幽霊の一行日記

高野 豆夫

第1話 ダブルデートの夏祭り

 一番星が夜空に現れた頃。


 ひめみや氷雨ひさめが浴衣姿で家から出てきた。僕――ほりきたはる――はその美しさにしばし見とれてしまう。


 氷雨が不安そうに眉を下げながら、僕に向かって聞いてくる。


「どう? 似合ってる?」


 答える必要もないことを。


「すごく似合ってるよ。氷雨のためにコーディネートしたみたいだ」


 彼女によると、今着ているのはユニ○ロで量産されている浴衣らしい。氷雨はどんな服だって見事に着こなすことができるのだ。


「氷雨、かわいすぎ。ずるいって~」


 氷雨に駆け寄りながら口を尖らせているのはももなな。ダイイングメッセージで表すなら確実に数字が使われそうな名前である。


 七海は服屋でオーダーメイドしてもらった特製の浴衣を着ていた。彼女もとても可愛い。が、僕としては氷雨のほうがタイプだった。


 七海は氷雨をいろんな角度からジロジロと眺め回した。それを見かねて、あらけんが七海をいさめる。


「七海、今日は俺とのデートのために来たんだからな。忘れんなよ。あと姫宮さんとか晴とかに迷惑かけんな」


 七海は頬を膨らませた。


「えー、いいじゃんいいじゃん。ダブルデートってのは4人でコミュニケーションを取るのが大事なんだよ」


 そう。僕らは、ダブルデートで夏祭りに行こうとしているところだった。僕と氷雨に、健斗と七海。みんなK大学の二回生で、文藝サークルに所属している。


 僕は待ちきれなくなって言った。


「さ、準備が整ったなら早く行こう。もう夏祭りは始まってると思うよ」


「ラジャー!」


 七海が手を額に当てて敬礼ポーズをした。


 健斗と七海が前を歩く。二人はいつの間にか手を繋いでいた。


「……僕たちも手、どう?」


 おそるおそる左手を差し出しながら聞いてみた。氷雨の顔がポッと明るくなったかと思うと、頬が少し赤らんだのが夜道でも分かった。


「……いいよ」


 氷雨の手の温もりが伝わってくる。人と手を繋いで歩くのなんていつぶりだろう。


 緊張して言葉が出なくなってしまった。いけない、いけない。デートを無口でいる彼氏なんて、ダメ男じゃないか。


「そのポーチ、何が入ってるの?」


 僕は話題を掘りだした。氷雨がいつも肩に掛けているポーチ。浴衣でもその習慣は変わらないようだ。


 氷雨は唐突な話題に少し当惑したようだったが、真面目に答えてくれた。


「メガネケース……は前も4人でいるときに言ったっけ」


「そうだな。開け閉めするときにパコパコなるアレだろ?」


「うん、そう。あとは長財布と定期入れとスマホと……ぐらいかな」


「へぇ……」


「うん……」


 早速話題選びをミスったかもしれない。話が完全に途切れてしまった。無理やり話を繋ぐ。


「メガネ、いつから掛けてるの?」


「え? ああ……小学校低学年くらい?」


「そうなんだ。メガネ掛けてない氷雨なんて想像できないな……」


「外ではずっと掛けてるからね。一回も外したことないと思うよ」


「一回もか。マジか」


 恋人の僕でも裸眼の氷雨は見たことがない。だから多分本当なんだろう。


 夏祭りの会場が見えてきた。提灯の赤い光がここまで届いている。


 前を歩いていた七海が、こちらに振り返って叫んだ。


「金魚すくい行こ! 夏祭りといえばこれでしょ!」


 氷雨と僕は顔を見合わせてから、一緒にうなずいた。異存はなかった。


 夏祭りは想像以上に混雑していた。浴衣や袴の男女で溢れている。閑静なこの町が活気を帯びるのは、今の時期ぐらいのものだ。


 金魚すくいには10人ほどの列ができていた。4人で並ぶ。七海はウズウズしているらしく、足の動きがなんだかせわしなかった。一方の氷雨はというと、僕の隣で冷めた目をしながら立っていた。


