第21話 バーザク

 こちらに向かって駆けてくるリュカを見て、バーザクは反射的に後ろに跳んだ。


 直後、バーザクが立っていた場所を、爆砕斧の刃が薙ぎ払う。急加速して正面から堂々と不意打ちを仕掛けたリュカを見ながら、彼は舌打ちした。


「ったく、この世界の竜人ってのはガキでもバケモノなのかよ」


 冷や汗を掻きながら愚痴をこぼす。


 先程の行動は、決してリュカの動きが見えていたからではない。ただ己の直感によって反射的に体が動いただけだ。もしもほんの僅かに動くのが遅れていたのなら、あの大斧の刃によって真っ二つにされていただろう。


 加えて大斧の刃は赤熱し、強い浄化の力を発している。あの刃の一撃は、間違いなく自身にとって致命傷となる一撃だ。


 バーザクが体勢を立て直す暇を与えるものかとばかりに、リュカが追撃に踏み込む。中庭の石畳が砕けんばかりの踏み込みに、彼は横に動きながらしっかりとリュカを観察する。


 あの大斧から発せられる浄化の力は、バーザクが知る限りでは女神の加護を受けた武器にも匹敵する。いや、それ以上の力を持っている。


「ああ、そうか。そういうことかよ」


 そうひとり合点した。


「その武器、神器だろ。となると貴様、勇者だな?」


 リュカは答えない。答える必要がないとばかりに、攻撃を続ける。


 戦況は、一見するとリュカの方が優位に見えた。だが、それは見せかけだ。それはリュカも理解している。


 相手の力は、恐らく自分を上回っている。こうして戦えているのは、攻勢に出ることで相手に攻撃させないためだ。


 しかし勝てない相手ではない。リュカの直感が告げているのだ。全力で戦えば勝てない相手ではないと。


 バーザクの視界からリュカの姿が消えた直後、彼は横に跳んだ。その数瞬後に、全てを砕かんばかりの一撃が中庭の石畳を叩き割る。


 リュカは今、身体強化を限界まで引き上げている。バーザクの視界から消えたのは、ただ単純にバーザクが反応しきれない程の速さで動いているだけだ。決して、幻術の類いではない。


 バーザクもそれを理解している。現時点では何とか対処出来ているが、段々と相手の動きが速くなっているのがわかる。一手間違えれば死に至る状況に、彼は舌打ちをした。


 と、その時、バーザクの動きが僅かに鈍る。リュカはその隙をついて側面に回り込み……その場から飛び退いた。


 次の瞬間、その場所を無数の黒い光が地面から天へと貫いた。罠を回避されて、彼は再度舌打ちをした。


「カンもいいのかよ。全く、嫌になるぜ」


 口ではそう言いつつも、彼はニヤリと笑う。


 リュカの攻勢が止んだ。ならば今度はこちらの番だ。


 バーザクの周囲に、無数の魔法陣が浮かび上がる。


「やれやれ、やっとこっちに手番が回ってきたな」


 ここから先は、もう相手に手番を回すつもりはない。少なくとも、この竜人の子どもが動かなくなるまでは。


 死にさえしなければいいのだ。手足の一本や二本はなくなっても構わないだろう。


「それじゃ、行くぜ。利用価値があるんだから、この程度で死なないでくれよ」


 魔法陣から、黒い光がリュカ目掛けて放たれる。


 リュカは反射に任せて光を避けながら、自分よりも強い男にどうやって戦うか考える。


 確かに相手は自分よりも強いが、そこまで絶望的な差があるわけではない。それに、自分が勝っている所もあるのだ。加えてルリは、魔法は知っていても霊素術を知らなかった。つまりそれは、こいつも霊素術について知らない可能性が高い。


 奇襲の機会は恐らく一度だけだ。その一度で、自分が優位に立てるだけの状況を作り出す必要がある。


 現在相手の攻撃は、周囲に展開した魔法陣からの光線だけだ。その数は五。直線的な攻撃しかしてこないので、避けることは容易い。が、こちらに攻め手を許さないように、常に間合いを取りつつ絶え間なく攻撃を放ってくる。


