったら、氷雨は1週間くらい勉強期間に入ると言っていた。その間は家に籠りきりらしい。
ちなみに夏祭り前も2週間くらい家から出なかったという。一人暮らしだから退屈だろうと思うのだが。僕がデートに誘っても、勉強に忙しいからと断られてしまう。
たしかに文学部の僕と違って、氷雨は法学部だ。司法試験に向けて、勉強しなければならないことは人一倍多いのだろう。
夏祭りが終わってから、直接会わせてはもらえないので時々LINEを送った。だいたい1時間くらいしたら既読がついて、ちゃんと返信してくれる。
でも、夏祭りから5日後。急に彼女からの連絡が途絶えた。日をまたいでも既読すらつかなかった。
1日くらいは勉強に集中したいんだろうと思って気に留めなかった。しかし、そのさらに次の日も一切既読がつかなかった。
さすがに不審に思い、僕は電話をかけた。――全く繋がらなかった。
何かあったのかもしれない。その翌日、僕は氷雨の家に行ってみることにした。
僕は彼女の家にあげてもらったことは一度もなかった。プライベートを守りたいのだそうだ。恋人くらいは許してほしいと思っているのだが、彼女の気持ちは尊重しなければならない。彼女自身が嫌なら別に無理強いするつもりはなかった。
でも、今回ばかりはしかたがない。何ともないならそれでいい。1万分の1の“何か”があったときのために、僕は氷雨の家へと足を運んだ。
家は恐ろしく静かだった。なぜだか背筋に冷たいものが走った。
周囲は高い塀に囲まれているため、簡単に覗くことはできない。門扉の隙間から様子をうかがうことにした。
――はたから見たらただの不審者だな、とは思いつつ。
門の奥にはこぢんまりとした庭があって、いくつかの花が咲いていた。心なしか元気がないように見えた。まるで3日ほど水をやっていないかのような――。
僕は嫌な予感を振り払うように首を振った。
そのとき、ガラス窓の向こうのカーテンが風ではらんだ。
その一瞬の隙に、僕はたしかに見た。そこには人が倒れていた。布団で寝ているんじゃない。ダイニングにうつ伏せに倒れていた。
僕はなりふり構わず門を開け、中に入った。庭を駆け抜ける。その窓に鍵はかかっていなかった。
僕は心の中で何度も謝りつつ、足を踏み入れた。氷雨が無事でありますように……。もうそれだけでいい。
が、願いは叶わなかった。カーテンをめくると、氷雨が目を見開いたまま倒れていた。そばには茶色い吐瀉物が広がっていた。
駆け寄って脈を測った。――やっぱりダメか。
僕は自分を責めた。もうちょっと早く異変に気づいていたら、氷雨を助けられたんじゃないか?
でも、過ぎた時間はもうそんなチャンスを与えてはくれない。じゃあ僕にできることはひとつだ。
こんなことをした下劣な犯人を晒しあげること。できることなら殺してやりたい。その辺は犯人を見つけてから考えればいい。
彼女に持病があったとは聞いたことがない。殺害された可能性のほうが濃厚だと考えた。
僕は警察に通報する前に、手がかりを軽く探しておくことにした。
吐瀉物はあまり見ないようにしつつ、氷雨の遺体を軽く観察する。目立った外傷や索状痕などは見つからなかった。毒殺が濃厚か。
次に、食卓を観察する。500mLペットボトルの麦茶とかコップとか箸とかがあるだけの何の変哲もないテーブルだった。
少し奥に、彼女の勉強机があった。法律関係の書物が並べられている中に、一冊のノートが紛れていた。
縦の罫線が単調に並ぶB5サイズの一行日記だった。何かヒントがあるかもしれない。
ペラペラとめくってみると、一番最後の日記は、今日から3日前の8月20日に記されていた。
「今日昼ごはんに食べたカレーがとても辛かった。翌日もずっと辛いのが続いている。」
筆跡は明らかに氷雨のものだった。別にヒントになるものはないか……と思ったのもつかの間、僕は強烈な違和感を覚えた。もう一度見て、確信した。
日記に翌日の内容を書く人間がどこにいる?
これは大きな手がかりになりそうだ。少し遡ってみることにした。
しかし、有益な情報はなさそうだった。司法試験の過去問で合格点に達したとか、そんな内容ばかりだった。
もしかしたらカレーに何か隠されているのかもしれない。
僕はキッチンを見に行った。やはりというべきか、カレーを食べたあとの皿が置かれていた。あとで洗うつもりだったんだろう。
カレーに毒が盛られていたのだろうか。でもこの前「晴のくれるもの以外は食べない」と僕に言ってくれたことがある。あれが本当なのだとしたら……。
訳が分からない。
これ以上彼女の家を探るのは気が引けたので、僕は警察に110番通報した。
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