 こっそり声をかける。


「金魚すくい、嫌か?」


 氷雨は慌てたように首を振った。


「ううん。そんなことないよ」


「なら良かった」


 一人100円を支払い、青い水槽の周りにみんなしてしゃがみこむ。大の大学生が集まってやることか……とも思えてきたが、今更遅い。


 健斗がスマホを取り出した。


「写真でも撮ろう。みんな、顔を集めて」


 自撮りするらしい。寄り集まったところで、


「はい、チーズ」


 彼の古臭い掛け声に合わせて、僕らは笑顔を作った。ちなみに、僕の目はスマホ画面に映る氷雨の笑顔に釘付けだった。


 パシャッ。


 健斗が写真を確認する。


「うん、よく撮れてる」


 僕も覗き見た。氷雨を見ていたせいで微妙に視線の方向がずれていたが、気になるほどではなかった。


 七海が待ちきれなくなったように目を輝かせた。


「金魚すくい、始めていい?」


 すると、健斗がなぜか苦しそうな顔で答えた。


「ああ、いいぞ。……俺はちょっと腹が痛くなってきたから離れる。晴、めんどいと思うけど七海を頼む」


「お、おう」


「一言余計なのよ、一言ぉー!」


 七海が頬を膨らませたがお構い無し。健斗は腹を押さえながらどこかに去っていった。


 七海が荒々しい動きで金魚をポイに乗せようとし、一瞬で紙が破けた。おまけに浴衣の袖がびしょ濡れになった。


「ムズい!」


 僕は七海を「まあまあ」となだめつつ氷雨にも気を配る。氷雨は金魚をすくうのを少しためらっている様子だった。


 僕が声を掛けるより先に、七海が寄っていった。


「そのポーチ、邪魔なんじゃない? 持とうか?」


 なるほど。腰にあるポーチが邪魔をしてすくいにくかったのか。七海も意外に気が利く。


「あ、ごめん。ありがとう……」


 氷雨がポーチを外して七海に手渡し、スッキリしたように再びしゃがみこんだ。


 彼女は一匹の出目金に狙いを定めると、ポイで角に追いこんだ。それから素早い動作で持ち上げる。すかさずバケツを添えてその中に落とした。


 出目金は何が起きたのか分からないというようにバケツの中を泳いでいる。


 僕はその見事な手捌きに目を奪われた。


「うまいよ、氷雨」


 僕が本心から言うと、氷雨は目を細めた。


「ありがと。昔から得意なんだ」


 結局彼女は10匹も捕まえることに成功した。僕も続いたが、2匹で終わってしまった。


 その直後、健斗が帰ってきた。


「ごめん、俺もやるわ」


 健斗が丁寧な動きで金魚を乗せると……一発で破けた。立って眺めていた七海が吹き出した。


「健斗、ミスってやんのー!」


 健斗はフッと笑って問い返した。


「そういうお前は何匹だったんだ?」


「ゼロですけど」


「よくそれで人のこと笑えんな」


 次は健斗の申し出で射的に行くことになった。


 その道中だった。僕は一人少し後ろを歩いていた。


「痛い!」


 氷雨が突然しゃがみこみ、右足を押さえた。


「ごめん!」


 近くにいた健斗が謝る。どうしたんだろうか。


 僕は氷雨に駆け寄った。彼女は下駄みたいなビーチサンダルを履いていて、右小指のところが赤く腫れていた。


 健斗が踏んづけてしまったらしい。彼は普通のスニーカーを履いていた。


 心配になって尋ねた。


「大丈夫? 立てるか?」


「……ちょっときつい」


 僕は必死に頭を巡らせた。こういうとき、彼氏ならどうするか。


「おんぶしてやるから一旦帰ろう」


 氷雨の肩がピクッと動いた。さすがに攻めすぎたか。


「……ありがと。嬉しい」


 嬉しいんかい。僕はホッと安心した。


 七海も「氷雨がケガしちゃったならしかたないな」と中止に同意した。健斗はただペコペコと謝りまくっていた。


 僕は氷雨の前に背を向けてしゃがんだ。すると、彼女が背中に身を任せてくる。


 浴衣越しにも伝わってくる柔らかな体躯。耳元に当たるあたたかい息。緊張して何も考えられなくなる。


 氷雨の家までは500mくらいある。頭が真っ白なまま、気づいたら家の前まで到着していた。


「ほんとにありがとう、晴。ここからは自分で行ける」


 氷雨は背中から降りると、左足に重心を傾けながら歩いた。そして、高い塀に囲まれた自宅へと吸いこまれていった。


「僕たちもここらで解散するか」


 僕がそう提案すると、七海もうなずいた。


「そうだね。金魚すくいだけでも満足だよ」


 健斗が間髪いれずにツッコんだ。


「成果0匹なのに?」


「テメーもだろうが!」


 僕はそーっとその場を去り、帰宅した。


 実はこの頃からすでに、底知れぬ胸騒ぎがしていた。


 何かが起こる。そんな予感が僕の頭の中を駆け巡っていた。

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