 避けつつ間合いを詰めれば、相手はそれに対応するように引き下がり、常に一定の間合いを保ってくる。速さではこちらが上だが、相手の攻撃を避けながら間合いを詰めるとなると、何処かで隙を見つけなければならない。


 恐らく相手は霊素……本人の認識では魔力だろうが、それを惜しみなく動員している。この攻勢が永遠に続くわけではない。だがリュカの身体強化も、永遠に続けられるわけではない。となれば、このまま続けるならばどちらが先に根を上げるかの根比べになる。


 その時、光線がリュカの身体をかすめた。


「どうした? 動きが鈍っているぞ?」


 かすり傷とは言え、攻撃が当たったことを指摘してバーザクが笑う。


 リュカは答えずに、その反応を見て確信する。こいつは、相当に勘の鈍い奴だと。


 先程は、反射的に避けるのではなく敢えてかすめる程度に攻撃を避けた。だが相手はそれに気付かない。そしてこちらが、相手の攻撃がどの程度の威力を持っているのかを正確に推し量った事にも気付いていない。


 相手は反射的に致命的な攻撃を避ける程度の能力は持っている。だが、通常の反応速度は人間のそれと大して変わらない。それならば、魔法陣の展開から光線が放たれるまでの時間差と光線の威力さえ分かれば充分だった。


 リュカは確信した。コイツは第二層の入り口であった瘴獣よりは強いが、鉄毛熊の子どもよりかは確実に劣る。そして自身と同格以上の相手との戦いの経験が圧倒的に不足している。ならば不意を突かれたとき、間違いなく致命的な隙が生まれる。次は、こちらが攻める番だ。


 そこまで考えた時、リュカはおかしな事実に気がついた。


「何を笑ってやがる」


 攻撃の手を弛めることなく、けれども不快そうな声でバーザクはリュカに呼びかける。


 指摘されて、リュカはようやく自分が笑っていることに気付いた。


「ああ、いやさ」


 光線を避けながらリュカは話す。攻勢をかける前に、これだけは言ってもいいだろう。


「七魔将、って言ったっけ? そんな肩書きを持ってるなら、魔族とかいう種族の中でも強いんだろうけど……鉄毛熊の子どもより、ずっと弱いんだなって」

「……なんだと?」


 その言葉に一瞬だけ目を見開いて動揺し、バーザクが隙を見せた。


 その隙を、リュカは見逃さない。攻勢をかけるべく間合いを詰めて、爆砕斧を振りかぶる。


 男がニヤリと笑った。その隙が罠だと、リュカは理解した。


 リュカの足元に、魔法陣が展開される。数瞬後には、地から天を貫く黒い光がその体を貫くだろう。


 だがリュカも分かっていた。その上で、敢えて罠にかかりにいったのだ。この時こそが、相手の不意を突く絶好の機会だと。


 リュカの周囲に光が集まったかと思うと、光球が放たれる。その方向はリュカの真下、すなわち魔法陣に向かってだ。


 そもそもリュカは、師匠やキティから霊素制御を重点的に鍛えられている。そして霊素制御の技量の高さは霊素術の技量の高さに直結する。つまりリュカも霊素術を相当な練度で扱えるのだ。実際、霊素制御による身体強化は霊素術の基本技術の一つである。


 それでも今まで攻撃系の霊素術を使わなかったのは、ルリの全力の一撃ほどの威力を出せないので使う機会がなかったのもあるが、ひとえに身体強化を施して爆砕斧で叩き割った方が圧倒的に強いからだ。


 魔法陣が起動するよりも先に、光弾が直撃する。魔法陣は石畳諸共粉砕され、消滅する。その時リュカは、勝ち誇った男のにやけ顔が驚愕に変わる瞬間を、しっかりと見た。


 爆砕斧が振り下ろされる。男は避けようとするが、完全に避けるにはもう間に合わない。


 大気を焼く刃が、男の右腕を切り飛ばした。




 切り飛ばされた右腕の痛みは、バーザクの身体だけでなくプライドまでも苛んだ。


 彼は元々プライドの高い男ではない。もしこれが彼の知る人間の戦士達との闘いだったならば、彼は相手の力を称賛し、冷徹に推し量り、その上で自分が勝利するための道筋を見出せたことだろう。


 だが、今の彼が相手をしているのは竜人の子どもである。もしも彼の同僚がこの惨状を見たならば、きっと誰もが彼を嘲笑うだろう。それ故に彼は焦り、その焦りがプライドを蝕んでいく。


 五年前の侵攻によって幾つもの空席が出来た七魔将の地位。それが自分の元に転がり込んできた時は、彼は自身の幸運に感謝し、その地位に着くことを迷わなかった。だが実際にその椅子に座ってみると、彼はその地位を維持するだけが精一杯だった。他の七魔将達は、そんな彼を無能、地位だけの男と嘲笑した。


 事実、彼はそう呼ばれても仕方ないほどの失態を犯した。


 元の世界ではルリを捕らえて力と記憶の一部を奪ったものの、隙を突かれて逃げられる失態を犯した。その上こちらの世界では扉を挟んでいて死角になっていたとはいえ、門のすぐ近くにいたルリを見落とすという大失態を犯していた。


 元々、七魔将とは魔族の中でも力ある者を七名まで選抜して与えられる地位と称号である。力こそ正義という考えの強い魔族を纏めるのには、力による束縛は絶対的に必要だった。


 七魔将に選ばれた彼は決して弱い魔族ではない。だがそれは、彼の世界での話だ。世界が変わればそこに住まう者達も変わる。例え同じ世界基板を使っていても、歴史が違えば少なからず変化が現れる。少なくとも、彼の世界には戦うために生まれた戦人という生き物など存在しない。


 そんな地位だけの男と嘲笑された彼が今回の任務を受けたのは、ひとえに自分の力を誇示するためだ。侵攻の際に戦死した奴らとは違うところを、他の七魔将に、ひいては魔族全体に見せつけるためだ。


 しかし、今の自分はどうか?


 他の七魔将が手を焼いている異界の竜人夫婦どころか、その子どもにこんな無様をさらしてしまっている。


 自分はこんなにも弱いのか? あんな子どもに劣るほどの力しか持っていないのか?


 否、断じて違う。そんな筈がない。


 油断した。慢心した。それだけのことだ。あんな子どもに自分の力が劣っているなど、有り得ない事だ。


 そんな事、あってはならないことだ。


「クソがぁ!!」


 男が吼える。その怒りに呼応するように、六つの魔法陣が虚空に現れる。が、その魔法陣が魔法を紡ぎ上げる前に、放たれた霊弾によって破壊される。


 即座に次の魔法陣を展開する。その数は八。だが次の瞬間、リュカの周囲の虚空から放たれた無数の霊弾が、先程と同じように魔法陣を破壊する。


 十二の魔法陣を展開するが、破壊される。十六の魔法陣を展開。破壊される。二十の魔法陣を展開。これも破壊される。


「この、化け物がぁ!」


 二十四の魔法陣を展開したとき、不意に虚空からの霊弾が止んだ。彼はその事に気付かず、魔法陣から一斉に光線を放つ。


 リュカは、避けることなく突撃を敢行した。自棄になったわけではない。この瞬間こそ、リュカが待ち望んでいたものだ。


 姿勢を屈めて、一直線に駆ける。相手の攻撃は単調な一直線な攻撃、魔法陣の展開から放たれるまでの時間差も、光線を放つ瞬間も、充分すぎるほどに経験した。今のリュカならばこの量の光線を避けるのは容易い。


 一直線に駆けると、どうしても避けられない光線が一本だけあった。しかしコレも問題ではない。その威力は、先程身を以て味わったばかりだ。


 リュカは左手を前に突き出し、光線を受け止める。受け止めた部分が熱を帯び、竜鱗の手甲が少しずつ削られていくが、貫くには至らない。


「なんだと!?」


 光線を受け止めながら一直線に駆けてくるリュカを見て、魔族の男が驚愕の声を上げる。自分の攻撃が相手の命には届かない事に気付いた時には、全てが遅かった。


 爆砕斧の刃が、地位だけの男の身体を真っ二つに引き裂いた。

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